SF名文句・迷文句第8集

このところ文句がだんだん長文化しているような気がするんですが。 

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…千光年の彼方より、炎の海に生まれ棲む巨大な竜が目覚めし時、狂気のフォースが迫り来て、天地は闇に飲み込まれ、やがて光は打ち砕ける。…

 出典: コナミ製作「沙羅曼蛇(シューティングゲーム)」

紹介 :W^2 様
HP :

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 アーケードにはじまり、ファミコン、MSX、X68、PCエンジン、プレイステーション等々あちこちに移植されたシューティングゲーム「沙羅曼蛇」シリーズの『炎の予言』から。
 ちなみに上記の予言は謎の敵、亜時空星団「バクテリアン」の特殊部隊「サラマンダ」軍が水の惑星ラティスに侵攻、ラティスの王子が自らの名を冠する時空戦闘機「ロードブリティッシュ」でこれに果敢に立ち向かうもずたぼろに敗退、惑星ラティスがグチョグチョでヌメヌメの生体組織まみれになってしまうことを予言したものらしい。
 この後、復讐に燃える「ロードブリティッシュ」が唯一バクテリアンの侵攻をはねのけた惑星グラディウスに助力を要請、助っ人の超時空戦闘機「ビックパイパー」を引き連れて雪辱戦に赴いたのがゲーム本編なのである。
 また、マシンスペックの限界に挑んでいたMSX版「沙羅曼蛇」は他機種とは微妙に設定が異なっていて、この予言はあくまでも一部であり、主人公達は敵との戦闘と平行して失われた予言の続きを捜すというミッションの為、予言解読機能を持つコンピュータを搭載した専用機を駆っていた。戦闘中に偶然、予言の続きを発見することができれば遥か古代に滅亡した民族の英知の結晶たる『予言』がその面のボスの弱点やアイテムの存在を教えてくれたりしてストーリーに深みを与えていたのである(笑)
 まあ、極悪な難易度(おまけに真のエンディングを見るには別売りの「グラディウス2」が必要!)を誇っているMSX版「沙羅曼蛇」では予言を見れても先に進むのは至難の技だったのだが・・・

駄弁者:
 偶然ですが、前集に続き、今回のトリもゲーム出典です。
 ゲームからの投稿、と言う場合、私の念頭にあったのはRPGとかADVだったんですが…シューティングできましたか。こんなストーリーがあったんですね。
 わたしはこのゲームはやったことないです、というか反射神経がついていきません。元祖グラディウス(MSX版)がやっとというところでしょうか。グラディウス2は3面までしかいったことないし…。



「『腹が減っては戦ができぬ』――今回の謎はこれに尽きるのだ。…(中略)…クトゥルーは飢えている。腹が減って動けぬのだ。そして、次の星辰が巡り来るとき、彼に滅亡の力を振るわせることができるのは、君の料理だけなのだよ。」

 出典: 菊地秀行「妖神グルメ 第四章 原子力空母VS海魔」

紹介 :W^2 様
HP :

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 クトゥルー神話に登場する邪神達、かりにも、<神>と呼ばれるほどのもの達が何故、はるかな過去にかけられた封印を自らの力で断ち切り、この世に現出していないのか?についてを解き明かしている一言。
 菊地秀行特有の文章表現もあいまって読み進んでいると何か、異常に説得力が感じられる(笑)
 ラストの「クトゥルーの腹を満たす料理」というのもひどくぶっとんでいるのだが…
 しかし、クトゥルー神話大系をこの作品から読み出したのって私ぐらいのものなんだろうなぁ…

駄弁者:
 私の場合、クトゥルーものは大昔に風見潤「クトゥルー・オペラ」(ソノラマ)で読んだのが最初ですね。あと栗本薫の魔界水滸伝とか…。元祖ラヴクラフトもいくつかは読みましたが。
 邪神に食べさせる料理ってのも、あんまり想像したくないですねえ。



