読後駄弁
2000年読後駄弁1月〜3月


・司馬遼太郎「菜の花の沖」(全6巻),文春文庫,1987.3-5
 江戸時代後期、淡路の貧農から蝦夷地貿易の立役者となり、また日本とロシアの間に立って両者の和議を取り持った高田屋嘉兵衛の一代記。
 私がこれまで読んだ司馬遼太郎の小説は戦国ものか幕末ものなので、話の大まかなところは予備知識として知っていることが多かった。「あなたはもう結末を知っている――」というわけだ。ところが今回はほとんど知らない人物の話だ。だいたい、恥ずかしいことに井上靖「おろしや国酔夢譚」の大黒屋光太夫と混同していたぐらいである。おかげでこの先どうなるのかがずっと楽しみで読めた。不勉強もたまには得になるものだ。
 タイトルの菜の花は、言うまでもなく灯油の原料。搾油業者の手で売られた菜種油は日本全国で売られる。嘉兵衛が開発したエトロフ島の漁民が、夜なべして網を繕うときにもその灯りは手元を照らす。その網にかかった鰊が肥料として流通し、その一部は菜の花畑を肥やす…。つまり菜の花とは商品経済の象徴なのである。この物語、とくにその前半は、嘉兵衛の物語であると同時に漸く盛期をむかえた近世商品経済の物語でもある。江戸時代とは、かつて思われていたような停滞期ではなく、非常に活発な時代であったとは、よく聞く話である。その実態は、停滞させよう、現状維持を守ろうする幕府や藩を、引きずるようにして社会や経済が発展していった、というものらしい。
 その商品経済の波に乗って身代をなした嘉兵衛は北海道…蝦夷地にわたり、その地の開発も手がけるようになる。折しも蝦夷地とその住民のアイヌから苛烈な収奪をしていた松前藩から、幕府の直轄領へと支配権が移行した頃である。松前藩の支配より、嘉兵衛もその一翼を担った幕府支配をアイヌが歓迎したように描かれているが、それについてはちょっと疑問に思う。アイヌにしてみればどっちも大差なかったんではないだろうか。
 もっともこの話は嘉兵衛が主人公の小説なんだからそう勘ぐらずに、嘉兵衛はアイヌをフェアに扱いアイヌもよくそれに応えた、で納得してしまってもいい。ただ司馬遼太郎の小説はあまりにも説得力があるので、ちょっと斜めに構えておかないと「小説中のエピソード=歴史的事実!」と錯覚してしまいかねない。アイヌの描き方への疑問は、流されないための錨みたいなものである。
 蝦夷地での嘉兵衛の活動をひととおり追ったところでストーリーは一旦中断し、この先嘉兵衛、そして日本が深く関わることになるロシアの歴史と当時の情勢について、随想風の解説がされる。このあたりの書き方はこの人独特のものがある。
 周到な準備のあとで、クライマックスのゴローニン事件へと進む。ロシア海軍軍人ゴローニンが国後島で幕府役人に捕らえられた、その報復、身代わりとして、嘉兵衛はリコルド大尉指揮するロシア軍艦に捕らえられ、カムチャッカに連行される。だが嘉兵衛は自分を捕虜とは規定せず、むしろ日本からロシアに対する外交使節として奮闘をはじめる。最初は言葉も通じず、文化も習俗もまったく異なる嘉兵衛とリコルドの交流は、ユーモアあり、心温まるシーンあり、緊迫の場面ありで全物語中のハイライトである。
 二人の活躍の甲斐あって、日本とロシアとの間で和議が成立し、ゴローニンと嘉兵衛はそれぞれ自国への帰還がかなう。本国へ戻る船上のリコルドらロシア船員と、見送る嘉兵衛が「ウラァ(万歳)」を交わすシーンは感動もの。
 そして、引退して死の床についた嘉兵衛の最後の言葉で、さらに感動のダメ押し。ラストの盛り上げについては、これまで読んだ司馬作品の中でも一、二をあらそうものだった。

