駄弁者の駄弁

別に知りたくもないでしょうが、駄弁者自身のことについて。それだけだとあまりにつまらなさすぎるので雑記帳を付けます。
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司書の駄弁者
生 年:197X年
出 身:大阪府・なまりは多分一生ぬけない
現住所:岐阜県多治見市・職場が遠い
職 業:その名の通り。今年は寄贈資料をひたすらコンピュータ入力。
趣 味:見ての通り。SF以外も読まなあかんなあ。

日々雑感2000年7月〜12月

 休日を利用して、手早く年賀状書きを済ませてしまう。仕事関係では出さないことになっていることもあり、枚数は微々たるものだ。しかも何となく出さなくなったりメールに切りかえたりで、年々その量は減っている。
 …なのにかける手間の方も年々簡略化しているのは、ちょっと申し訳ないような気もする。去年までは少なくとも宛名は手書きで書いていたのに、今年はその部分もハガキ印刷ソフトで軽くこなしてしまった。
 心がこもってないなあ…と年寄り臭いことを考える反面、活字のきれいな宛名書きにちょっと気分がよくなったりもする。だいたい私の肉筆は、これで心がこもっていたら先方が怒るんじゃないかと思うほど「達筆」なわけだし。
(12/25)


 16、17日と、東京国際フォーラムで開かれている「図書館総合展」に出張。講演を聞いたり、図書館システムなどの企業出展を見せてもらうのがメインなので、自分で事例発表したりする類の出張よりはるかに気が楽だ。夜は早くに上がれるし…。この際だから保留している「エンダーズ・シャドウ」の駄弁、ホテルで書いてしまおう。などと、早くも仕事以外に力が入っている不良司書。
 ついでに18日はちょうど休みにあたっているので、もう1泊余計にとって、御茶ノ水〜神田の恒例コース。とったホテルが「総合展」会場より神田に近いところにあるのは、あ・く・ま・で「偶然」…だということで、了解してほしい。…われながら説得力に乏しいな。
(11/16〜18)


 今日は高円宮(今上天皇の従弟らしい)ご夫妻が別件で岐阜県を訪れたついでにうちに来館するとのことで、全館昼前から厳戒体制である。去年皇太子夫妻が来館したときとは比べものにならないとはいえ、それでもかなりの物々しさである(皇太子のときは、近辺のマンホールまで全部封印していたもんなあ…)。私もいつものカウンター業務を離れて2階入口近くで立ち番。
 宮さまが移動する際の来館者の整理と、あと不審物の点検をしろということなのだが…。時間中私が発見した一番の不審物といえば、日曜日の図書館風景の中で、爆発物なみに違和感をはなっているメン・イン・ブラックの群れ。宮内庁の人だか皇宮警察だか知らないが…。私が見ていた間だけでも10人ほど、プレッシャーに負けて出ていったぞ。
 まあ、何事もなく済んだから、いいんだけども。
(10/22)


 夏休み明けで頭のぼけた私を待ち受けていたのは、図書館の新システムの予算要求資料を作成するという苦役…じゃなかった業務。
 9月、10月と「雑記」を更新しなかったのはほとんどこれのせい。寄贈資料は限界いっぱいに溜まるまで放りっぱなし。まったく、この仕事のあとでは、寄贈資料の分類や目録入力がほとんど気分転換に思えてしまう。
 それにしても、説明をしにいったときの第一声が、「ところで県図書館のコンピュータって、何をやっているんですか?」だった社会教育の担当者に、いったい何をどう説明しろと…?
(X/X)


