読後駄弁
1999読後駄弁1月〜2月


・スーザン&ロバート・ジェンキンス「スタートレック生物学序説」,同文書院,1998.12
 年頭一発目がこれかい、という気がしないでもないが。スタートレックに登場する宇宙人、生物たちを科学的に解説するとどうなるか、というもの。言ってみれば「ゴジラ生物学序説」とか「空想科学読本」とかのST版。
 クリンゴン人やヴァルカン人、フェレンギ人の形態がその社会にどう影響することが考えられるか。またエピソード中に登場するさまざまな生命体…ホルタ(元祖スタートレック=TOSに登場)のような珪素生命、ダックスのように多種族の体内に共生する生命(DS9)、そしてしばしば登場する宇宙空間を住処とする生命、etc.etc.…が科学的にあり得るのか、またあり得るとしたら実際はどんなものになるのか。興味深い考察なのだが、元来が科学的考証は結構あやしいスタートレックのこと、フォローはなかなか苦しいものがあるようだ。
 それにしても、昔はカーク&スポックの「元祖」スタートレックだけ、ついこの間までならネクストジェネレーションを押さえておけばよかったのだが、最近は「DS9」、「ヴォイジャー」と増えてきて、私が知らない設定やエピソードが増えてきた。おかげでこの本を読んでも今一つピンとこない部分も出てきてしまう。「DS9」は(日本では)途中で放映が打ちきりになったし、「ヴォイジャー」にいたってはハナから放映されていない。ノヴェライズでも出ないかな。

 追記・後から聞いた話によると(Somaさん、ありがとう)、関西地域では「ヴォイジャー」も「DS9」も放映されているとのこと。う、うらやましい…! がんばれ名古屋。

 さらに追記・1999年から名古屋でも「ヴォイジャー」放映開始。めでたい!

・ロバート・シルヴァーバーグ「禁じられた惑星」,創元SF文庫,1975.4
 舞台となるのは惑星ボーサン、自己主張が猥褻な行為とされ「わたし」と口にすることさえ卑しまれる世界。そんな世界で「わたしはキノール・ダリヴァルであり、わたし自身に関する一切を語るつもりだ」と手記をつづる主人公。かつては王族として地位にも名誉にも富にも何不自由なく暮らしていたキノールがいかなる遍歴を経てタブーに刃向かう道を選んだのか、自伝の形で語られる。
 キノールがタブーを犯す直接のきっかけを作ったのは、あるドラッグ。それを他人と一緒に飲むと個々人を隔てる障壁がなくなり、薬が切れるまで人格や記憶を共有できるというもの。これに魅せられたキノールは友人知人と体験を共有しようとするのだが…。「自己主張」の復権を目指すのは大変結構、しかしドラッグを使って、言うなれば安易にそれを達成する、というのに私はちょっと首を傾げてしまう。話としては面白いとは思うのだけれど。

・ジョン・ヴァーリィ「へびつかい座ホットライン」,ハヤカワ文庫,1986.1
 以前から読みたいと思って探していた本。譲ってくれた「エクーメン公式支部会議」のカタノさんに大感謝。
 人類が超越的な力を持つ”インヴェーダー”により地球を追放されて数世紀。しかし人類は月、火星、小惑星など「八世界」に移住し一風変わった文明を謳歌している。へびつかい座方面から送られる謎のメッセージに含まれている、高度なテクノロジー情報がその繁栄のカギであった。禁じられている研究に手を染めたかどで死刑を宣告された主人公リロは、刑を免れる代償として月政界の大物の秘密計画に関わるうち、「へびつかい座ホットライン」の真意に近づいていく。ヴァーリィの連作シリーズ「八世界」ものの集大成(あるいは年末スペシャル)的作品。
 最近ちょくちょくクローンが話題になって、その倫理性などが取沙汰されるが、この小説ではそんな点は最初からクリアしてしまっている。だいたい主人公からして元々のオリジナルは序盤で死んでしまい、そこから先はクローンが活躍する。主人公のクローンは都合5人登場し、そのうち3人は場所こそ違え平行して存在するのだからすごい。舞台となる「八世界」は他にも性転換あり、臓器移植やサイボーグなどの人体変造あり、それに伴ってセックスの観念はあきれるほど自由、と要するにほとんど何でもありの世界。前段に書いた筋書きよりも、この独特な世界のあれこれを描写することがこの作品のメインテーマである。
 何でもありだからと言って、この世界に倫理観が希薄というわけでは決してないようだ。クローンを含めた遺伝子操作が日常的になっているにも関わらず…いや、それだからこそ人間のDNAに対する不可侵は絶対で、リロが死刑宣告されたのも、それを研究対象にしたことが原因。また直接的な暴力に対しても敏感で、小惑星の教育施設で子供が小さな子をぶっているのを見てリロがショックを受けるというシーンがある。そして閉鎖環境に暮らす関係上、子供を二人以上つくることは普通想像もできないほど倫理にもとることであるらしい。社会環境が変われば倫理観も変わる、考えてみれば当然のことだ。それに前世紀と比較して現在の私たちを考えてみると、明らかにセックスの観念は自由になっているし、多分暴力に対しても許容度は少なくなっている。となると「八世界」の一見奇妙な倫理観は私たちのそれと異質なのではなく、私たちが経てきた変化を極端に拡大したものと言えるかも知れない。
 物語について言うとラストのインパクトが何となく弱いような気がして、その点がほんの少し残念。もっともそれは途中の設定や登場人物が賑やかで印象強いことの代償と思えば、大きなマイナスではない。