・ジョー・ホールドマン「終わりなき平和」,創元SF文庫,1999.12
 21世紀中葉、アメリカ合衆国の歩兵戦力はすでに遠隔歩兵操作体、通称「ソルジャーボーイ」が主流となっていた。互いの精神を融合させた十人一組の小隊が操るそれは、戦場ではほぼ無敵。だが、中南米・アフリカの反米勢力からなるングミ軍はゲリラ的戦術やテロでねばり強く抵抗を続け、戦争は泥沼化していた。
 だがソルジャーボーイ技術の中心となる人間の脳と機械、脳と脳の連結には、じつはある副産物が隠されていた。それは戦争ばかりか、人間のあり方そのものを一変させるものであった。
 前半はソルジャーボーイの凄惨な戦闘と、兵士と大学講師を兼ねる主人公の沈鬱な日常との繰り返し。戦争は、経済問題、民族問題、政治問題、その他もろもろ問題がもつれ合った複雑なもので、現代の先進国と第三世界の紛争を彷彿とさせる。前作「終わりなき戦い」の地球人と異星人間の戦争より、いっそう終わりが見えない戦いである。どこからこれが「終わりなき平和」になるんだ、と思っていたら、後半、事態は急展開する。
 「こうすれば人間は争いをなくすことができる」というよりは、「ここまでしなけりゃ人間は争いをなくせない」と言われているように感じた。そして、この話のような文字通りビッグバン級の危機でもなければ、「ここまでする」ことはないだろうとも。だが、そういう悲観の一方で、互いを真に知った人間は争いをやめるに違いないという楽観も、この話にはある。
 その楽観が当たっていたとしたら、お前はやってみたいかと聞かれたら、私はどこかでそれに惹かれながらもノーと答えるだろう。主人公たちが踏み切ったそのプロセスが「人間化」と名付けられていることに、薄気味悪いものを感じてしまう。結末で主人公らふたりが「Alone,together.」となったことに、むしろ安心するのである。

・吉永良正「『複雑系』とは何か」,講談社現代新書,1996.11
 「複雑系」。一時期非常によく見かけた言葉だが、最近は流行が終わったのか書店にあまり新刊をみかけない。もちろん、終わったのは世間の流行であって、研究の方は終わるどころか始まったところ。天気や態系、経済動向まで単純な法則に還元できないシステムのふるまいを研究するのが「複雑系の科学」である…らしい。
 話の導入にクライトン「ロスト・ワールド」をもってくるなど、新書だけあって専門外へのケアがあつい。「ロストワールド」で思い出すのは(恐竜をのぞけば)変人数学者イアン・マルカム。しかし、現実にカオスや複雑系を研究している学者たちは、この本の3章でエピソードが紹介されているのだが、マルカムに負けないユニークな人間が揃っている。
 私が一番興味深く読んだのは4章「人工生命の複雑な未来」。コンピュータ内に自己増殖をするプログラム(電子生命)を作り、それを進化させるという「ティエラ」、ソフトウェアのみならずハードウェアまで自己改造・構築するという「人工脳」プロジェクト…考えるとわくわくしてくる。でも、どっかで聞いた話だな…と思ったらイーガン「順列都市」や藤崎慎吾「クリスタルサイレンス」でネタに使われているのだった。「順列都市」に出てくるオートヴァースは「ティエラ」の、「クリスタルサイレンス」の<ブレイン>は「人工脳」の、それぞれ究極目標である。
 しかし、SFばかり連想してしまう私も、なんかなあ…。

・森下一仁「思考する物語〜SFの原理・歴史・主題〜」,東京創元社,2000.1
 SFをよく読む人でも…いや、よく読む人ほど「SFとは何か」と聞かれるとうまく言葉に表せないのではないだろうか。どう定義づけても、そこから外れるけどSFじゃないとも言い切れない、という作品がでてきてしまう。
 本書ではあえて「センス・オブ・ワンダー」といういささか使い古された感のある言葉をSFの特性として挙げている。新しいのはこの「センス・オブ・ワンダー」を認知心理学を用いて分析しているところ。私がSFを読み出した頃には、これはすでに「古いくさい」の領域に入る言葉だった。だがこの本で言われている、ひとつの「フレーム」の逸脱から世界全体への認識が変わるときの感覚というのは、確かに感じたことのあるものである。表現する言葉が古くても、それを感じる人間の感覚が古いわけではない…当然のことだ。

・栗本薫「グイン・サーガ69・修羅」,ハヤカワ文庫,1999.12
 モンゴールに対する過去の反逆行為の容疑(事実なんだが)を受けたイシュトヴァーン。彼を弁護するカメロンの弁舌が冴えわたる…というところだが、検察側がかなりアホぞろいなんで、弁護の見事さが引き立たない。もっとも、カメロンの活躍がどうだろうと、全部当のイシュトヴァーンがぶちこわしてしまうのだが。
 もうこいつは出ないだろう、と思っていたあの彼もしぶとく再登場。ふだん美形キャラを書きすぎている反動か?