 宇宙は、無限である。この無限という意味を考えていただきたい。どのような叡智をも飲み込むだけの果てしなさを持ったもの、という意味である。その果てしなさに対して、永遠に叡智を放出できるのもまた人類でしかない。その叡智と気力、そして、精神を、なぜ人は、他人にぶつけることだけで満足して死んでいけるのか?
 それが、人に与えられた使命ではない。
 神は、宇宙(そら)駆ける者として人を創造されたのである・・・

 出典: 富野由悠季「機動戦士Zガンダム 第四部 ザビ家再興」

紹介 :ふいごのマロウ 様
HP :

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 富野由悠季・・・ガンダム・・・何書いても、物投げられるな。
 出典は小説版『Zガンダム』での、キャスバル・レム・ダイクン=エドワウ・マス=クワトロ・バジーナ=シャア・アズナブル氏の演説から。
 やっぱ、敵役に魅力があるから、『ガンダム』はおもしろいんだよねえ。『Zガンダム』になると、誰が敵なんだかさっぱりわかんないけど。ストーリーの難解さでは、『2001年宇宙の旅』並とのうわさも・・・さらに、ややこしいのが、小説版『ガンダム』では、主人公のアムロ・レイがあっさり殺されるんで、話に連続性がないところ。
 まあ、いいけど。

駄弁者:
 とりあえず、「Z」までは話を知ってます。連邦軍で強権をふるうエリート組織<ティターンズ>に対し、主人公カミーユをはじめ、アムロやシャアまでが反地球連邦組織エウーゴのもとに集い戦うというのが大枠。途中で、ジオンの残党が出てきたり、木星帰りの謎の男シロッコがメイン悪役になったりと、展開はかなり無茶苦茶のうえどこか中途半端でしたが。
 しかしこのシャアのセリフ、軍人というより政治家というより、哲学青年ですね。「ガンダム」を見てて気になるのは、とにかく戦闘中に登場人物がしゃべりまくること。シャアにしろアムロにしろカミーユにしろ、哲学論戦わせながら、よくモビルスーツを操縦できますね…。さすがニュータイプ。(もっとも、ご投稿のセリフはモビルスーツのコクピットでなくて、ちゃんとした演台でしゃべったものだったと思いますが。)
 確実に物投げられそうなコメントになってしまいました・・・。



「間違った事してないよね。正しい事したんだよね・・・・」

 出典: 富野由悠季「無敵超人ザンボット3」

紹介 :やん 様
HP :

コメント:
 地球を襲うガイゾックと戦い続けた、勝平ら神ファミリー。しかし、その戦いは感謝されるどころか他の人々から、常に憎悪の的になっていた。最終回にガイゾックの正体は、宇宙に悪意を持つ物をやっつけるコンピューターという事があかされる。人間はエゴがあるから悪い存在なのだと言い切るコンピューターに対し、「そんなことないやい。」と言い切る勝平の言葉もどこか空しく感じてしまう。
 大気圏に突入していく勝平の乗るサンボエースを助けるためキングビアルも燃え尽き、勝平を残し神ファミリーは全滅する。落ちていくザンボエースの中で涙を流しながらつぶやいたこの一言「間違った事してないよね。正しい事したんだよね・・・」(随分昔だったので間違っていてもつっこまないでね。)
 地球に落下したザンボエースの回りに香月ら友が集まり、多くの人の輪ができる。勝平をねぎらうように・・・・感動の最終回でした。

駄弁者:
 小さい頃見てた記憶はあるんですが、話はおろかロボットがどんなだったかも忘れてしまいました。
 …なのに、主題曲イントロの「ざざんざーざざん♪」だけなんで覚えてるんでしょう?
 こんな重たい最終回だったんですね・・・。



「アメリカ製だって、ロシア製だって、部品は全部メイドイン台湾だ。」
(ロシアの宇宙飛行士レブ)

 出典: マイケル・ベイ(監督)「アルマゲドン」

紹介 :やん 様
HP :

コメント:
 それを言っちゃあ身も蓋もないだろうと言う感じですな。
 さらにこのあと、「もう嫌だ帰りたい」とかいって部品をなぐりたおしたりしちゃうんだなこれが。しかもそれで故障が直っちゃう。ミールもこうやってなおしったって・・・
 見終わったあと自爆したブルース・ウィリスより印象に残ってしまった。

