読後駄弁
2000年読後駄弁7月〜8月


・北方謙三「三国志」(全13巻),角川春樹事務所,1996.11-1998.10
 三国志は基本的に男の活躍する物語である。貂鮮とか孫夫人など女性も登場はするが、それも彩り以上のものではない(ファンの人がいたらごめんなさい)。だから、ハードボイルドの大家による三国志、というのには非常に期待していた。さて「ポスト吉川三国志」になるかどうか…。
 やはり、期待通り登場人物の男ぶりはたまらなくいい。とくに呂布と張飛。正直これほど格好良く描かれている呂布ははじめてだ。黒づくめの軍装に愛妻のつけてくれた深紅の布を巻き、精鋭の騎兵と共に戦場を疾駆する姿は、シリーズ序盤で最大の魅力を発散している。…ちょっとマザコンが入っているあたりに可愛げさえあったりする。
 呂布の死後から跡を継ぐようにクローズアップされるのが張飛。「徳の人」にならなくてはならない義兄劉備の激情を肩代わりして、ことさら粗暴に振る舞ってみせるという、心憎いまでの男らしさだ。妻の董香、従者王安といったオリジナルの登場人物もうまく張飛を引き立てている。
 また曹操陣営の人物では、寡黙な親衛隊長・許緒が、出番は少ないながら渋い役回り。その他変わったところでは馬超や五斗米道の張衛あたりが中心的に描かれている。…こう並べてみると、どうも武人タイプの人物が引き立てられている。武闘派三国志、とでも言えるかも知れない。
 彼らに較べると終盤の中心となる諸葛亮などは、描き方に一歩ひいたような印象がある。もっともそれだけに欠点も多く備えた本当らしい諸葛亮にもなっているのだが。
 北方版オリジナルの登場人物は、先に挙げた董香、王安などの他にも、張飛の死後彼の軍を指揮した若き副将・陳礼や曹操の隠密を束ねる仏教徒・石岐、周瑜の密偵兼愛人である山越族の女・幽など数多い。彼らは実在の人物に添えるように配置されているが、メインの登場人物を引き立てると同時に、自らの印象も強く残してくれる。このあたりの巧みさはさすがベテラン作家。
 不満点はと言えば、話のテンポを保つためか登場人物のイメージを壊さないためか、原典の三国志演義では有名なエピソードをかなり割愛してしまっていることだろう。曹操の名文句「自分が人を裏切っても人が自分を裏切るのは許さない」や、赤壁前哨戦の「十万本の矢」エピソードもなくなっている。
 この点を考えるとはじめて三国志として人に勧めるよりは、原典翻訳か吉川三国志を読み終わった次に読む、二番目の三国志として勧めてみたい。陳舜臣「秘本三国志」とは好対照だろう。

・エヴァンス&ホールドストック編「アザー・エデン」,ハヤカワ文庫,11989.6
 イギリスSFの珍しいアンソロジー。イアン・ワトスン、オールディスなど有名どころから今回初めて読む作家まで多彩。しかしイギリスSFというのは、どれも一筋縄でつかめないというか、どれも深いものを感じさせる作品ばかりである。…中には深いのかなんなのかよくわからんのもあったが。
 とくに面白かったのはイアン・ワトスン「アミールの時計」と、マイケル・ムアコック「凍りついた枢機卿」。前者は古い教会に遺された大時計を前に、突然霊感に打たれた中東の王子の話。彼が受けた「啓示」とはなんだったのか…。神がもし生物にとっての神ではなかったとしたら、というちょっと恐い発想の作品。
 後の方のは、とある極寒の惑星で探検隊が表題そのまんまのものを発見してしまう話。ひょっとしたらバカSFなのかも知れないが、探検隊員らの反応の描き方は、なかなか「バカ」で済ませられるものではない。
 もうひとつ挙げるとしたら、タニス・リー「雨にうたれて」。情味のあるいい話なのだが、同時に男性中心の社会を痛烈に批判もしている。

