「シャドウ・パペッツ」


 やっぱりカードは「家族」のカード。最もそういうのに縁がなさそうだった主人公に、あきれるぐらい真正面からこのテーマをぶつけてきた。前作のラストシーンを思えば意外ではないのだが、それにしても早い進展だった。
 ビーンとペトラの新婚さんぶりは、読んでいて微笑ましいやらばかばかしいやら。ペトラさんは何だか性格が可愛く変わりすぎているし、ビーンもビーンで冷静なフリして結構流されているし(二人とも相変わらず口は悪いが)。もっとも自分の家族をもつというビーンの一大決心は、彼をさらなる難問へと(そして次回作品へと)向かわせることになるのだが。
 家族といえばピーターたちウィッギン一家も存在感が大きく、この巻ではもう一方の主役と言っていい。とくに前作では影の薄かったピーターの父ジョン・ポールが今度は面目躍如。やや過激に走る母テレサとは対照的に、大人の穏やかな賢明さでピーターを支えている。そのぶん覇者・ピーターは、今回は失敗を犯す役ということもあって、切れ者ぶりが大きく割り引かれている。「エンダーのゲーム」以来の「恐るべき兄」というイメージが損なわれてしまったのは残念。だが、世界を動かす息子を、ときに子ども扱いしたり辛辣な皮肉を口にしたりしながらも助けていくジョン・ポール、テレサと、そんな両親への苛立ちと信頼が相半ばしているピーターの描写は、カードのお家芸が一番発揮されている読みどころでもあった。
 ピーターのアンファン・テリブル失墜よりはるかに残念なのは、話のキャスティングボードを握ったはずのアシルについて、ほとんど描写がされていないこと。テレサやジョン・ポールの警戒心も、ピーターのらしくない油断も、スリヤウォングの雌伏も、そしてビーンが嫌悪を殺して彼を理解しようとするのも、みな対象を失ってぼやけてしまっている。多分これはこの作品で最大の欠点だ。
 一方前作で問題と感じた歴史・世界観の単純さのほうは、今回はそれほど気にならなかった。大風呂敷ぎみの著者あとがきが無かったせいもあるかも知れない。話の中で出てくるイスラム諸国の同盟というのは、おおざっぱながら頷ける。まあ世界観うんぬんより、元祖「ゲーム」でエンダー・チームの副将格だったアーライの再登場に拍手喝采だったのだが(とはいえカリフというのはどうかなあ。スンナ派とかシーア派とかはこの際省略?)。歴史を描くという点では、ヴァーロミの「インドの万里の長城」運動は、もっと話を膨らませても面白かったんじゃないかと思う。いまいち話の本筋に絡んできていないのが残念。

 以上、この話単独で言えば「もっとこうだったらよかったのに」という不満はあるが、背負うものの増えたビーンの運命については、一層目が離せなくなった。来年刊行予定という「Shadow of the Giant」感動のラストに向けて、まずは中継点といったところか。原書が2005年ということは、翻訳は早くて翌6年か…。
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