駄弁者:
 たしかにミもフタもないですねえ・・・。
 しかしこのセリフ10年前…いや20年前ならきっと「メイドイン・ジャパンだ」だったんじゃないでしょうか。今は台湾とかコリアとかの方が強いですから。日本製でもメイドイン台湾だったりします。
 ミールは殴っても直りそうにない気がしますが・・・。



僕が…結論を出すとすれば…迷うことなんか何もない。百回答えろといわれても答えはひとつ!!
…(中略)…
地球へ帰るんだ!!地球へ帰ってそこで暮らしたいんだよ!!

 出典: 松本零士「1000年女王」

紹介 :伝道の犠牲者1号 様
HP :

コメント:
 「1999年の名文句」の一つ。
 ひょっとすると、年が明けて2000年になってからのセリフかもしれないが…
  ”地球”って事はないにしてもこのようなことを何度も考えながら、私は、帰るという冒険を出来ずに、現在に至っている。

駄弁者:
 「999」や「ヤマト」はファンですが、「1000年女王」は話を知りません。どうコメントしましょうか。
 ともかく帰るところだろうと、行くところだろうと、目的が自分で分かっているのうちは、幸せなんじゃないかと思います。恐いのはそれを見失うこと、もっと恐いのは見失っているのに自分で気づかないこと、ではないかと。



人間どうしが直接心で話せたらどんなにいいかとういうのは、彼女のかねてからの切望だった。
  …(中略)…
 言語は、いともたやすくおとがいの相違をやわらげ、小さくして、ものごとがスムーズにはこぶようにしてくれる。そのおかげで、真からわかりあっているとはいえない者どうしがうまく折り合っていけるのだ。理解しあっているという幻想があればこそ、人びとは現実以上に自分たちが似ていると思う余地がある。

 出典: オースン・スコット・カード「ゼノサイド」(田中一江訳)

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 さらにエンダーものから。
 余所では“テレパシーでもない限り人の心は分からない”なんていったりしてますが、ここではテレパシーはむしろ分かり合う(分かり合ったつもりになる)には障害となるようですね。
 いささか逆説めいてもきこえますが、なんとなく正鵠を得ているような気もします。
 でも、隣の人の頭の中はエイリアン・・・・ いやな世界です。
 また「ワーシング年代記」のスワイプの描写に比べるとかえって現実的な感じもしたりしました。
 しかし、このシリーズに落ちはつくんだろうか? 冷静に考えると粛正艦隊は以前ルジタニアへ接近中では。

駄弁者:
 私もテレパシーは人間関係に問題が多いと思います。「隣の人の頭の中はエイリアン」とコメントではおっしゃってますが、むしろエイリアンの方がましだと思います。頭の中を読めても読まれても、お互い異質な存在だからと納得できます。恐いのはテレパシーで読んだことを理解できて、自分の内に同じものを認めてしまう、そしてそうされてしまうことですね。
 なお、このシリーズは一応未訳の第4作「Children of the Mind」で一段落ついているようです。早く訳が出ないかな…。



 ノルド語は、異人性に四つの等級を認める。
  …(中略)…
 第三はラマン(raman)──わたしたちが、人間ではあるが別の種として認識する、よそ者。第四は、真の異種族(エイリアン)、ヴァーレルセ(varelse)、…(中略)…こうしたノルド語の異人性の等級からすれば、エンダーが異類皆殺し(ゼノサイド)の真の実行者ではなかったのだとわかるは──というのも、彼がバガーたちを滅ぼしたとき、われわれは彼らをヴァーレルセとしてしか知らなかったのだから。

 出典: オースン・スコット・カード「死者の代弁者」(塚口淳二訳)

