「エンダーの子どもたち」


 「エンダーのゲーム」はシリーズにならなかったとしても名作だと思うし、「死者の代弁者」の後が続かなかったとしても、私はエンダーの物語に全く満足していただろう。しかし「ゼノサイド」が出てしまった以上、この「エンダーの子どもたち」はなくてはならないものだった。
 「ゼノサイド」でエンダーたちはデスコラーダの無害化と粛正艦隊を阻止する間接的手段となる「超光速」の実現をなしとげた。だが彼らに迫る危機は根本的どころか半分も解決していないし、しかも超光速とともに誰もが(登場人物も、たぶん読者も)予想しなかった問題が登場してしまっている。…「ゼノサイド」を読了して以来6年半、待つ時間は長かった。
 そしてついに、邦訳なった「エンダーの子どもたち」は、「ゼノサイド」で残された問題を解決し、物語を閉じる――良くも悪くも、そのために書かれた作品である。
 ちょっと整理してみよう。「ゼノサイド」終了時点でエンダーたちが負っている難題はだいたい次のようなものである(サボって箇条書き)。
 大小さまざまな問題が複雑に絡み合い、登場人物を悩ませる。辛辣な言動の裏で自分のアイデンティティに不安を抱くピーターと、やはり辛辣に応えながらも彼を支えようとするシー・ワンム。ヴァルとジェイン、二人に対する想いの板挟みに苦しむミロ――彼がヴァルをわざとののしり、彼女を最後の決意に踏み出させるシーンは、「死者の代弁者」でエンダーがヒューマンを「第三の生」に移行させるところを彷彿とさせる。葛藤を繰り返す彼らの心理を描くあたりは、さすがカードの名人芸。
 そしてもちろん、エンダー・ウィッギンその人の運命も見逃せない。ノヴィーニャの後を追って修道院に入り、ルジタニア救出の表舞台から退こうとする彼には、すでに疲労の色が濃い。だが周りの人々も状況も、彼が傷ついた妻とともに閉じこもってしまうことを許しはしない。…そして彼自身の無意識もそれを望んではいなかった。ついにエンダーは最後の最後まで事態のキーマンであり続ける。
 このあたりはエンダー自身よりも、彼を囲む女性たちの葛藤を中心に描かれている。少年・青年時代のエンダーの心のよりどころであったヴァレンタイン、後半生をともにしたノヴィーニャ、そして「死者の代弁者」としての彼を敬慕するプリクト、三人の女性がエンダーの一生のそれぞれ一面ずつを代表するように配されているのも面白い。それにしてもノヴィーニャは、最後まで悲劇と縁の切れない女性だったなあ…。彼女が純粋に夫エンダーのためを思ってとる行動とは、彼を自分の元から永久に去らせることなのだから。結局、エンダーは彼女を癒すことに成功したのだろうか?
 これらの問題、葛藤が収束し一気に解決への道が開けるクライマックスは、物語中の思ったより早い段階で訪れる。ここから先はまあ、話のあと片付けとエピローグだけだなあ…と読みながら考えていたのだが、実は「エンダー」シリーズのファンとしてのカタルシスは、ここからが本番だった。何よりリトル・ドクターを眼前にしたピーターのあのセリフ!さりげなく口に出されているが、心中拍手喝采したのはきっと私だけではないはずだ。このへんのピーターの縦横無尽の活躍は、ちょっと都合よすぎはしないかとも思ったのだが…いや、いい、許す。これまでさんざん苦しい思いをしてきた登場人物(と、それにつきあってきた読者)には、この程度のストレス解消はあってしかるべきだ、うん。
 実のところ、他にもちょっとどうかなと思うところがないではない。ひとつはSFとして新味がほとんど見あたらないこと。最初の方で「良くも悪くも」と書いたのはそのせいで、物語を終わらせることが何より優先されている。もともとこっちもそれが目的で読んでいるわけだし、冗長に続けられるよりよっぽどいいのは確かだが、デスコラーダのルーツにせまる話題で、もっとSF的なアイディアを膨らませることもできただろうな、と思うと少し残念である。
 もうひとつ、これは私の好みみたいなものだが、ノヴィーニャの子どもたちの出番に差があったこと。グレゴはまあいいとして、オリャードにはもっと顔を出してほしかった。ピーターがエンダーの記憶と才能を、ミロがエンダーの強さと優しさを継いだように、オリャードはエンダーの父としての面を継いだと思うのだが。
 他には、日本文化をもつ植民星ディヴァイン・ウィンドとそこでピーター、ワンムと面会するオボロ・ヒカリの描き方が問題になりそうだ。オボロ・ヒカリが二言目には「ヤマト魂」を口にしたり、原爆の投下を贖罪と捉えていることには違和感があるし、著者あとがきで語られているカードの歴史観は、当時の社会的な状況を考慮せず個人の心情に重きをおきすぎているきらいがある。しかしそのことが話全体に悪影響を及ぼしているわけではない。むしろ予想したよりずっとうまく描いていた。…ディヴァイン・ウィンドの中心都市が名古屋というのには笑ったけど。
 というわけでフォローできないような欠点は、なし。まあ、シリーズがとうとう完結したという感動だけで、他のことは些細な傷に思えてしまうということもあるが。なにせラストシーンは絵に描いたような大団円で、感慨を覚えずにはいられないのだ。そしてプリクトの言葉「これから先の道は〜」に一抹の寂しさも。「エンダー」の続きがいつ出るかという楽しみが、これから先はないのだから。

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