「第七の封印」


 一番キリスト教のイメージが強いファンタジー。巻末の解説ではグノーシス思想との関係が示されていた。そこまで読みとる知識は持ち合わせていなかったが、救世主降誕や魂の三位一体など、わかりやすいモチーフも多い。主人公は救世主を産むと予言されているから下敷きが一目瞭然。もっともこのマリア様は「神」とその子を殺してしまうのだが。
 主人公ペイシェンス(=堅忍)やウィル(=意志)、そのほかレック(=思慮)やルイン(=荒廃)など、登場人物は最初から名前にキャラクターの属性が示されている。それで思うのだが、カードは自分の作品の登場人物を完全に掌握しようとし、しかもそれにほとんど成功しているのではないか。大長編では、まるで作品の舞台が実在しているかのようにキャラクターが独立して動き出し、作家はそれを文章化しているかのような状態になると聞く。「このキャラはどこそこで死ぬはずだったのにしぶとく生き残った」という表現も目にする。平井和正なんか作品世界の実在をマジに信じてそうである。
 しかし、カードの作品ではそれがないように思う。自分の意図したテーマにそって、キャラクターを自分の計算通りに動かし(そして殺し)、逸脱を許さない。カードの作風が冷徹と評される理由はこの辺りにもあるだろう。ヒョウタンから駒が出るような、作者の意図や筆力以上の作品はできないかもしれないが、その代わり話が破綻して読むにもたえなくなるようなこともない。言っておくが登場人物が嘘っぽいとか、生き生きしていないということではない。カードの場合、実力分のできだけで十分に傑作なのである。
 話は変わるが、カード作品の主人公は設定の年齢よりはるかに年上に感じる。ペイシェンスなぞあれで13とか15である。ん、15…?ちょっとまて、アンワームよ、16歳以下は犯罪だぞ。

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