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 結構長いんですが再びエンダーものから。
 バガー戦役も過去のものとなり、デモステネスの発案により人類と異種知性体との関係のあり方については決着がついたようにも思えます。
 でもこれって、アシモフのロボット工学の第零法則と同じでほとんど解決になってないんですよね。後半部の台詞がそれなんですが、本文ではこの後さらに人の善悪はその人の意図によって判断されるべきか、それとも行動によって判断されるべきかという話題になります。(大工とセイウチ、どっちが悪い? by鏡の国のアリス)
 でも、もっと問題なのは「ゼノサイド」でも問題になるのですが、“人間はラマンなのかどうか”、“ヴァーレルセとの共生は本当に出来ないのか”です。
 他にも、人間が異種知性体に対しこのような分類を適応することが許されるのかも問題になるのではないでしょうか?
 結局これはスタート地点にすぎないわけですね。

駄弁者:
 まあ、長いのはいいとして、あまり「中略」が多いのは名文句としてあまりエレガントではないですね…。いつもたくさん投稿して下さるテンダーのゲームさんにだから言ってしまうのですが。

 書かれていない2つを補足すると、第一は同じ世界の異郷からきた同種族を意味する「ユートレニング」、第二は違う世界から来た異種族である「フラムリング」となります。
 たしかに、この四等級は、考える枠組みを提供はしてくれますが、解答を提供はしてくれませんね。ヴァーレルセならばそれを滅してよいのか、という疑問は当然出てきます…「ゼノサイド」のクァーラが言うように。



彼のシニカルな瞬間には──それは、よくあるのよね──彼はわたしに指摘したわ、<同盟>が完全に瓦解してしまうのを自分が許しておいたなら、世界を、ばらばらにひとつずつ征服していかなきゃならないだろう、って。<覇権政府(ヘゲモニー)>が存在する限り、彼はそれを一個の塊のまま頂戴できる。

 出典: オースン・スコット・カード「エンダーのゲーム」(野口幸夫訳)

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 エンダーのゲーム単体で一番好きな台詞は「敵のゲートは下だ」ですが、続編との関係を考えるとこの台詞のほうが好きです。
 結局のところ、残酷なピーターは世界平和に貢献し、優しい(テンダーな)エンダーはゼノサイド・・・・(エンダーも最初は英雄ですが)
 世間の人(特に「死者の代弁者」の時代)から見ると二人のペルソナが入れ替わってしまってしまっているわけですから世の中皮肉なものです。(もっともあの“インデックス”の本を書いたのは初代死者の代弁者御本人なんですが)
 それにしてもアブナー・ドゥーン・・・・ こんなところにも出没するとは。(←誰? という人はワーシング年代記を読んでください)

駄弁者:
 地球の<覇者>となったピーター・ウィッギン…エンダーの実の兄。本質的には残酷な人間ですが、あるいはマキャベリあたりなら、彼を理想の統治者と見たでしょう。個人的に接触しない限りは、彼は「名君」だっただろうと思えます。
 エンダーはこの兄の冷徹さと姉ヴァレンタインの共感力を兼ね備えた存在ですが、彼の内にあったピーターは、はたして本物のピーターと同じように名<覇者>となるのでしょうか(このあたりの真意は「ゼノサイド」を読んで下さいね)。



「おまえは、答を得た問である。…(中略)…野に咲くところの花である」
「私は野に咲く花であります」

 出典: 夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子(下)」

紹介 :りんご様
HP :

コメント:
 本来、改行している部分(駄弁者註・改行せずに「…」を入れました。)には文章があるんですが、セリフだけに絞りました。この作品は本全体に仕掛けがあって、今手に持っているのはある一つの宇宙ではないかという気にさせられます。
 手元には文庫しかないんだけど、初めに読んだのは大判でした。どっか書き替えてあるらしいけど覚えてないから判らない。話には影響ないそうだし。
 大判はねぇ、挿絵がグロくて、それが原始のグロさというか深海魚のグロさでさ、思いのほかインパクトあったらしくて、夢に巨大オウムガイが出てすごく恐かった思い出しかありません。見る人によってはそう大層なもんでもないと思いますけど。

駄弁者:
 大長編「上弦の月を喰べる獅子」。大判は、ちょっととっつき悪そうなイメージでしたね。文庫が出たのは、去年か一昨年でしたか。「螺旋」にまつわる話がどうとか聞いていますが、駄弁者はまだ読んでません。興味はあるんですが。
 巨大オウムガイ…それは、恐い。全然関係ないですが、私は巨大プラナリアの夢を見たことがあります。学校のリノリウムの床をぬめぬめ這っているのを。