・本の雑誌編集部「図書館読本(本の雑誌別冊13)」,本の雑誌社,2000.1
 全国500余の図書館から寄せられたアンケート結果をもとに、身近な割には知られていない図書館の実際を明かす。実は、うちの図書館に来たアンケートに回答したのは私(と、あともう一人)である。ほとんどうちの図書館の名は挙がってなかったが…。
 まず面白かったのは「図書館員採用試験問題を作る」。現役司書の対談によって作っているのだが、「体力テスト」と「実技テスト」があるのに笑い、かつ賛成。でも「実技テスト」のブッカーかけ、私は不合格かも。
 おそらくメイン企画の「うちの館のこと教えます−自在眼鏡−」、これは図書館のことをよく知らない人にも見てほしいところである。図書の貸出期間から職員の要望、図書館にまつわる怪談まで、あれこれのアンケート結果をまとめたもの。私にも思い当たるところが多く、「どこの図書館も似たような悩みがあるんだなぁ」と苦笑する。
 残念な点も少々。まず、見た目が地味。前から目を付けていた人以外にこの本を手に取らせるには、ちょっと表紙が堅すぎるのではないだろうか。私個人が読む分にはあまりこだわらないのだが、この本で多くの人に図書館のことに知ってもらうためには、もう少し目を引くものが欲しかった。本誌のように沢野ひとしのイラストなんかがあればよかったのに。
 もうひとつ、図書館の現在の状況はよくわかるのだが、将来についてふれたところが少ない。高橋良平氏が「21世紀の図書館」というコーナーを書いているのだが、これだけでは不足だ。「今こういうことで困っている」というのも面白いし、同業者としては大いに共感もするのだが、「将来こういうことができるかもしれない」というアピールも必要だと思う。

・スタニスワフ・レム「星からの帰還」,ハヤカワ文庫,1977.6
 10年にわたる深宇宙探査を終え、地球に帰還したハル・ブレッグら宇宙飛行士たち。だが、宇宙船での10年、しかし地球時間では127年が経過していた。月の再教育機関の制止をふりきり、ハルは未知の「故郷」に降り立った…。
 ウラシマ効果によって登場人物が未来世界を訪れショックを受けるというのは、こう言ってはなんだがありがちなパターン。だがこの「星からの帰還」の場合、そのショックというのがケタはずれに大きい。ハルが直面するのは、まったく異質の世界なのである。人々がア・プリオリに使っている言葉や道具・機械、すべてわけの分からないものばかり。ドアの開け方さえ分からないのである。序盤、宇宙港をさまよい歩かざるをえなくなるハルの混乱は、パターンなどとは言ってられない強烈な印象を与える。
 しかし、100年少々でそこまで変わるかという疑問は当然わいてくる。その答えが「ベトリゼーション」と呼ばれる技術。これによって人類は「終わりなき平和」を得るのだが、失われたものもあった。そのことがハルたちを苦しませることになる…。

・エリス・ピーターズ「死への婚礼(修道士カドフェル・シリーズ5)」,現代教養文庫,1991.11
 元助手・マークが受け持っているハンセン病施設を訪れた修道士カドフェル。そこで彼らは修道院へ向かう結婚の行列と出会う。新郎は中年の大貴族、新婦は失意に打ちひしがれた少女…あきらかに政略結婚だった。貴族の従者の一人は新婦と恋仲なのだが、彼にも、また事情を知ったカドフェルにも、結婚を阻むことは、もはやできない相談だった。だが、結婚式直前、新郎が何者かに殺害された。
 相思相愛の中を引き裂かれようとする若い男女、彼らを助けようとするカドフェル、というシリーズおきまりのパターン。逃亡する従者をかばうのが、修道院で世話されているハンセン病患者たちだというところが、ちょっとしたバリエーションである。この患者たちと、カドフェルや従者たちの交わりをもっとクローズアップすれば、より深い物語になる気がするが…。でもそれだと「カドフェル・シリーズ」とは別物になってしまうか。