・秋山瑞人「猫の地球儀」(焔の章・幽の章),電撃文庫,2000.1,4
 大昔に天使が作ったという円筒形の世界、トルク。そこでは猫たちがロボットを相棒に文明を築いていた。白猫の焔(ほむら)は、無重力下でロボットを操る格闘技「スパイラルダイブ」で、最強の称号<ドルゴン>を勝ち取った。だがより強い相手を求める彼の願いは…旅先であっさりかなえられてしまう。<ドルゴン>をわずか12秒でKOしたのは、小さな黒猫・幽(かすか)。彼は死んだ猫の魂が辿り着くという「地球儀」に生身で行こうとする、禁断の「スカイウォーカー」だった…。
 猫が操るロボットの格闘技戦という軽快な面と、犠牲を出してまで夢を追うことの是非という意外なほど重い面、まったく別方向の二面がうまくひとつの話にまとまっている。キーになっているのは焔と幽よりも、この二匹の間を駆けまわる楽(かぐら)の存在。泣けるシーンもほとんど全部この猫が担っている。
 文章の方だが、唐突にはじまる書き出しなどに独特のクセがあって、最初の方はちょっと読みにくかった。慣れてしまえばそれはそれで一つの味みたいなものだが。

・D・ケアリー「スタートレック・ディープスペース9・2 トリブルでトラブル」,角川スニーカー文庫,2000.7
 シスコらが搭乗する<ディファイアント>はカーデシアから返還された聖なるオーブを護送中、突如200年前にタイムスリップしてしまう。何者かがオーブの力を利用して過去を変えようとしているのだ。やがて彼らの前に現れたのは<エンタープライズ>、伝説の名艦長カークの指揮する船だった。時を遡った犯人はカークの暗殺を企図しているらしい。シスコは過去に影響を与えることなく、犯人を捕らえなくてはならない…。
 元祖スタートレックの中でも人気のあるエピソード「トリブル騒動」(ハヤカワ文庫ノヴェライズの訳題。TV題名は「新種クアドトリティケール」)の裏側で、DS9の面々が活躍する、というファン垂涎の話。TVでは既存の映像と新しい映像とを重ね合わせるCG技術(「フォレスト・ガンプ」などで使っていたもの)を用いて、旧エピソードの影で走り回るシスコたちを面白く表現していた。
 元々映像の面白さがメインの話なので、文章で読むといまいちぱっとしない。それでも伝説の元祖エンタープライズとカーク艦長に図らずも対面することになった、シスコやベシア、オブライエンの興奮ぶりは微笑ましく楽しめる。
 ということは、私のようにTOSからのファンならともかく、TNG以降のファンにはいまいちピンとこない話かも知れない。…いや、ここは強気にピンとこなかったらいい機会だからTOSも読め、と言うことにしようか。

・V・S・ラマチャンドラン,サンドラ・ブレイクスリー「脳のなかの幽霊」,角川書店,1999.7
 事故で切断した腕の感覚が残っていたり、無いはずの腕に痛みを感じたりする「幻肢」や、自分の親が顔だけよく似た「別人」だと主張するカプグラ・シンドロームなど、脳がつくりだす不思議な「幽霊」を探求する。
 この本のすごいところは、単に珍しい症例を紹介するにとどまらず、そこから人間の脳がもつ働きや構造を推測していくことである。例えば「幻肢」の症例から、私たちがふだん感じている体が「幻であり、脳がまったくの便宜上、一時的に構築したものだ」という驚くべき推論が導き出される。またそれを自分で確認できるよう、手軽にできる実験方法が記されているのも面白い。
 内容的には序文を寄せているオリバー・サックスの「妻を帽子と間違えた男」や「火星の人類学者」と重なるところが多い。比較すると、サックスの著作は患者の感情や世界観といった内面に踏み込んだ記述が多く、一方今回読んだラマチャンドランの方は、前述のように患者に施した処方や協力を仰いだ実験、そしてそこから判明した脳の仕組みなどに多くのページを割いている。