「いまから100年もたてば、未来の人間はわれわれをふりかえって笑うだろう。未来人はこういう。”知ってるかい、むかしの人間が信じてたこと? 光子や電子があると思ってたんだぜ。こんなばかげた話、信じられるかい?”そういって、みんなは大笑いする。なぜならそのころには、もっと新しくて、もっと立派な空想ができあがっているからだ。…(中略)…
 太陽を眺め、空気を吸うこと。それ以外のものは、みんな本物じゃない。さあ、コンパスを見てごらん、どっちが南か言ってごらん。目的地はプエルココルテスだ。いよいよみんな、家に帰れるんだよ」

 出典: マイクル・クライトン「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク2」(酒井昭伸訳)

紹介 :NOP 様
HP :

コメント:
 映画化され、空前の恐竜ブームを巻き起こした恐竜小説の第二段、「ロスト・ワールド」からです。このセリフは、小説のエピローグにおいて、恐竜絶滅の原因や地球上における人類の役割について、議論を戦わせているその横で、老教授が子供達に語りかけるセリフです。
 この小説では恐竜絶滅の謎をカオス理論に引っ掛けたりして楽しませてくれます。
 「ジュラシック・パーク」もそうでしたが、マイクル・クライトンの原作はけっこう理屈っぽいのですね。映画は単なる冒険パニック映画になってしまっててちょっと残念でした。

駄弁者:
 現在の私たちは「天動説」を笑いますが、今絶対と思われている理論も未来には「天動説」のような笑いの対象になっているのかも知れません。そしてその未来で受け入れられている理論も、さらに未来には…。

 映画は映画で、ビジュアル的に大感動だったんですけどね。とくに1作目の最初で、ブラキオサウルスが後ろ足で立って草を食べるシーン。思わず嘆声あげてしまいました。小説とは別物と割り切ってしまう方がいいでしょう。私も「諸悪の元凶」ハモンド社長の描き方が小説と映画で正反対なのは不満なのですが(<−つまり、割り切れていない)。
 小説はカオス理論や複雑系と話を絡めたあたりが非常に巧みでした。



「ねえ、お父さん。どうしてぼくなの? どうしてぼくなの?」

 出典: コードウェイナー・スミス「ノーストリリア (人類補完機構)」(朝倉久志訳)

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 “人類補完機構唯一の長編!”
 甘美な響きです。
 本当はもっと書いて欲しかった、というのが万人の思いでしょうが。
 この物語は押し詰めればロッド・マクバン151世自身の自我の確立(自己の唯一性とその重要性の発見)が主題だと思います。そして最後の台詞は今度は彼の息子がそれを行わなければならないことを暗示しているのではないかと勝手に解釈しています。一つの終わりは一つの始まり、といった感じではないでしょうか。
 似たような状況がロッド=エリナーにも起こっていますね。
 もっともこの作品は脇道の部分も非常に魅力的で、随所に<人間の再発見>とその活気を感じることが出来ます。
 ところでレイディ・アリス・モアってこの名前で登場したことってありましたっけ? サン・トゥーナでしか出てないような気がするのですが、読み落としでしょうか?
 その上に人気キャラ総出演に近いですですもんね。(時代的にジョーンとかは出てませんが)
 それにしてもロード・クルデルタって本当に長生きしてますね。年表を見て驚きました。

駄弁者:
 名文句でもすでにお馴染みの「人類補完機構」シリーズより、長編「ノーストリリア」ラストの一節。
 不死薬の生産で巨万の富を持つ惑星オールド・ノース・オーストラリア・通称ノーストリリアでは、厳格な人口制限のため、成人として不適格な者を安楽死させている。小説の主人公ロッド・マクバン151世は辛うじてそのテストをクリアしたが、その20年後、同じテストを受けた彼の息子である双子のうち、ひとりは不合格になってしまう。残されたもう一人、ロッド・マクバン「152世」が叫ぶように父に問いかけたのが、この台詞。
 「めでたし、めでたし」で終わるかなと思いきや、最後の最後で重たい衝撃をくれたものです。スミスはこの152世のエピソードも書く予定だったのでしょうか。
 下のご投稿以上に人物紹介が要りそうですが、止めときましょう。「人類補完機構」を読むのが一番です。なお、この「ノーストリリア」は他の作品の集大成的な部分が多いので、最後に読むことをお勧めします。