・須賀しのぶ「天翔るバカ」,コバルト文庫,1999.12
 コバルトを買うのは14,5年ぶりだな…。
 時は第1次世界大戦まっただ中。アメリカ人・リックは恋人にふられた勢いで英国空軍の傭兵部隊に志願してしまう。飛ぶこと以外にほとんど何のとりえもないリックだが、着任先のメンツは、その点では彼にまさるとも劣らない「バカ」揃いだった…。
 スパッドだアルバトロスだソッピーズ・キャメルだ!…というだけで手に取りたくなる方にも勧められるが、別にそっちに興味がなくても十分に面白い。キャラクターの描き方が手堅く巧みなのである。主役のほうもさることながら、ピロシキ&パードレ、「陽気なロシア人と陰気なイタリア人」はなかなかの名コンビ。
 リヒトホーフェンらの実在キャラもきっちり登場。この時代のヒコーキものにはレッド・バロンと「サーカス」は欠かせない。しかし、やっぱゲーリングは悪役がよく似合う。

・ヴォンダ・N・マッキンタイア「太陽の王と月の妖獣」(上下),ハヤカワ文庫,2000.1
 太陽王・ルイ14治世の末期。ヴェルサイユ宮殿に一頭の「海の妖獣」が生け捕られてきた。宮廷に入ったばかりの侍女マリー=ジョゼフは妖獣捕獲の功労者である兄イヴを手伝ううち、「海の妖獣」が実は獣などではなく、意志を通じ合わせることのできる「女」であることに気付く。だが、ルイ14世の目的は不老長寿の薬として「妖獣」の肉を食べることだった。マリー=ジョゼフは「海の女」を救うべく健気な奮闘をはじめる。
 物語のかなりの部分は、頽廃と爛熟の気配ただようフランス宮廷、そこに集う貴族たちの描写にあてられている。そのほとんどが実在の人物であるところが「歴史改変もの」たるゆえん。彼らの宮廷劇を楽しめなければ、前半は少々退屈に感じるかも知れない。
 マリー=ジョゼフや彼女の相手役リュシアン、自らの絶対権力に疲れを覚えはじめているようすのルイ14世らキャラクターには魅力がある。物語も後半はテンポよく読めて面白い。しかし、SFだと思って読むと、あてが外れてしまう。「海の妖獣」…もとい「海の女」シェルザドの生態がつまびらかになることもなければ、その存在が歴史的事件に影響を与えることもない。
 あえて無理してSFらしい点を見つけるとすれば、この時代の科学者たちを描いているということだろうか。主人公のマリー=ジョゼフは木の葉が落ちるのを見ても、それを数式で表せるだろうかと考えるほどの、いちずで純粋な科学の徒である。彼女の兄イヴは「海の妖獣」の研究を続けたいがために、ルイ14世の前で真実を枉げてしまう。また、シャルトル公のように貴族の道楽として科学に熱中する人物もいる。
 科学者として理想的なのはもちろんマリー=ジョゼフなのだが、イヴもシャルトル公もまた、まだ科学が現在の玉座に就いていなかった時代に存在したであろう、科学者の姿である。

