「運命の物語」


 「エンダー」(長編版)以前の作品の中では後期に位置する短編。天才少年と家族、特に父親との関係がメインテーマになるなど、カード作品としては典型的。しかしラストに「感動の奇跡」はない。ちょっとやりきれなさが残る作品である。
 モチーフは知らぬ人とてない(ですよね?)ギリシア悲劇「オイディプス王」。これで父子関係テーマならエディプス・コンプレックスがらみを予想してしまうが、さにあらず。私はアダルト・チルドレンとその父親の物語として読んだ。
 少年ジョーは父アルヴィンが言葉で自分を思い通りに支配しようとすることに反発し、ついに最悪の事態を招いてしまう。しかしアルヴィンの行動はそれほど非道なものだったのか?人は誰しも自分が主人公の物語を創作しながら人生をたどり、他人が自分の物語にそった行動をすることを期待してしまう。それを支配と言えば言えるかもしれない。だがたいていはその他人も自分の物語を生き、支配しかえす、あるいは支配を無視する。ジョーが父親の「剣」=言葉=物語に対し、同じく物語で対抗できなかったのは、他人の物語に同化してしまうほど感受性が鋭すぎたせいだろうか。かれが自分を擬した「オイディプス」も他人の作った物語なのである。その「運命」=物語を変えるべく、自分の物語を作ることもできたはずなのだ。
 …いや、違うか。ジョーの父アルヴィンはラストで「運命」を変えて見せようとしたが、その行動そのものもまた彼の物語の一部だった。自分の物語は自分で創ることができるが、その創る行為もまた物語の一部…これではパラドックスである。どうしても悲劇は避けられない物語だったのか。思いは堂々巡りを繰り返し、やりきれなさがつもるのみである。
 (…なにスカしたこと言ってんだか。) 

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