委員会で議論している時間はないんだ。

 出典: ドナルド・F・グルート (原作:ジョージ・ルーカス)「STAR WARS:EPISODE V・帝国の逆襲」(石田享訳)

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 ノヴェルズの新訳版からです。
 委員会!
 スター・ウォーズの世界において“委員会”は役立たずと同義語です(?)。官僚たちが細かい規則にいちいち拘泥し、時間ばかりが過ぎていく・・・・ “会議は踊る、されど進まず”って感じですね。
 EPISODE I でもアミダラ女王がきれそうでしたし、その娘レイア・オーガナ・ソロも新共和国ではいろいろと大変ですからね。(大抵はボークス・フェイリャ議員が議会延長の諸悪の根元な方です。ちなみに彼はアクバーと仲が悪いことで有名です。)
 スター・ウォーズの反乱軍こと新“共和”国なんですが、独断専行型のキャラが多いですよね。
 ハン・ソロはそのままだし(?)、帝国の逆襲ではルーク・スカイウォーカーも勝手にヨーダのもとを訪れてたわけですからね。帝国の影ではレイア・オーガナ(当時)だって公私混同でハン・ソロ探しをやっていたんですから。あとモン・マスマは裏で何やっているかわからないし・・・・皆さん委員会を邪魔物扱いしておられます。どうでもいいけどレイア・オーガナ・ソロとモン・マスマは元老陰議員をなさっていたはずなんですがね。
 そんなわけでスター・ウォーズのキャラは平時より非常時の方がすごく生き生きしてるんですよね。

駄弁者:
 「委員会」の悪名高さはアメリカでもどこでも同じようで。デイヴ・バリーなんかは「アメリカ人が納屋を造るときはまず、納屋設計者選定委員会の委員選びに何週間かかかる」(「デイヴ・バリーの日本を笑う」より)なんて言ってます。
 ちょっと人物紹介が要るかな?私が知ってる範囲に限られますが。
 ボークス・フェイリャは小説オリジナルの登場人物で、新共和国の政客だったと思います。アクバーはEp6「ジェダイの逆襲」で同盟艦隊の指揮をとってたナマズ星人…もといモン・カラマリ人提督。モン・モスマはこれも「ジェダイの逆襲」にちょこっと出てたと思いますが、同盟の一番偉い人…正式な肩書きは忘れた…です。



「どうしても墓所にいくというのだね。時々そなたのような者が訪れる。200年ほど前にもそなたによく似た少年が訪れた。…(中略)…『人間を救いたい』と書き残してあった。それにヒドラを何匹か連れ出した。」
「ヒドラを!? その人はまさか・・・・」
「最初の神聖皇帝になった。」

 出典: 宮崎 駿「風の谷のナウシカ 第7巻」

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 これはSFですよね。まあ、このコーナーは誰かがSFだと言えばSFのようですし。
コミック版は7巻まで来ると映画の面影はほとんどありません。よって、映画しか知らない人にはコメントの意味がさっぱりだと思います。
 まさに、“歴史は繰り返す”です。
 大海嘯がおきてしまった絶望的な世界の中で、巨神兵オーマを連れて墓所を閉ざしに向かうナウシカのもとに現れ、真実の一部を垣間見せたヒドラの台詞です。
 すべての悪因とも思える初代土鬼神聖皇帝も、ナウシカと同じ動機で動いていたというのです。この事はナウシカもそうなる危険性を暗示するとともに、繰り返される時の流れの前で人間の存在の儚さと愚かさを感じさせます。
 もちろんナウシカはそんなことで挫けたりはしませんでしたが。
 それにしてもこの作品の伏線には驚きました。トリウマは人間が哺乳類のウマを改造したものだというちょっとした台詞が、こんなところに来て重要な意味を持つとは・・・・
 あとヒドラに関しても、前巻で皇兄ナムリスがヒドラに改造されていることで、逆に人間そっくりのヒドラの存在も暗示されていたわけですね。