・石澤良昭・生田滋「世界の歴史13・東南アジアの伝統と発展」,中央公論社,1998.12
 古代から近代直前までの東南アジア通史。正直なところ、私はこの地域に関しては興味が薄い。どうしても関心は中国史、日本史と関連するところに集中してしまう。
 その意味で面白かったのは第9章「東南アジア群島部の『商業の時代』」15〜17世紀の東南アジアを含む貿易圏について述べられている。日本で言えば戦国時代、ちょうど南蛮貿易のあったあたりである。このとき日本に伝来した「南蛮文化」は実はポルトガル直輸入の文化ではなく、インドや東南アジアのポルトガル人社会で定着した「インド・ポルトガル文化」だったということ。ちょっと驚きだったが、考えてみればヨーロッパ文化が直接流れてきたというよりインドなどの中継があったという方が自然な話ではある。
 東南アジア諸国、中国、琉球、台湾の鄭氏政権、ヨーロッパ勢力、そして日本。400年も前にこれらの国の間で「国際社会」というものがすでに存在し、日本もその一員だったと考えるのは何となく楽しいものだ。


・栗本薫「グイン・サーガ63・時の潮」,ハヤカワ文庫,1999.1
 アルゴスの「黒太子」スカール、久々の登場。確か前に出た「白虹」から実に37巻目である。この人、実は原爆病にかかっている。微妙にSFが混じるところも「グイン・サーガ」の売りの一つか。
 長いこと続いているせいなのだろう、「グイン・サーガ」の主要登場人物のイメージは初登場時と近刊のそれとではかなり違う。作者栗本薫がお気に入りだというアルド・ナリスなど、2、3回はキャラが変わっている。その中でスカールは初登場のイメージを最もよく保ち続けている人物である。まあ、登場回数が少ないのがその理由なんだろうが。

・ジェイムズ・P・ホーガン「造物主の掟」,創元SF文庫,1985
 今月末に続編が刊行されると言うので復習がてら再読。
 土星の衛星タイタンで人類は機械生命の文明に遭遇する。かれら”タロイド”の身体構造は人類よりはるかに優れた技術の産物ではあったが、文明そのもは中世レベルにとどまっていた。機械生命の高度な生産力をあてこんで地球の実力者たちはタイタンの植民地化を企図する。タロイドとの意志疎通にあたっていた自称”心霊術師”ザンベンドルフはタロイドを奴隷化の道から救うため、一世一代の”ショー”を計画するのだが…。
 私がこの作品で一番好きなのは本編よりもプロローグ。単なる自己増殖型採鉱システムだったものが、どういうふうに機械生命に進化したのかが描かれている。少々都合のよすぎる飛躍もあってツッコミの余地も多いのだろうが、ハードSFとして一番楽しめる部分である。本編に入ってもこのすべて機械でできた生態系の描写は読みどころだろう。
 で、本編の物語の方はというと、まずありがちな展開かな、というのが正直なところ。話に入れこめないというわけでもなく、ラストは大団円のハッピーエンドで気持ちよく終われるのだが、ちょっと物足りない。ただし主人公のカール・ザンベンドルフ、「心霊術師」を名乗りながら実は人一倍神秘主義を嫌い、自分のペテンをたやすく信じてしまう人々に失望している、というキャラクターは面白い。
 ザンベンドルフの活躍によってタロイドが啓蒙されいくのだが、「未開の文明を科学と合理主義をもって導いてやる」というスタンスは、私にはどうも傲慢なように感じられて好きではない。もちろんザンベンドルフらは植民地主義に対抗して善意でそれをやっているのだが、歴史上、そういった善意や使命感から発する独善が、植民地化を助長するという面はなかったか。…しかしホーガンはこれが好きらしく、「ガニメアン」ものの第4作「内なる宇宙」でも同じような展開をやっている。