・豊田有恒「モンゴルの残光」,ハルキ文庫,1999.11
 元朝の末裔が世界を制覇し、黄色人種がが白人種を支配・差別している世界、成吉思汗暦838年。中国人女性を殺して追われていたシグルド・ラルセンは反体制結社<黒耶蘇>に加わる。そこでシグルドは多岐にわたる教育とともに元朝時代の風俗、習慣、文化をたたき込まれた。
「これならこの時代に生まれ変わっても生きていける」と冗談を言ったシグルドに、彼の教師はこう返した。「…わしは、そのために知識を授けているのだ」
 やがて、<黒耶蘇>は政府の厳重なガード下にある「刻駕」…タイムマシンの奪取作戦を開始する。シグルドの任務は、元の中興期に渡って歴史を改変することだった。
 シグルドの世界の歴史は、ちょうど私たちの世界のそれを東西逆転させたものになっている。シグルドが<黒耶蘇>で受ける教育、という形で歴史が語られるのだが、中国人が日本から太平洋を越えてアメリカ入植を開始し、イギリスは鎖国する。アメリカに初入植するとき船が仏教徒の乗る「五月の薫花丸」というのには笑った(メイフラワー号…)。しかしそのあと、和真敦(わ・しんとん、アメリカ西部十三省の独立指導者)やら畢杜喇(ひつ・とら、朝鮮の独裁者)やらが出てきてしまうのは、冗談にしても出来が悪すぎる。
 だが、そういう序盤のチープさから全体をはかってしまうのは早計。元朝中興の祖となる武帝・海山(ハイシャン)、文帝・愛育黎抜刀達(アイユルハリバトラ)を殺すか妨害して歴史を変えるという使命を負いながら、シグルドがこの二人に惹かれていくときの葛藤。また彼の苦渋の決断にも関わらず歴史を本質的には変えることができない、個人の小ささと歴史の巨大さ――これらについては読み応えがある。
 あとがきでは、人種や民族がどうこうと言っているが、そんなことは関係なし。ひとりの男の矛盾と葛藤に満ちた人生を味わえるだけで、十分この本はおもしろい。

・眉村卓「ポケットのABC」,角川文庫,1982.10
 あっさり味のショートショート集。眉村卓のは、星新一より所帯じみたところがあるというか、生活感があるというか…。それだけに語られる話に親しみがわくのだが。
 この本は「眉村卓ワンダー・ティールーム」のYさんに貸してもらった。収録作のうち名文句集に投稿のあった「イガロス・モンゴルベエ・ヤイト」を読むためである。酔った宇宙船船長が異星の原住民に「地球人の神話」を聞かせるのだが…。こうなっては「イカロス・モンゴルフィエ・ライト」もかたなしである。

・村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」,文春文庫,1988.10
 陰を切り離された夢読みの「僕」が探る「世界の終り」。計算士の「私」が活躍する「ハードボイルド・ワンダーランド」。「静」と「動」、「内」と「外」の世界である。
 ふたつの世界は等価ではない。一方は、作られた宇宙である。だが、登場人物の感情がみな微温なせいか、どちらの世界にも現実感は希薄だ。…どちらにも現実感がないなら、作られた「永遠の世界」で過ごすという選択肢にも、さして抵抗を感じないのかも知れない。
 登場人物の中では、「ハードボイルド・ワンダーランド」の方の、大食いの司書さんが印象に残る。しかし、この人サービスいいよなあ。普通やらないぞ、レファレンス本の宅配なんか。

・秋山完「ペリペティアの福音」(上中下),ソノラマ文庫,1998.1-1999.8
 宇宙最大の葬祭社<ヨミ・クーリエ社>の新米祭司補・ティック・タック・フィトクロムは、とある戦いでの戦死者を弔うため、惑星ペリペティアへの途にあった。だがそのペリペティアで、かつて銀河を統一した唯一の皇帝フォークトの墳墓が発見された。皇帝の銀河支配のカギである<プリーアムブル>がそこには隠されているはず。列強国家・企業は皇帝の葬祭にかこつけて続々とペリペティアに集まりつつある。社から大司教代理に任命されてしまったティックは、護衛の戦闘尼キャルとともに、陰謀がうずまくペリペティアにのりこんだ。初手からヘマ続きで「とほほ大司教」と周囲の嘲笑を買うことになるのだが…。
 「楽しかった」というのが読み終わっての第一声。話としてはかなりシリアスな展開をみせるのだが、それでもやっぱり「楽しかった」。真面目なシーンもあるのだがそれに浸りきらず、身をかわすようにコミカルな方向に持っていく、このあたりの呼吸が物語全体をめっきり明るくしている。
 もうひとつ「楽しかった」理由が、全編とってもじりとパロディの連打であること。「リバティ・ランドの鐘」以来、これは秋山完の売りのひとつだから、読む前から期待していたことではある。それにしてもアニメから歴史から聖書から、よくぞここまで押し込んだ。登場人物にはマギがいて、アウグストゥスがいて、妖女(…幼女)サロメがいて、と聖書ネタのオンパレード。ラストなんか日本国憲法前文だもんなぁ。
 物語の方も、パロディに負けずエピソードを詰め込みぎみ。話の本筋にあまり関係しない登場人物の背景を描きすぎで、あんまりうまくないなと途中までは感じていた。これは私の見当違い。終盤できっちり本筋に合流してくれる。
 それでも主人公ティックの影がだいぶ薄くなってしまっているのは確かだ。ペリペティアに起こった複数の奇跡の中で、最も印象に残るのはティックのそれより、サブストーリーを担う舳先舵手フレンとケルゼン提督のほう。やはり神様や昔の賢者がおこした奇跡より、生きている人の手でおこした奇跡の方が感動的だ。