駄弁者:
 まあ、文句なくSFで通るでしょう、これは。
 私は、そういえば5巻までしか読んでません。神聖皇帝が登場しはじめたあたりまでです。ああ、あの人、自分もヒドラだったんですか。
 確かにコミック版と映画は全然違いますね。映画もいいことはいいんですが、話を2時間枠にぶったぎってしまうためか、ラストが強引な気がします。



“ドアのなか”をのぞくと、都市の夕暮れを眼下に見わたせるのである。エレインはその美しさと意外性に息をのんだ。
見よ、開いたドア−−そのかなたには別世界。

 出典: コードウェイナー・スミス「クラウン・タウンの死婦人」(伊藤典夫訳)「シェイヨルという名の惑星』に収録

紹介 :テンダーのゲーム 様
HP :

コメント:
 台詞ではないですね、これ・・・・ まさに誤謬の産物でしょうか?(←誰か分かって)
 ドアを開けた先に別世界・・・・ というのは、ファンタジーに多そうな設定ですが、これは完璧なまでのSF的設定で見事に幻想的な雰囲気を醸し出しています。(“どこでもドア”も似たようなものですが、“幻想的”ではないですよね) スミスの作品は幻想的なものが多いですが、特にこのシーンは私のお気に入りです。
 「あなたはもう結末を知っている」 この書き出しも最高です。
 この作品は<人間の再発見>への序章とでもいうべきもので、残念ながらク・メルは出てきませんが、代わりに第一世ロード・ジェストコースト出生の秘密とジェストコースト家の狂気の原因が明かされます。
 ただこれを読む際には多少なりともキリスト教の知識があった方がいいかもしれません。《私用チャンネル、テレパシー、即刻》の合図なんかはもろに祝福の仕種ですしね。ジャンヌ・ダルクについては後書きにも書いていましたが史実のジャンヌ・ダルクと比べるとジョーンはほとんど別個のものですから、意味がないかもしれません。
 個人的には、最初のレイディ・パンク・アシャシュとエレインの会話に、聖ミカエルや聖マルグリットの乙女ジャンヌへの語りかけに近いものを感じました。その声に従い、エレインは古ぼけた剣ならぬ廃棄前の下級民に出会うわけです。

駄弁者:
 この作品の書き出しは私も好きで、「名文句」の第1集にも載せているぐらいです。
 たしか犬娘ド・ジョーンの話でしたよね、これは。猫のク・メルに比べるとあまり話題にならないような気がしますが、なんででしょうね?彼女たちの「反乱、あるいは革命」シーンはかなり印象強いと思うのですが。
 キリスト教がらみは、ちょっと知識不足で作品を読んでいても分からなかったんですが、それでも、良いものは良いですよ、やはり。



「・・・そんなものにはなれないって事を成績表が教えてくれた・・だから宇宙軍に入った。」

 出典: 山賀博之「オネアミスの翼 王立宇宙軍」

紹介 :やん 様
HP :

コメント:
 うーん、この年齢になるといろいろ少年の頃をおもいだしますねー。
 いろんな夢があってなんにでもなれるような気がしてたけど、気がついたら自分がなれるものを探していたなー。でも、充実した毎日は心がけしだい。そんなことを教えてくれる映画だったな。

駄弁者:
 本当は水軍のパイロットになりたかったシロツグが、まだ人ひとり飛ばしたこともないしょぼくれた<宇宙軍>に入隊した理由。しかしある日を境に彼の人生は一変する…。
 「オネアミスの翼」、かなり前の作品ですが、私の感覚では全然古びてないですね。
 自分がなりたかったものになれる人はごく一部、そのなったものが自分のイメージ通りである人は、その中のさらにごく一部なんじゃないかと思います。人間いたる所に…、というところですか。



「それでも・・・それでも・・・<船>は動いているんだ!」

 出典: ロバート・A・ハインライン「宇宙の孤児」(矢野徹訳)