・杉山正明「モンゴル帝国の興亡」(上下),講談社現代新書,1996.5,6
 チンギス・カンの遠征からイェケ・モンゴル・ウルス…大モンゴル帝国の成立、そしてその解体までをたどる。
 この本の内容を乱暴に一言で言うとすれば「モンゴルが世界史を作った」となることだろう。前にも書いたと思うが、とにかく杉山氏の著書は論旨が明快で、読んで面白いという点では歴史解説書の中で一頭地を抜いている。あんまり明快で面白すぎるので、書いていることを全部真に受けても大丈夫なのかと一歩退いてみたくなるぐらいだ。
 この本で繰り返し主張されているのは、モンゴル帝国を研究するとき漢文資料のみに頼るのは危険だということ。漢文資料は資料的価値が高く量も豊富だとはいえ、事実誤認もあるし漢民族の民族意識からくる誤解や偏見も、見逃せない。漢文資料を偏重するとモンゴル帝国=元朝は異民族の征服王朝、明は国土を回復した正統王朝ということになってしまう。著者が明朝について殊更に厳しい態度をとるのは、これに対するアンチテーゼの意味もあるのではないか。
 モンゴル帝国研究には漢文の他に当然モンゴル語、そしてペルシア語とトルコ語の素養が不可欠ということになる。語学研修だけでかなりの苦労と時間がかかりそうだ。研究者泣かせの時代かも知れない。

・陳舜臣編「黄土の群星」,光文社文庫,1999.1
 編者があの陳舜臣で、収録作家が宮城谷昌光、中島敦、田中芳樹、そして井上靖に司馬遼太郎ときては、ちょっと見過ごすことはできない。もっとも収録されているのは雑誌や別の単行本ですでに発表されたものばかりのようだ。書き下ろしが一つもないのが残念、というのは贅沢なことだろうか。
 宮城谷「豊穣の門」と中島敦「盈虚」は再読になる。最初に読んだときと変わらず味わい深い。
 意外と面白かったのは森福都「殿」。唐代「安史の乱」の一幕を、なんと駱駝の視点から描くという異色作である。…最後に主人公が「空城の計」をやるのはちょっとパクリっぽいが。
 司馬遼太郎はチンギス・カンもので「戈壁の郷土」。久々に読むあの独特の語り口は心地いいのだが、しかし作品そのものには古くささが感じられる。チンギス・カンが世界を征服する動機が西夏の女を手に入れるためだった、というのはちょっと彼に悪いんではなかろうか。
 そういえば司馬の次に収録されている作家は、主人公が銀河を征服する動機が姉を取り戻すためだった、という大長編を書いた人である。田中芳樹「潮音」。「三国志以外でも中国史は面白い!」と常々主張する彼らしく、採り上げたのは五代十国、呉越国の話。物語的には今一つ盛り上がらないが、この時代を小説化したものは滅多にないので読む価値はある。
 井上祐美子「朱唇」は明末の遊郭が舞台の悲恋話。雰囲気はいいが特に明末でなくてもいいような気がする。その点、トリの陳舜臣「五台山清涼寺」は同じ明末清初の話でも、清の順治帝妃の謎をタネにその時代ならではの話になっていて良い。

・梶尾真治「チョコレートパフェ浄土」,ハヤカワ文庫,1988.12
 短編集。例によって叙情とブラックユーモアの2本立て。ただ、以前に読んだものよりここの作品が小ぶりな印象をもった。…こちらが読み慣れてしまったせいかも知れないが。
 良かったのは叙情ものでは「夢の神々結社」。行ったところもない遠くの、会ったこともない誰かととテレパシーで繋がった少年の話。SF色は薄いが素直に感動できる。
 ブラックユーモアでは「魔窟万寿荘」。放射能で突然変異を起こしたミズムシが人々を襲う!経験者(いや、突然変異の方ではなくて)にとってタムシチンキも木酢も効かないミズムシというのは、確かに恐い。語り口が戦前の空想冒険小説か「少年探偵団」のパロディになっているのも面白い。