・ウィリアム・シャトナー「新宇宙大作戦・サレックへの挽歌」(上下),ハヤカワ文庫,2000.7
 植物の葉緑体を破壊する謎のウィルスが蔓延。連邦軍は感染惑星を封鎖するがその効もなく、宇宙連邦は崩壊寸前の窮地に陥っていた。そんな折り、感染惑星の一つチャルに死んだはずのカーク艦長が(またしても)現れ、このウィルス危機にヴァルカン人が関わっていることを暴く。同じころ、ヴァルカン−ロムラン再統一運動に従事していたスポックは、亡父サレックが病死ではなく暗殺であったと告げられ、真相を探るべく故郷への途についた。そして、ウィルス蔓延が故意のものだと知ったピカード艦長の<エンタープライズE>もヴァルカンへ…。彼らが一堂に会したとき、驚くべき過去が明らかになる。
 キャラクターの描き方といい、過去のエピソードのからめ方といい、ファンを喜ばせるカンどころをうまくつかんでくれている。データやラ・フォージュといったTNGレギュラーの登場がいまいち少ないのは残念。だが、その分スポックなど旧メンバーが目立っているのが、TOS以来のファンには嬉しい点だ。オリジナルの登場人物も浮いた感じはせず、レギュラー陣の間にうまく収まっている。ただ、カークの(今回の)愛人・テイラニの位置づけが分かりにくいが…これはシャトナーの未訳ST小説「The Ashes of Eden」に出ていたキャラクターらしい。これと前に訳された「カーク艦長の帰還」、今度の「サレックへの挽歌」で3部作になっているとのこと。後半2部が訳されたなら、第1部も期待したいところだ。
 もっとも「カーク艦長の帰還」のときにも書いたが、復活したカーク艦長の活躍を描く、という話のコンセプト自体は、はっきり言って気に入らない。だいたい今回のカーク艦長、スーパーマンぶりが極端すぎる(そんなに自分が活躍したいのか、シャトナー先生)。カーク艦長の役を別のオリジナルキャラ2、3人が担っても、そんなに話の面白さは変わらなかっただろうに。

・井上祐美子「海東青 〜摂政王ドルゴン〜」,中央公論新社,2000.7
 清朝第3代順治帝の時代に北京を陥とし、清を名実ともに「中華帝国」の座につかせた実力者、睿親王ドルゴンの一生を描く。
 「紅顔」の主人公呉三桂が、ついに越えることのできなかった男の物語である。呉三桂が自分の器以上の野心を抱いてしまったのとは逆に、ドルゴンは積極的に野心を持てない人物として描かれている。
 その彼が唯一抱いた――というより抱こうと努めた、という感じだが――野心が、清による中華征服だった。だが、たいして欲しくもない権力を手に入れ、周囲の恨みや嫉視を買ってまでしてそれを成し遂げたほとんど直後に、彼は力尽きて倒れるのである。華々しい成功者の話であるはずなのに、何よりもまず切なさを感じさせられる。