………

 まる1週間の夏休みがとれたので、最初の3日間を使って横浜・鎌倉を巡ることにする。珍しく観光旅行である。…しかし図書館の面々、私が秋葉原でも神田でもないところに行くと聞くと、「似合わない」「似合わない」の大合唱。へえへえ、どうせそうでしょうよ。
 新幹線内で中学以来の友人「伝道の犠牲者1号」氏(はい、今年も登場です。長いので以下「伝1号」。)と合流。とりあえず、横浜に着いてからの予定を相談する。
伝1号「まず、新横浜のラーメン博物館で昼飯な」
大阪からはるばるやってきて第1番にそれかい。私にしても中華街ぐらいしか決めていないのだが。
伝1号「中華街にいくんやったら途中山下公園で氷川丸見るか、MM21で日本丸か…」
駄弁者「いっそ横須賀まで行って三笠も見てくるか?」
嗜好の幅の狭い二人だった。
「…ところで横浜って古書街みたいなのあるんか?」
などと言い出したのは、私ではなく伝1号の方である。さすがわが親友。こちらも当然抜かりはない。バッグからおもむろに取り出したのは「全国古本屋地図2000年版」。見てみると古書街とまではいかないが、関内の方にある程度かたまっているようだ。結局そのあたりと中華街、あとは足の向くまま適当に、ということで日程は決まってしまった。古本屋が優先目標になるのでは、観光旅行が「似合わない」と言われるのももっともな話ではある。
 ちょうど昼時に新横浜着。小雨の中を歩いて伝1号氏お待ちかねの「ラーメン博物館」へ。しかし…。
 駅から向かう途中、周りの人間がみんな同じ方向に歩いているから、嫌な予感はしていたのだ。だが、なんでこんなに並んでいる!?入口から長麺の列…もとい長蛇の列が折り重なっている。館の向かい側には観光バスが何台も泊まっていて、その中には「ラーメン博物館と横浜市街観光ツアー」などと書いたものも。中に入るだけでも3、40分、下手をすれば1時間以上はかかるとふんだ私たちは、一時撤退することに決定。明後日の帰りがけに再トライすることにしたのだった。
 気を取り直して地下鉄で関内へ。先にホテルに荷物を置いて、山下公園を経由して中華街に向かうことにした。…典型的なおのぼりさんコースだな。途中、降り続く雨がかなり強くなってきたので、雨宿りも兼ねてちょうど近くにあった横浜開港資料館に立ち寄る。この資料館はこまめに展示資料の図録などを寄贈してくれるので名前を覚えていた。日米の通商条約が結ばれたとき調印の場にあったという楠が、今もそこに立っている。思っていたよりも小さい資料館だが、展示はなかなか楽しめた。
 雨が小降りになったころを見計らって、山下公園へ。氷川丸は、ちょうどやっているイベントがお子さま向きのもののようだったので、外から見るだけですませる。船から目を離すと、みなとみらい21のビル群が目に入った。先日までSF大会をやっていたパシフィコ横浜も見える。「ガメラ」に出てくる怪獣ギロンの頭に似ていると言った人がいるらしいが…なるほど、確かにあれはギロンだ。アングルを変えて見ても、やはりギロンだ。
 伝1号氏にそう言ってみると、十字手裏剣を買ってきてカベに貼っつけたくなってきたと大ウケすることしきり。
 それからついでに横浜ポートタワーへ。中に入った伝1号氏の一言「要するに、横浜の通天閣やな」。なかなか的確な表現じゃないかと思うのだが、地元の人は文句があるかもしれない。展望台に上るエレベーターに入ったところで、また伝1号氏、今度は「しまった」とややうろたえ気味である。そう言えば、こいつ高所恐怖症じゃなかったか?(駄弁者の駄弁99年8月参照)まったく、入る前に言えばよかろうに。聞いてみると、けっこう大きめの建物だったので大丈夫だろうと思ったのだとか。一応、展望台を1周したのだが、伝1号氏は極力窓際に近寄らないようにしていた。
 その後当初の予定通り中華街。関帝廟に詣でたあと、適当な店に入って昼兼晩飯。それにしてもここの中華街は、広すぎる。神戸の中華街を一本の線で表現するなら、横浜のそれは面である。1度や2度行ったぐらいでは、とても全部は回りきれないように思える。とりあえず今回は、たまたま入った店の料理もうまかったのでよしとしよう。次来るときはもう少し気を入れて歩いてみるか。
 空きっ腹を満たしたところで関内駅まで戻り、JR線路を渡って古本屋の集まっているらしいモール街へと向かう。「全国古本屋地図」の地図では古本屋が連なっているように見えたのだが、実際歩いてみるとその間隔はかなり大きく、集まっていると言うよりは点在しているといった方が近い。あまり大きい店はなかったが、その中ではオデオンビルというかなり古びたビルにある「古本店街」がSFなど文庫の品揃えが一番よい。ここでレズニック「パラダイス」を発見。結局買ったのはこの1冊きりである。荷物もなくてあとは帰るだけという状態だったらもう2冊ぐらいは買っていたかも知れないが。
 笑ったのは「ミナトブック」という古本屋…というか雑貨屋(?)。「全国古本屋地図」に「店頭はちょっと古本屋とはわからない」と書いていたのだが、それもなるほどと頷ける。全然本が表に出ていないときた。で、中に入ったら掘り出し物が…というわけでも、まったくない。乱雑に文庫やマンガが積み上げてある間に、理科の実験で使ったような天秤バカリやら、カメラやら置物やらが陳列…というか置き捨てられている。ちょっとした異次元空間のようで、これはこれで見る分には面白いが、何かを買おうという気には、間違ってもならない。
 モール街を一往復したころには日が暮れていた。今日の放浪は以上で切り上げ。…その後もう一度飲みに出て、目当ての店を見つけられず近辺をウロウロをさまよったことは、わざわざ話すことでもないだろう、うん。、
(8/13)