・ロバート・J・ソウヤー「スタープレックス」,ハヤカワ文庫,1999.1
 ソウヤーといえば本格的な活躍は90年代に入ってからの作家なのだが、その作品はどれも「古き良き時代のSF」の香りがある。邦訳5冊目の本書もその例にもれず。
 宇宙…それは人類に残された最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新たなる文明、新たなる生命が待ち受けているに違いない。これは惑星連邦最初の試みとして4つの種族が乗り込んだ宇宙船スタープレックス号の、驚異に満ちた物語である!
 …別にこの話が「スタートレック」のパロディだというわけではない。しかし、地球人と異星人とやりとりといい、楽観的の一言につきる未来像といい、どうしても連想してしまう。
 暗黒物質(ダークマター)の正体、銀河創生の謎、不老不死の可能性、異星人と地球人の対立と融和、などなどアイディアの連打で読者に息をつかせない。突如ワープして現れる恒星、宇宙空間でのドッグファイトなど、スペクタクルシーンにも事欠かない。そして提示された謎ひとつひとつに解答(…かなり無茶なのもあるとはいえ)を与え、ラストは大団円で幕。とにかく読んで楽しい、という点では文句なし。
 アイディアをてんこ盛りにした分話の焦点が定まらないこと、展開が愉快な分チープな印象がつきまとうこと、といった不満点はある。長所と抱き合わせの短所なので、仕方のないことかも知れない。

・陳舜臣「江は流れず〜小説日清戦争〜」(上中下),中公文庫,1984.8
 陳舜臣の中国近代ものは「阿片戦争」「太平天国」ときて次に手に取ったのがこれ。もっとも前の2つは豪商・連維材とその家族を軸に話を進んだが、「江は流れず」ではこのような架空の人物は登場せず、より史伝的な色彩が強い。だから特定の主人公は設定されていないが、袁世凱と李鴻章の視点から語られる場面が一番多いようだ。清朝側から見た「日清戦争」ということになる。
 清朝側から見た、となると日本の描き方はふつう「横暴な侵略者」となりがちである。実際、おおむねその通りでもあるのだが、イデオロギーがからむとさらに論調がエスカレートしてしまう。しかし、この本では日本の行動に対しても「侵略者」と決めつけるだけにとどめていない。清朝、朝鮮側の資料とともに日本の史料も綿密に目を通し、再構成したからこそできることことだろう。やはり歴史を扱うときには、イデオロギーを保留して史料にあたることが大切だ。それは研究であれ小説であれ同じことである。

・ジェイムズ・P・ホーガン「造物主の選択」,創元SF文庫,1999.1
 上の「造物主の掟」の続編。「心霊術師」ザンベンドルフの活躍でタイタンの機械人・タロイド文明はいったん危機を脱したが、タロイドたちを植民地支配下におこうとする地球の支配層はさらなる画策をはじめていた。しかしそんな陰謀をすべてチャラしてしまう大事件がタイタンを襲った!
 「造物主、襲来」(どこぞのアニメか?)などと帯に大書してしまっているのは、ネタばらしでまずいんじゃないかとも思ったのだが、実はその出現のしかたの方がミソ。帯のせいで興を削がれることはない。
 「〜掟」のときには読みどころとしてタイタンの機械生態系を挙げたが、それと並んでこのシリーズのもう一つのポイントは主人公ザンベンドルフとその仲間が演出する「奇蹟」…実は天才的ペテン…である。その手口ときたら、こんなに巧いことやられるなら、いっぺん騙されてみたいと思えるほど鮮やかだ。
 そのザンベンドルフの今回のカモとなるのはタロイドの「造物主」である異星人が作り出した人工知能。ホーガン作品で異星人というとまず思い出すのが「巨人たちの星」シリーズのガニメアンだろう。しかし温厚かつ善良なガニメアンたちとは対照的に、今度の「造物主」ことボリジャンは「万人の万人に対する闘争」を地でいく極端な個人主義・競争社会で鍛え上げられたつわもの揃い。そういう彼らが作っただけあって、この人工知能「ジニアス5」もかなりイイ性格をしている。ザンベンドルフもかなり苦戦する…かと思いきや、こいつが結構チョロい。しかし賢い奴ほど根本的なところで抜けている、というのは果たして人工知能にも当てはまるのだろうか?
 チョロいとはいっても当然ヒヤリとするシーンはあるし、そうでなくても英知の塊であるはずの人工知能が騙されるさまはかなり愉快である。このくだりをもう少し長く描いてくれるともっと面白かったのだが。ラストは…言ってしまうとそれこそネタばらしなのだが、ウェルズ「宇宙戦争」を思い出した。