・茅田砂湖「デルフィニア戦記」(全18巻),中央公論社C・NOVELS,1993.10-1998.12
 まずは、その重量をものともせず全18冊まるごと持ってきてくれた踊るらいぶらりあん女史に感謝。
 朴念仁の名君ウォルと美少女の外見をした異世界の化物リィ、男の(?)友情で結ばれた二人の活躍を描く大河ファンタジー。…なんかミもフタもない言い方になってしまったが、おおむねそういう話で合っていると思う。
 第一の読みどころは当然ながらウォル&リィの主人公コンビ。決してありきたりなロマンスや馴れ合いに堕さない二人の関係は、読んでいてとにかく爽快である。もっともこの二人、あまりにも人並みはずれているので(片方は本当に人じゃないから当たり前か)、読む側としては彼らに振り回される周囲の反応の方が楽しめる。その意味ではシェラとかバルロあたりが一番好きなキャラということになるか。
 この二人以外のサブキャラもそれぞれに個性的。しかし、主人公でロマンスができない代わりなのか、サブキャラをほとんどみんなカップルにしてしまっているのには、ちょっと苦笑してしまった。
 話の筋としては、流浪の王だったウォルがリィの助けを得て王位を回復し、さらに外敵を斥けて平和な世を築く、という王道中の王道。ラストは……リィとレティシアの二大怪獣大決戦が竜頭蛇尾の結果に終わってしまったことや、最終話に登場するリィの「相棒」が便利すぎることなど、細かい部分に文句を言えばきりがないのだが……それまでに展開されていたエピソードを全部きれいに閉じたうえで完結しているので、非常の気分のいい読後感を味わえた。
 まあなんにしろ、高い人気と評判に違わない面白さである。

・梶尾真治「時空祝祭日」,ハヤカワ文庫,1983.7
 短編集。軽く笑える小咄もちょっといい話もあるが、抜群のインパクトを誇るのが「インフェルノンのつくりかた」。奇跡的な効力をもつガン特効薬「インフェルノン」を製造する惑星に赴任した若き医学者が、「製造工場」で目にしたものとは…。
 えげつない話もここまで真正面にやられると、ほおを引きつらせて笑うしかない。しかし、この話を読んだのが昼飯どきだった私は、ちょっと不幸。

・池上永一「レキオス」,文芸春秋,2000.5
 日本、アジア、アメリカ、そして地元の文化が交錯する2000年の沖縄。一種独特な世界をつくっているこの島で、自然の根元となる<要の力>レキオスをめぐる陰謀が最終段階を迎えようとしていた…。
 いや、ここまですごい話だったとは予想していなかった。いきなり地面から上下逆さまの姿で飛び出した女が米軍の戦闘ヘリをたたき落とすという、冒頭からものすごい飛ばしよう。このペースに乗せられて、ラストの時空を越えた大魔術戦まで一気に読んでしまった。後半、パラドックス世界の沖縄に突入して以降の話をはしょりすぎていたり、他の登場人物のキャラが立っているのにに比べて、親玉キャラダインの悪役ぶりがいまいち通りいっぺんに感じられたりと、不満点を数えることもできるが、話のスピード感はそれをおぎなって余りある。
 主人公デニスが米軍人と沖縄人との間に生まれたアメレジアンであることをはじめとして、話の随所に沖縄の複雑な環境と矛盾が描写されているのも面白い。…が、そういうマジな点ばかりを強調すると、かえって魅力を損なうことになる。基本的には笑って楽しむ話だと思う。
 それよりも何よりも、強烈としか言いようのないインパクトを与えてくれるのが、サマンサ・オルレンショー博士。他人のセヂを奪うというだけあって、他の登場人物を食いまくっている。この人複数の意味で強すぎ…。

・栗本薫「グイン・サーガ73・地上最大の魔道師」,ハヤカワ文庫,2000.7
 カバー絵を見て「地上最大って、結局こいつのことか?」と一瞬がっかりしてしまったのだが、幸いハズレ。
 今回はヴァレリウスが久しぶりにかつての「ネクラなひょうきん者」ぶりを発揮していたのが、読んでいて楽しかった。最近彼のセリフは重苦しいモノローグが多かったからなぁ…。それもこれも、一番悪いのはやはりアルド・ナリスだと思うのだが。