・エリス・ピーターズ「修道士カドフェルの出現」,現代教養文庫,1997.2
 カドフェルが修道院に入るきっかけになったエピソードを含む、3作品が収録された短編集。作品上の年代は先だが、刊行されたのは最後の方らしい。
 3作品とも安心感のある面白さ。中では2話目「光の価値」が良かった。事件の導入部にある、ケチな富豪が修道院に豪華な燭台を寄贈した理由というのがなかなか笑える。
 小説の他に、シリーズの人名録や修道院の日課についての解説が収録されているのも便利。

・宮城谷昌光「春秋の名君」,講談社文庫,1999.9
 斉の「覇者」桓公や著者の代表作「重耳」でおなじみ、晋の文公ら、中国春秋時代の群像について語ったエッセイ集。…というのは、実は全体の3分の1。あとは「重耳」「晏子」執筆の回顧や、著者の生い立ちなどについての文章が収められている。
 じっさい、一番面白かったのは執筆回顧録の部分。「晏子」や「孟嘗君」を書いたとき、主人公の像が見えてこなくて悩んだらしい。なるほど、それであの2作は晏嬰や孟嘗君といった主人公ではなく、父親(役)の晏弱や白圭がクローズアップされていたわけか。

・宮城谷昌光「華栄の丘」,文芸春秋社,2000.2
 ここしばらく宮城谷昌光の作品は、刊行されるのが雑誌連載中の大長編ばかりということもあって、読んでいなかったのだが、今回は手頃な中編である。
 春秋時代半ば。小国宋の大夫、華元は出目の出っ腹という異相ながら、包容力と誠実さで国内の人望を集めていた。宰相に抜擢された彼は、主君の信頼と家臣の補佐を得て、小さくも凛とした「礼」の国として、宋を経営していく。
 人間の「大器」とは何か、を問う小説である。主人公である華元は、自身が並はずれた知勇をもって活躍するタイプの人間ではない。かと言って、司馬遼太郎「項羽と劉邦」の劉邦のように、清濁あわせ呑むスケールの大きさをもっているわけでもない。もちろんここ一番で意志の強さを見せるが、それも英雄的な強さではなく、誠実さからくる穏やかなつよさなのである。常識的な人間が持ちうる「大器」とは、このようなものなのかも知れない。
 そんな人物が歴史に大きく名を残すことは、あまりない。華元もやはり「史記」においては「宋世家」にわずかに登場するにとどまる、「歴史のかたすみを淡くかすめてゆく者」のひとりである。…この表現は本文中から引用したのだが、いかにも華元にふさわしい、穏やかな印象がとても気に入っている。

・大原まり子「戦争を演じた神々たち(全)」,ハヤカワ文庫,2000.2
 神話風のSFと言うか、SF調の神話と言うか。クデラとキネコキスという、壮大な力をもつふたつの勢力が戦争を繰り広げる世界での連作短編。
 とくに面白かったのは、まず「ラヴ・チャイルド(チェリーとタイガー)」。あきれるほど人がいい、ろくでなしの兄に振り回される女性の物語。私はずっと前、家族というものは真綿の鎖だと思っていたことがある。温かく、居心地はいいかもしれないが、ときには鬱陶しく自分を束縛するもの。あの時分のそこはかとない苛立たしさを思い出させる話だった。この作品が「寅さん」を下敷きにしているということを、あとがきを読むまで気づかなかった私は、多分そうとう鈍い。題にはっきりサクラとトラが出ているのに。
 もうひとつ、クデラ軍の起源を語る「戦争の起源」もなかなか笑える話だった。なんのとりえもない俗物が、すべての欲望が満たされる惑星に不時着した悲喜劇。「戦争とSMこそが、われわれの文化だ」とは、いささかミもフタもない気はするが…。

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