・清水義範「ピンポン接待術」,祥伝社文庫,1999.2
 大学時代に初めて手にとって以来、清水義範の本もたくさん読んできたが、その中で好きなものをあげるとすれば次の3編。まず、初めて読んだ「永遠のジャック・アンド・ベティ」、宗教パスティーシュ「神々の午睡」、そして本書「ピンポン接待術」(初刊行時の表題は「体に悪いことしてますか」…こっちの方がいいと思うのだが)である。
 スポーツをあげつらったパスティーシュ短編/エッセイ集で、中でも特筆したいのが「逆上がりシンドローム」。少年時代スポーツが全くできなかった男が、同窓会でスポーツ万能だった友人と再会し、当時を回想する話。断言するが、小さい頃スポーツができなかった人間の思いをここまで的確に表現した作品は、私の知るかぎり他にない。この点ではわが家の運痴組(母、私、妹)で意見が完全に一致している。小学生時代、運動会の前日にテルテル坊主を逆さ吊りにしていた人は、ぜひ読んでみてほしい。
 他には、オリンピックに初参加した小国選手を主人公にした「選手村のクムラ・クムラキンピル」、ハードカバーの表題作「体に悪いことしてますか」などがお勧め。「体に悪いことしてますか」でヤリ玉に挙げられているスポーツ畑のニュースキャスター、元ネタは多分あの人だろう。バスケとバレーの違いはあるが。

・栗本薫「グイン・サーガ64・ゴーラの僭王」,ハヤカワ文庫,1999.2
 読み続けていた人なら「とうとう(やっと)ここまで来たか」と思うことだろう。しかしこの題名からして何が起こるのかは最初からほぼ分かっているようなものなのに、その場面までの引き延ばしようは、さすが栗本薫である。
 ところで、前巻「時の潮」をとりあげたとき、再登場のスカールを一番性格が変化していない登場人物だと言ったが、今回再登場のアムネリスは初登場の頃と一番性格が変わってしまっている人物ではないだろうか?もともとこっちが本性だった、ということにはなっているが、それにしても落差がすごい。

・福井勝義[ほか]「世界の歴史24・アフリカの民族と社会」,中央公論社,1999.1
 はじめて読むアフリカ史。民族学、王国史、イスラム教の3つの視点からアフリカをとらえる。
 第1部「民族のアフリカ」。地域によっては全く文字史料のないアフリカでどのような「歴史学」が可能か。人類学とのボーダーラインに位置する分野である。話の流れで現在の民族紛争・内乱にも言及される。筆者がフィールドワークした中には成年男子のほぼ全員に他民族殺害の経験をもつ民族もあるとのこと。こういう方々のご近所さんにはなりたくないものだが。
 第2部「王国のアフリカ」では史料の豊富な地域…たいていは東西の沿岸地域になるようだが…の歴史を扱う。アフリカで王国というと「野生の王国」を連想してしまうが、こちらはあくまで「人間の王国」。日本のアフリカイメージがひどく偏っていることがよく分かる。
 当然、ヨーロッパが行った奴隷貿易にも話は及ぶ。ヨーロッパ人の研究では、奴隷貿易にはアフリカの現地王国も積極的に関わったとか、プラス面も無いわけではなかった、という説もあるそうだ。それも確かに事実なんだろうが、なんとなく「自由主義史観」論者が戦前日本のアジア政策について言っているのと一脈通ずるような気もする。
 第3部は「イスラムのアフリカ」。宗教、特に最も信者数の多いイスラム教を中心に、独立運動初期までのアフリカを概説している。
 イスラム教には戒律が厳格というイメージが濃いが、実際は地域によって結構ザル法である。その土地の民間信仰と混ざって独特の様相を帯びる。別にイスラム教、アフリカに限ったことではなく、日本の仏教にしたところで、神道や他の諸々が混ざっている。広範囲で指示される宗教というのには、そのような融通性が備わっているのだろう。