・浅田次郎「壬生義士伝」(上下),文芸春秋社,2000.4
 幕末、鳥羽伏見の戦い直後のある夜。瀕死の新撰組隊士が南部藩邸に辿り着いた。名を吉村貫一郎。かつては足軽身分でありながらその才をもって藩士の剣術・儒学師範まで務めた、脱藩者であった。命乞いをする貫一郎に、かつての幼なじみ大野次郎右衛門はすげなく切腹を申し渡し、せめてもの情けと家伝の銘刀を彼に差し出すのだった。
 吉村貫一郎は何を考え脱藩し新撰組に入ったのか、そこで彼は何事をなしたのか。そして冷徹極まりない次郎右衛門の真情とは…。悲しいまでに真っ正直な「最後の侍」の姿を、死を前にした貫一郎の述懐と、彼の周囲にいた人々の回想が交互に伝える。
 とにかく、泣ける。その泣ける要素を一つ一つ挙げていたらちょっとやそっとで終われそうにないのでやめるが、読む人を泣かせるツボをまんべんなく突きまくったような話である。ここまでやられると、かえってあざとさとかくどさも感じてしまうし、貫一郎の息子にまで話を及ぼしてしまうのは、やりすぎだなあ……などと考えつつ、涙は流しているのだから世話はない。


・井上祐美子「女将軍伝」,徳間文庫,1995.2
 明末、南は雲南のから北は長城まで、各地を連戦した「巾幗の英雄」、女将軍(じょしょうぐん。間違ってもおんなしょうぐんと読んではいけない)・秦良玉の半生。
 めざましい活躍に比して、彼女の報われることのなんと少ないことか。兄たちは外敵との戦いで死に、夫は冤罪を被って獄死。そして息子も、その妻も…。悲劇的なシーンの描き方は、上の浅田次郎とはほとんど対極的。文章はひたすら淡々と綴られているのだが、それだけにいっそう、彼女の内心はどのようであったかと考えさせられる。
 …なお、解説の田中芳樹節がちょっと余計。

・D・W・スミス,K・ラッシュ「スタートレック・ヴォイジャー・2 脱出」,角川スニーカー文庫,2000.8
 <ヴォイジャー>の修理に必要な鉱石を採取するため、とある惑星に降り立ったキム、ベラナ・トレス、ニーリックス。だが惑星上に放置された船を調査中、突然作動しだした船とともに3人は行方不明に。船の正体は時間船で、彼らは30万年前の世界で捕らわれてしまうのだが…。
 今回はTVのノヴェライズではなくオリジナルである。過去、現在がめまぐるしく切り替わる構成は、文章ならではのもの。TVなどでこれをうまく表現することは難しいだろう。
 多数の時代・次元にまたがった社会を築くアルカウェル人の設定は、SFとして見ると粗雑な感は否めないが、深くつっこまずに読み流す分にはなかなか面白い。とくに彼らがタイムパラドックスを防ぐためにつくり出した極端な「お役所仕事」システムには笑ってしまった。…公務員が他人事みたいに笑ってちゃいかんか。
 ジェインウェイ艦長や、トゥボック、パリス、ベラナ・トレスといったレギュラー陣の活躍もそれぞれ用意されていて良。

