「エンダーのゲーム」の続編「死者の代弁者」は前作から数千年の未来が舞台だったが、「エンダーズ・シャドウ」の続編となるこの作品はバガー戦役が終わった少し後、前作の話の流れを直接受けたものとなっている。「エンダーのゲーム」を読まずに「死者の代弁者」や「エンダーズ・シャドウ」を読めたとしても、「エンダーズ・シャドウ」を読まずに「シャドウ・オブ・ヘゲモン」は読めないだろう。ある意味正統的な「続編」。
しかし前作の力に頼り切った作品ではないことは、「エンダーズ・シャドウ」が「エンダーのゲーム」に依存した作品ではなかったのと同様。とくにカード作品共通の持ち味である、登場人物ひとりひとりの内面描写や、彼らが交わす対話のスリリングさは、やはりすごいとしか言いようがない。最初の章、故郷に帰還したものの違和感をぬぐい去れないでいるペトラの描写から、読むものを惹きつけてくれる。
前作でビーンを見出してバトル・スクールへと導いたシスター・カーロッタは、今回はビーンと行動を共にして活躍を見せてくれる。ビーンと彼女が旅の先々でかわす辛辣な中に慈愛のこもった会話も読みどころだし、何より──今回ビーンにとってもっとも重い存在となる人である(やはりカードは主人公を過酷な目に遭わせるのが得意だ)。
今回からの初登場ではないが、初めて内面的な肉付けがされたピーターも、カード印の描写が光る。とくに上巻末、両親から誇りに思うと言われて涙を浮かべるピーター。彼にしてこうか、ちょっとありきたりじゃないかという考えも頭をかすめたのだが、それにも関わらず上巻で一番感動したシーンを挙げるとしたらまずここだろう。またその少し前のシーンでの、ピーターの(つまりはエンダーの)母親とビーンとの会話も印象的だ。はっきり言って、物語後半のアクションシーンで交わされる銃火より、ここで交わされる言葉の方がよほど致命的でスリリングなものに感じられる。
もちろん、主人公ビーンも見逃せない。ときには冷徹にすぎると思われる彼が、大きな犠牲と過酷な運命を越えて、得ようとしているものは「人間性」と「伴侶」、そして「家族」。このへんやっぱりカードの定番だなあ、と思いつつも先の話が待ち遠しくなるところである。
ぜいたくを言うならば「エンダーのゲーム」で目立っていた面々、アーライやシェンたちにも活躍の場面が欲しかったところなのだが…これをやってしまうと話全体が散漫になりかねない。無い物ねだりというものだろう。
さて、主人公たち「世界を救う少年少女」の内面を描く十八番と同時に、「救われる側の世界」を詳細に描こうとしている点で、今作品はこれまでの(少なくとも邦訳された)カード作品の中で画期的なものがある。しかも別世界や何千年も未来の世界ではなく、現在の私たちが生きている国際社会の枠組みを色濃く残した世界だとなると、画期的というより冒険的と言った方がいいかも知れない。そして、その冒険は……残念なことに、上に挙げたような盤石の人物描写と比べては、成功しているとは思えない。少なくとも現段階では、まだ。
作中にはペトラたちが捕らわれることになるロシアや、ビーンが拠点とするタイ、敵対するアシルが操るインドなどが登場するが、そういった国々について、ちょうど私が小さい頃もっていた地球儀のように、国別に色分けがはっきりされすぎている。…ロシアはこう、インドはこう、タイはこう、と一刀両断に単純化しすぎているように感じられるのだ(著者あとがきでは自らゲームの「三国志」との類似を指摘しているが、まさにその通りである)。そういう世界像が、あくまでビーンたちの活躍の舞台背景にとどまるならば、たいした問題ではない。しかし、著者あとがきで窺えるように、ビーンたちの世界の歴史を描くこともテーマとしているのならば、それでは少々深みに欠けるのではないか。
また、これは登場人物たちの設定・性格上しかたのないことなのだが、彼らが世界をあまりに自在に動かしすぎてしまうことも、世界像がゲーム的で単純に見えてしまう一因と思える。もちろんビーンとてなんの苦しみもなしに物事を動かしているわけではない。むしろカード作品の主人公の例にもれず、非常に過酷な運命を背負わされる。だが、それは彼の出生にまつわる遺伝的な問題や、アシル個人から仕掛けられた策略であって、個人の力ではどうしようもない大きな歴史のうねりに苦悶するということではない。そういう歴史小説の主人公になるには、ビーンにしろピーターにしろ、アシルでさえも、天才的すぎるのだ。
…何か批判の方に熱が入ってしまったような気もするが、まだビーンの物語はまだまだ先があること、カードが描写を続けていけば、それにつれて世界も厚みを加えていくものと期待している。現にこの作品だけとっても、前半でロシアを描写していたのに比べれば、後半のそれはずっと巧みに感じられたものだ。少しばかり文句があったとしても、そしてこの先の話でその文句が解消されなかったとしても、それがためにビーンやペトラ、ピーターたちの物語を読まずにすませるのは、あまりにももったいないというものだ。とりあえずすでに原書が出ている次作「Shadow Puppets」は近く邦訳予定とのこと。大きな楽しみ(と少々の懸念)をもって刊行を待ちたい。
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