 今日は中部オフ2nd。
 前回の場所は名古屋だったが、今回は岐阜。踊るらいぶらりあん女史が「涙が出るほどおいしい」串揚げの店に連れていってくれるのだそうである。
 集合場所のJR岐阜駅に到着してほどなく、SFマガジンを手にしたNALさんを発見。やたら重そうなカバンをひっさげている。昼間に岐阜の古本屋めぐりをしていたとのこと。今日の日中は35度近くあったと思うのだが…。まあ大漁だったそうなので、流した汗は報われたいうところか。ついで到着した踊るらいぶらりあん女史の手にも、本を満載した紙袋。こっちは私がリクエストした「デルフィニア戦記」全18冊である。多謝。
 あともう一人が来ないな、と周りを見回していると、踊るらいぶらりあん女史が「斜線都市」を持ったこじましゅういちさんを発見。なんでも一時間ぐらい前からこの辺にいらっしゃったとか。すると、20分近くもお互いに気付かなかったということか…。
 女史の案内で「花友禅」に向かう途中の話題はSF…ではなくて、女史の飼猫・玉三郎君のことである。彼の話題については女史のHP「ときどき通信」をご覧になっていただくとして。彼女の両腕は玉三郎君の噛み傷(ひっかき傷じゃないのか?)で、なかなか見ごたえのある様相になっていた。そういえば、うちの犬が小さかった頃は私の腕もあんなもんだったかな。
 10分ほど歩いて目的地に到着。まずNALさんとの初顔合わせと残り3人の再会、そしてこじまさんの<bk1>書評デビューを祝して乾杯。そして期待の串揚げは…。
 本当にうまかった。「涙が出るほど」と言うだけのことはある(いや、泣かなかったけど)。こじまさんやNALさんが話しているのをそっちのけで、しばし食べる方に専念してしまったほどだ。
 料理と酒が一段落した頃、加藤隆史さんが到着。急用で来られないかも、とおっしゃっていたがどうやら間に合ったようである。さて、もう一回乾杯のやり直し、と。
 最初に読んだSFは何だったか、という話になったのだが。雑誌「ASCII」のバックナンバーから入った、というのがこじまさん。岐阜出身の加藤さんと踊る女史は、ローカルラジオのパーソナリティが紹介していたディックなどからだそうだ。うーむ、色々あるんだなあ。アシモフのロボットものから入って「ファウンデーション」「幼年期の終わり」、その合間に「スタートレック」という私の出自は、芸がないというか、なんというか…。
 二次会の店もやはり女史の紹介(頼りっぱなし…)。ズブロッカを飲みながら、加藤さんと話す。銀河帝国や宇宙連邦といった恒星間国家がでてくるSFで、その経済をきちんと描写できた作品があるだろうかとか、知識や情報が多岐・広範になった現在では、昔ほど多くの人を納得させるミステリは書きにくくなっているんじゃないかとか、わりとハードな話題になっていた…ような気がする。
 そんなこんなで10時半ごろ、一番家の遠いNALさんが一足先に帰ったのをきっかけに、他の面々も解散することに。私としてはもう一杯ぐらい…というところだったが、まあいいか、どうせ第3回もあることだろうし。
 というわけで踊るらいぶらりあんさん、NALさん、こじまさん、加藤さん、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。
(7/22)


 今年もやってきました、夏休みモード。日曜日の図書館はかなり混雑してきた。小中学校は休みにはいるのがもう少し先なので、感想文/自由研究系はまだピークには遠いが、大学あたりの課題関係と思われるレファレンスがわりとたくさん届く。
 しかしね、今いらっしゃった学生さん、レポート課題を書いた紙をそのまま突き出して、「この問題について書いてある本はありませんか?」は、ないんじゃないですか? そりゃま、できるだけ楽したい気持ちは分かりますが。向学心とまでは言わないにしても、せめて見栄とかプライドとか、持ちましょうよ。
 しかし、私も毎年同じような愚痴をいっているなあ…。
(7/16)


 京都の清水寺からの寄贈本。
「実録・清水の舞台から飛び落ちる」
実録、ってホンマに飛び降りるんかい、と礼状書きながら思わずつっこんでしまったのだが、中身を見てみると、
…ホンマに飛び降りる話だった。
 中世からの民間信仰で、清水の舞台から飛び降りて無事生き延びたら願いが叶う、というのがあるらしい。ついでに、もし死んだとしてもそのまま極楽浄土に行けるんだそうな。シンプルというか、豪快というか…。
 あんまり飛び降りる奴が多いので江戸時代中には何回も禁令が出たが、ほとんど守られなかったらしい。明治になってから、とうとう竹矢来を組んで強行阻止に至る…とのことだ。ちなみに残された記録を集計すると、生存率(ということは大願成就率?)は85%。…結構みなさんしぶといようで。

 上のように、お寺さんからたまに来る寄贈は、意外と面白いものがあったりする。前にも永平寺から道元禅師の著作の点字版が贈られてきたことがあったし(こっちは読めなかったが)。
(7/5)



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