・菅浩江「永遠の森〜博物館惑星〜」,早川書房,2000.7
 衛星軌道上の博物館小惑星<アフロディーテ>には、全世界のあらゆる美術品、動植物が集められている。博物館各部門の調整役となる総合管轄部<アポロン>に学芸員として勤める田代孝弘は、美術品と一緒に持ち込まれる無理難題に右往左往の毎日。だが、その中で彼は芸術や美術品にまつわる人々の、ときには切なく、ときには真摯な思いに触れていくのだった。
 収録されている9つの短編にはロマンスあり、謎解きあり。どの話にも落ち着いた優しさがあって、穏やかな気分で読み進めていける。とくに気に入りは第4話「享ける形の手」と第8話「きらきら星」。  「享ける〜」は、他の話と違って田代が主人公ではなく、<アフロディーテ>で引退公演を開く舞踏家シーター・サダヴィと、その接待役を買って出たファンの学芸員ロブのエピソードである。自分の望む舞踏を踊れず、自分に対してもファンに対しても嘲笑的になるシーター。それへのロブの返答は丁寧だが手厳しい。しかし彼の言葉によって、シーターは自分の舞を蘇らせるのである。本当にファンであるとはどういうことなのかが謳われている。
 「きらきら星」は小惑星帯で発見された五角形の彩色片と未知の植物種子の謎を探るもの。一番SFらしい道具立ての話である。謎解き役の数学者の、再会した女性学芸員への不器用な憧憬も(かなりクサいが)微笑ましい。
 話は違うが、田代たち学芸員が自分の脳と直接接続しているコンピュータ<ムネーモシュネー>、これが私には非常にうらやましい。頭に思い浮かべるイメージだけでデータを検索できる、究極のレファレンスツールである。うちの図書館にもぜひ1台欲しいのだが、5年リースでいくらぐらいになるだろう?
 しかしツールに頼るだけで問題が解決する話はひとつもない、ということもまた重要なポイントである。

・栗本薫「グイン・サーガ74・試練のルノリア」,ハヤカワ文庫,2000.8
 佳境、とかいいつつまだ続いているパロ内乱編。ヴァレリウスの「地上最大の魔道師」探求で、まださらに長引きそうな気配。すでにカンペキに100巻完結を捨ててかかっているようである。
 今回ヴァレリウスの前に現れるのは、久々に登場の「ドールに追われる男」イェライシャ(私はこの名前の響き、けっこう好きである)。この人、本編でも外伝でも一番おいしいところで登場するな…。

・グレッグ・ベア「タンジェント」,ハヤカワ文庫,1993.11
 グレッグ・ベアというと100%SF作家のイメージがあったのだが、この短編集は収録作の半分がファンタジー系。意外だったが、ベアにはファンタジーの邦訳もあるらしいから、私が知らなかっただけなのかも知れない。
 それでもSF作品の方が私はやっぱり楽しめる。一番良かったのは「姉妹たち」。人間の遺伝子改良が失敗する話で、人には触れてはならない領域があるのだと警告を発するなら珍しくもなんともない。だがこの話は遺伝子改良された人間をただ過ちの対象としてとらえるのではなく、改良された同級生に友情を抱くようになった少女の視点から、愛すべき同胞の身に起こった悲劇として物語られている。
 ちなみに、ファンタジー系では、創作という「罪」にとらわれた少年の小話「白い馬にのった子供」が面白かった。

・キース・ロバーツ「パヴァーヌ」,扶桑社,2000.7
 16世紀にエリザベス女王が暗殺され、スペインの無敵艦隊がイギリス本土を占領した結果、ローマ・カトリックの支配が20世紀になっても続いているイギリス。科学技術の発展が教会に阻害されているため、地上には蒸気機関車が走り、通信は腕木信号の目視に頼っている。そんな世界に生きる市井の人々のエピソードを積み重ね、ゆっくりと動き出す時代の流れを描く。歴史改変SFの金字塔。
 第一旋律「<レディ・マーガレット>」から第五旋律「白い船」まで、語られるエピソードは年表に残る大事件ではなく、そこに登場する人物も歴史上に屹立する偉人ではない。父のあとを継いだばかりの機関車手が思い悩んだあげくプロポーズに踏み切る話や、信号手に憧れた少年が苦学のすえにその思いを遂げるが、最初の任地で客死してしまう悲劇など、どこの世界にもありそうな小さな物語である。だが、それだけに架空世界の架空の人々が、確実なリアリティをもって読む人の中に生きてくる。ジェシー・ストレンジやレイフが本当は実在しなかったのだということを、自分に言い聞かせなければならないほど。
 そして小さなエピソードで語られた人々の思いや行為は、第六旋律「コーフゲートの城」に収束し、歴史を大きく動かしていくのである。ミクロからマクロへの話の繋がりは、見事としか言いようがない。
 …でも実を言うと、第五旋律「白い船」が物語全体でどういう役割を果たしているのかがちょっと分からなかったんだが…誰か教えてくれないだろうか?

