「死者の代弁者」


 わたしが最も好きな作品(これを読んだ後、私はそのとき出ていた他のカード作品をすべて買いそろえました)。しかし同時に、嫌いな人にとっては一番嫌いな作品だろうとも思います。その意味で一番カードらしい作品と言うことになるでしょうか。
 オールディス「地球の長い午後」のような生態系SFとしてもよし、ノヴィーニャとリボの、悲恋のメロドラマとみてもよし、はたまたミロら一家の父親再発見の話としてもよし。「エンダーのゲーム」ではストーリーはほぼ単線構造だったのですが、その点こっちはちょっと入り組んでいます。そのせいもあってか、私は2回目に読んだとき最初よりも感銘を受けたのを覚えています。
 この作品は好きなセリフが多くてどれをホームページにいれるか迷ったのですが、結局エンダーがピギーと最初に 出会ったくだりからとりました。本当は冒頭近くでピポがノヴィーニャに言うセリフ「私がそう言ったときでも、君は行ってしまわなくていいんだ」が一番好きなのですが、ここは主人公優先と言うことで。おなじくエンダーのセリフ「いかなる人間も、こちらがそのひとの願望を理解すれば、無価値ではない。(…)最も邪悪なものですら、こちらがその心を理解すれば、(…)なにがしかの高潔な行いをしているものなのだ」もいいのですが……。このところはっきりとそう言いきれる自信、なくなってきましたね。エンダーがもしいたら宮崎や麻原や酒鬼薔薇をどう代弁するのか、興味深いところです。
 以上で私の思い入れは多少なりとも伝わったと思います。そのうえで茶化してしまうとすれば…。エンダーがもし実際にいたら最強最悪の芸能レポーターになっていたでしょうね(正確には、最悪なのはジェインでしょうが)。私は「死者の代弁者」エンダーのとった行動に感動はしても、賛同はできません。そこまで人間の賢明さ、あるいは寛容さを信じることができないのです。それを信じているという点で、エンダーは(ひいてはカードは)偉いのかも知れません。
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