書き始められたのは10年以上も前だが、現在も進行中のファンタジー大作。完結までたどりついてほしいものだ。…それ以前に、原書で出た分は翻訳を出してほしいものだ(角川書店さん、頼みます)。
読みどころの多い作品である。まずカード作品の例にもれずメインテーマのひとつとなっている「家族」。主人公一家である西部開拓民、ミラー家の日常を描いたさまには微笑を誘われずにいられない。巻末解説で言われている「カード版『大草原の小さな家』」というのは当を得た表現で、この巻を一言で紹介するのにはうってつけである。また家族の暖かさを描くと同時に、その不和、確執も語られていることも見逃せない。たとえば、主人公アルヴィン・ジュニアと、本当なら自分が「七番目の息子」になるはずだと思っている弟カリーとは、この巻でこそ対立の萌芽らしきものしか見えていないが、これから先二人の関係はどうなることだろうか。
この家族が暮らしているアメリカは、私たちの世界のアメリカとは少し違った歴史を歩む平行世界である。ピューリタン革命でイギリス国王がアメリカに亡命し、大陸での独立戦争も起こらず、北米南部は王領、北部は護国卿政権下のイギリス領、そして両者にはさまれた狭い地域に「アメリカ合衆国」が存在している。歴史上の人物もワシントンやジェファーソン、フランクリンが登場するものの、その役割はかなり異なっている(ワシントンなんかイギリスに処刑されているようだし)。これは物語の背景にとどまる設定かもしれないが、歴史好きの私としてはこの世界のアメリカ史がどういう展開をするのかも楽しみな点だ。
もう一つ私たちの世界と異なる点(こちらはテーマの方にも深く関わってくる)は、魔術やまじないが実際に効力をもつということである。ミラー一家は日常的にまじないを施しているようだし、アルヴィンにいたっては題名通り「奇跡」としか言いようのないほど強力な力を秘めている。その一方でそんな力を邪悪、迷信と決めつけるプロテスタントの神父・スロウワーのような人物もいる。敬虔だが独善的なスロウワー神父の心理描写も読みどころの一つだろう。また大局にたって、そんな世界でのキリスト教の意味、直面する問題というのを考えてみるのも面白い。この巻でこそキリスト教はアルヴィンにとって対立的な意味しか持たないが、これから先彼が究極の敵「アンメイカー」に対抗する道は、魔術とキリスト教とを整合させていくことにあるのかも知れない。
スロウワー神父の信仰心は、その「アンメイカー」の利用するところとなる。創造の力をもつアルヴィンと破壊者「アンメイカー」の戦いが、シリーズ全体での最大テーマとなる。アルヴィンの夢やテイルスワッパーの話からイメージされるその姿は、エントロピーの権化、とも思える。まだ未熟な創造者であるアルヴィンは籠や石積みといった小さなものしか造ることができない。だが、彼の技がいくら高度になったとしても造るのが「物」である限り、「アンメイカー」に打ち勝つことはできない。…エントロピーはつねに増大する。アルヴィンが創造しなければならないものは、おそらく人と人との間に造られる「何か」だろう。ちょうど、テイルスワッパーの語る「創造者」ベン・フランクリンが「アメリカ人」を造ったように。
最後にちょっと文句を言うことにする。どうも訳が私の好みに合わない。この話の1〜5章部分は「ハットラック川の奇跡」という題で「SFマガジン」に掲載されたことがあるが、そちらの訳の方が良かったような気がする。
好みに合わないというのは、カタカナ語が安易に使われすぎてるように見えること。魔術の強さを表現するのに「powerful」という言葉が使われているが、それをそのまま「パワフル」と訳したのでは、芸がないのではないだろうか。透視者ペギーが人や動物の心の中に見る「Heartfire」も、そのまま「ハートファイア」ではどうにも安っぽい。「ハットラック川の奇跡」では「心の炎」と直訳して、横に「ハートファイア」とルビを振っていた。ささいなことだが、こっちの方が雰囲気としては好きである。