・J・S・ボルヘス他著「書物の王国1・架空の町」,国書刊行会,1997.10
 古今東西の「架空の町」に関わる幻想譚を集めたテーマ・アンソロジー。収録されているのは「捜神記」や「千夜一夜物語」、小川未明にボルヘスに山尾悠子にチェスタトンに萩原朔太郎etc.etc.とくるから、本当に掛け値なしの「古今東西」である。ラインナップを見るだけで楽しくなってくる。
 中でも異彩を放っているのがボルヘス「トレーン、ウクバール・オルビス・テルティウス」と山尾悠子「遠近法」。どちらも「架空の町」というより、異世界をまるごと一つ創ってしまっている。
 「トレーン〜」では、哲学者バークリの言葉「存在するとは知覚されること 」が、文字通りまかり通ってしまう。あるはずのないところから遺跡を「発掘」したり、鉛筆を探しているうちに、本物ではないが負けないぐらい本物らしいが、より一層探している人間の期待に合致した別の鉛筆を発見できてしまう世界の話である。正直、半分以上はわけがわからないのだが…その世界の言語や文学哲学にまで話が及ぶのに圧倒された。
 「遠近法」の世界は上下が無限に続く円筒形で、内部の回廊に人々が住んでいる。…目眩のしそうなイメージだ。円筒を上から下へと移動する太陽と月、そして雲と雷を操る気まぐれな「神」など奇妙な事物が描かれる。一番面白かったのは「九万階上にこの世界の謎を知る老人がいる」という伝説に従ってひたすら上階をめざした男たちのエピソード。ただ一人目的の階に辿り着いた男に、その階の人間が問うたことは…。そりゃ飛び降りたくもなるわなあ。
 「遠近法」より後に収録されている後半部は、どこかとおくの別世界ではなく、ありふれた町中や広場にある「異世界」と、そこに踏み込んだ人の物語が集められている。中では萩原朔太郎「猫町」が印象に残った。普段見慣れた町が、道に迷った拍子に異世界の容貌を垣間見せるという奇譚。私も方向音痴では人後に落ちないから、「猫町」に入り込む素質はあるとおもうのだが…。

・私市正年「イスラムの聖者」,講談社現代新書,1996.2
 厳格な一神教のはずのイスラムに、アッラー以外に信仰される「聖者」がいるのは、原理としてはおかしい。しかし10億以上の信者と1200年以上の歴史をもつ宗教が、そういう古い建前だけで成り立つはずもない。各地域の風土や習慣にあわせて変化し密接に結びつくことで、イスラム教は世界中にひろまったのである。この本では、地域の信仰を担った聖者と、彼らが起こしたと伝えられる「奇跡」を分析し、聖者信仰がその地域の歴史にいかに深く関わってきたかを解き明かす。
 奇跡――というと、史料として使うにはかなり眉ツバなものと思われる。しかし奇跡とはそれを望む人がいるからこそ起こるものである。例えば、都市部にはほとんどない「雨を呼ぶ奇跡」が農村では逆に多かったり、水を裂いて海や川を渡ったり、水上を歩行したりする奇跡を伝えているのが、大河の近辺に限られていたり。奇跡を見れば、その社会で何が重要とされていたか、何が望まれていたかが分かる。
 …そういう重要な奇跡に混じって、「異常にたくさんの量を食べる」奇跡や「雨を高価で売りつけることができる」奇跡などという、奇跡なんだかビックリ人間なんだかサギなんだか分からないようなものも並列して残っているところも、面白かったりするのだが。
 なお、書かれたのがオウム事件の少し後、ということで、最後には現在のカルトと聖者崇拝の関連についても少しながら触れられている。

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