紹介 :<学生> 様
HP :

コメント:
 世代宇宙船ものの傑作。船内で生まれ、船内で育った<船>の住人たちは、<船>こそが「世界」そのものであり、<船>の外には何も存在しないと信じて疑わなかった。
 住人の一人、ヒュウ=ホイランドは真実に気がつき、<船>が動いていることを主張。異端者として宗教裁判にかけられる。自分の主張が容れられないヒュウは上記のように叫ぶ。
 もちろん、ガリレオ=ガリレイの「それでも地球は・・・」のパクリ。しかし、妙に迫力がある。真実を追求する者の信念の普遍性を表現した名文句だと思う。

駄弁者:
 ハインライン<宇宙史>を構成する一作品。私はなぜか第一部のタイトル「大宇宙」の名で覚えていました。…読んだことはないのに、何ででしょう?
 船が目的地に着いたとき初めて、彼の叫びは人々を振り向かせるのでしょうが…、もしそうならなくても言葉の重みに変わりはないでしょう。



「一度でいいから…たったの一度でいいから、すべてが完璧に進行する任務を指揮したい。トランスポーターが完璧に作動して…ワープ航宙もインパルスエンジンも好調で…保安部員がだれ一人かすり傷も負わず…(中略)…たった一度でいい。やはり、ぜいたくなんだろうか?」

 出典: A・C・クリスピン「宇宙大作戦・時の壁を越えて(上)」(斎藤伯好訳)

紹介 :司書の駄弁者
HP :

コメント:
 下のご投稿と対をなすこちらの「迷」は「スタートレック(元祖)」より。闘いの哲学と手ごたえのある敵を週1ペースで満喫しているカーク提督のお言葉です。例によって(笑)スポック、マッコイとともにアクシデントに陥っている最中。
 はっきり言ってあげましょう。それはぜいたくです。

 このような楽屋オチ的セリフは、多すぎると白けますが、ポイントをしぼって使ってくれると笑えます。



シグナル「闘いの哲学も!勝利の美酒も!電脳をズン!!っと刺激するよーな手ごたえのある敵もない! 憎い!この何もない田舎が憎いーーーーーーっ!!」
信彦「……平和があるよ」

 出典: 大清水さち「ツインシグナル」

紹介 :図書室のねーちゃん 様
HP :

コメント:
 難しい話は抜きにして、思わず笑ってしまった初期の迷台詞を。平和な田舎だからこそ最先端技術の塊のシグナルが平気でその辺歩けるんですが……。こんなこと言ってたうちは確かにまだ平和でした。信彦のつっこみもナイスです(^^)
 シグナルくん、起動したてで、井の中の蛙状態のころの台詞。まさかこの後、同じ格闘タイプのパルスどころか 情報処理専門のオラトリオやカルマ、自分のサポートロボットのはずのコードにすら勝てないとは思いもしなかったでしょう。(敗因は起動したてのシグナルが自分の能力を使いこなせていないことと、稼動年数…経験値の差です。)

駄弁者:
 「おらこんな村イヤだ」ロボットバージョン。
 さて、負けたあとのシグナル氏は、少しは平和のありがたみを感じたでしょうか(読んでませんが、絶対感じなかったでしょうね…)。



「未来が見えないって自由でいいね」

 出典: 星野架名「世紀末堕天使を探して」

紹介 :図書室のねーちゃん 様
HP :

コメント:
 ついこの間手放したばっかり(^^;)なのでちょっとあやふやです。
 確か1999年が舞台だった……はず。少なくとも世紀末なのは確かです(爆)。ストーリーはイマイチなじめなかったのですが、予知能力を持つ少女のこの台詞は目からウロコでした。

駄弁者:
 1999年の名文句、第3弾。結構あるもんです。
 未来を予知してしまったら、そうするまいと思っても、絶対それに縛られるでしょう。予知した未来に逆らおうとして、あれこれ挑んだあげく、結局予知したとおりにしかならないとしたら…、疲れるでしょうね。
 ちょっとハーバート「デューン」のポウル・アトレイデを連想しました。



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