・篠田節子「弥勒」,講談社,1998.9
 新聞社事業部員として美術展開催に携わる永岡は、かつて訪れたヒマラヤの小国・パスキムの政変を知る。仏教芸術の粋であるパスキム仏の破壊を惜しんで現地を訪れた永岡は、「理想郷」パスキムの真実と、それを覆そうとする凄惨な「革命」に出遭う。
 篠田節子の作品はこの「弥勒」の他には小説すばる新人賞受賞作の「絹の変容」を読んだだけだが、両者ともに共通しているのは美しいものの描写が本当に美しいということ。冒頭に出る秘仏の髪飾り、そして永岡がパスキムで見出す弥勒仏の形容には魅惑される。そして美しいものの描写が際だっているだけに、その後読むことになるシーンの凄まじさもまた、引き立っている。
 登場人物それぞれが想う「理想郷」のぶつかりあい。しかし、主人公に理想的と映ったパスキムの姿は、外国人の目から見た身勝手ものにすぎず、パスキム国王が自国の未来に思い描いた理想は、差別と偏見の上に立ったいびつなものだった。そしてそれらを破壊したゲルツェンの「理想郷」は、地獄という言葉がなまやさしいほどの結末を招く。結局、社会をまるごと救済できる理想郷など、ありはしないのだ。救えるとしたら、ひとりひとりの個人である。キリストにしろブッダしろ、救い導けたのは対面したそれぞれの人間ではなかったか。
 ラスト、生き延びた永岡は偶然手に入れた紙の曼陀羅を背に、再びパスキムを訪れることを決意する。あるいは彼は自分を含めた何人かを救済することができるかも知れない。

・ダン・シモンズ「ハイペリオン」,早川書房,1994.12
 時を遡って存在する謎の建造物群<時間の墓標>を擁し、人々を殺戮する神/怪物シュライクが跳梁する惑星ハイペリオン。戦場となる直前のこの星に最後の「巡礼」が送り込まれた。<時間の墓標>までの旅程、彼ら7人はハイペリオンを訪れることになったそれぞれの理由…物語を語り始める。
 巡礼の物語はそれぞれハイペリオンの謎の一断面を担っている。独立した話として読めるものではないが、話によって舞台や雰囲気は異なっている。秘境あり、戦闘シーンあり、神学論あり、サイバーパンクまでありと非常に多彩。SFのショーケースを見る思いがする。個人的には「司祭の物語〜神の名を叫んだ男〜」と「学者の物語〜忘却の川の水は苦く〜」が好みである。キャラクターとしては飲んだくれ詩人サイリーナスが面白いと思うのだが。
 当然、登場する設定・道具立てもバラエティに富む。<時間の墓標>とシュライクが巡礼の物語に共通する最大の謎だが、他にも不気味な不死人ビクラ族、人類世界を縦横につなぐ転移ドア、人類から独立して存在するAI群<テクノコア>、自らを宇宙空間に適応させた<蛮族>アウスターなどなど、単独でも十分に面白いネタが詰め込まれている。
 これらは巡礼の物語の中では背景・大道具にとどまっているが、そのうちいくつかはのちのち驚くべき展開を見せてくれる。ただし、それは次巻「ハイペリオンの没落」でのお楽しみ。この本の最大の欠点は途中で話がぶったぎられていることだろう。続きがすぐに読める今となっては欠点とも言えないかも知れないが、発刊当初はかなり欲求不満に思ったものだ。

・ダン・シモンズ「ハイペリオンの没落」,早川書房,1995.6
 上記「ハイペリオン」の続編。…というよりは物語の後半部分である。
 前作で物語を語る6人の巡礼たち。最初行動を共にしていた彼らが一人、また一人と孤立していく展開は、さすが人気ホラー作家。
 その6人に加えて、彼らを巡礼に送り出した連邦元首グラッドストーンと、詩「ハイペリオン」を書いた19世紀の詩人キーツのクローンAIであるジョセフ・セヴァーンからの視点が、入れ替わり立ち替わりしつつ物語が進む。かなり複雑な筋立てで、話についていくにはちょっと努力がいる。時間をおいてしまうと記憶が薄れてしまうので、長さにめげず一気読みすることを勧めたい。
 そうして読むのにかけた努力は、まず確実に報われる。実際、ここまで巧みに構築された話は他にはそうない。確かに、不満や疑問もあるにはある。禅問答をする(比喩ではなく文字通りに)AI<雲門>は欧米人にありがちな東洋趣味であまり好きではない。ハイペリオンやその他の謎についても、て所々うまく誤魔化されたような部分があるような気もする(…<メタスフィア>って結局なんなのか、解った人はぜひ教えて欲しい)。
 しかし全体の見事さがそんな細かい部分を圧倒する。前作で展開された話や示された謎が、パズルのピースがはめられていくように全体の中で意味を持っていくさまは、とにかくすごいの一言である。

先頭に戻る
98年11月〜12月の駄弁を読む  99年3月〜の駄弁を読む
タイトルインデックスに戻る ALL F&SF 歴史・歴史小説 その他