読後駄弁
2001年読後駄弁1月〜2月


・グレッグ・イーガン「祈りの海」,ハヤカワ文庫,2000.12
 「宇宙消失」「順列都市」の2長編で大当たり(一般的にも私的にも)だったイーガンの短編集。長編でもアイディアの秀逸さ一本で押す作家だから、短編の方が面白いだろうとは思っていた(そのわりにSFマガジン掲載の短編は読んでないのだ、実は…)。
 まず気に入った冒頭の「貸金庫」は、予想通りアイディアが光る作品。一日ごとに意識が町内の他人に乗り移りつづけるという状態で成長した男の物語。主人公が自分の「本体」を見出すラストよりも、彼が自分自身と世界を認識するに至った過程を回想するくだりが面白い。こいつ、よく正気のままで成長できたよな…。
 また奇抜なアイディアという点では、人間のイデオロギーが、その人の立っている地理的な場所で左右される世界を描いた「放浪者の軌道」も捨てがたい。
 アイディア、アイディアと連呼するということは、つまりストーリーテリングとか登場人物の造形とかがいまいち…ということになる。実際、長編の方を読んでいるとそっち方面はいまいち、いまに。
 しかし、表題作「祈りの海」を読んでちょっと認識を改めた。衝撃的な宗教体験をした主人公が、深い信仰を持ちながら科学の道を歩むが、自らの研究成果が……という話。舞台となっている星の海人/陸人に別れた社会の設定もいいし、主人公の内面もこれまで読んだものよりうまく描かれているように感じた。この人、ひょっとして物語を書くのが上手くなっているんじゃないだろうか。次の長編を読むのが楽しみになってきた。

・ダニエル・ヒリス「思考する機械コンピュータ」,草思社,2000.10
 コンピュータの使い方の本ではなく、コンピュータというものの考え方についての入門書である。前半で「ブール演算」や「有限状態機械」といったコンピュータサイエンスの基礎用語について、後半で並列コンピュータやAI、量子コンピュータといったトピックについて解説する。
 山田正紀「エイダ」とかホーガン「量子宇宙干渉機」などのSFを読んでいると、量子コンピュータというのは現実の枠組みを根本から揺るがしてしまう驚異の機械なのだが、この本での量子コンピュータの説明は、ふつうのコンピュータでは実現できない乱数を発生させるとができるという点に限られている。これは、それ以外の可能性が現実的でないのか、それとも素人に辛うじてでも説明できるのがこの辺のことだけなのか…。

・ブルース・スターリング「蝉の女王」,ハヤカワ文庫,1989.5
 スターリングはだいぶ前に長辺「スキズマトリックス」を読んだのだが、いまいち面白さがわからなくてそれっきり。しかしこっちの短編集の方は「これ自体も面白いし、これを読んでからの方がスキズマトリックスがよく分かる」というので再トライ。
 宇宙に進出した人類は過酷な環境に適応するため自らの体にさまざまな改変を加えた。自分の遺伝子を加工して適応した<工作者>と体をサイボーグ化して適応した<機械主義者>、二大勢力の対立がシリーズの背景となる。
 最初に収録されている「巣」のインパクトが強い。<工作者>のエージェントふたりが知性を持たない種族の「巣」に潜入し、利用しようとするが…。生物種が生き延び繁栄するのに、人間が持つような知性は必要ではなく、知性のない種が知性を持つ種を必要に応じて利用することさえある、というビジョンに驚かされた。
 つづく「スパイダー・ローズ」は、長命の<機械主義者>スパイダー・ローズと彼女が異星人<投資者>から入手したあるペットの物語。一見弱々しい存在が実は最もしたたかである、という点が「巣」と共通している。
 それにしても「巣」ではシロアリ、「スパイダー・ローズ」ではクモ、そして表題作「蝉の女王」…と、やたら虫づいたシリーズである。人類が環境に適応するために頻繁に形態を変えていくというのも、昆虫の進化戦略をそのままなぞっているようだ。
 よし、そのうち「スキズマトリックス」にも再トライしてみるとしよう。

・石川淳「至福千年」,岩波文庫,1983.8
 幕末、佐幕派と倒幕派が争う陰で、ひそかに世の転覆を狙う隠れキリシタンの一派がいた。表向きは稲荷の神官を務めるその首魁、加茂内記は世情の不安を煽り貧民たちに革命を起こさせることで江戸に「千年王国」を築こうと画策する。やはり隠れキリシタンだがより穏健な考えを持つ庭師の富豪松太夫がこれに対抗し、暗闘がくりひろげられる。
 登場人物たちの争いは、煽動あり、幻術あり、少々は立ち回りもあるのだが、それ以上にイデオロギーのぶつかりあいとなる。盗人一角や非人頭喜六を煽動して江戸を混乱に陥れようとする内記が無政府主義の過激派なら、信仰を守りつつも世俗の富を殖やし、ゆくゆくは貿易によって国を開き教えも広めようという松太夫は中道左派という様子だ。そして内記が自らを神と称えるただの野心家に堕した後は、すべてを捨ててただ神の教えを辻々で語る更紗絵師源左と、神はすべての人に内にあり、悪人は悪を行えば神の意に添うという一角がイデオロギーを掲げる形になる。
 しかし、どんな立派な教えであれイデオロギーであれ、そのための争いに巻き込まれて死んでいくのは、たいがい善人からである。非人頭喜六、内記にマインドコントールされ正気を失った好青年与次郎、松太夫の老番頭十兵衛…と、人のいい順に倒れていくのが、なんとも哀しい。最初から最後まで傍観に徹して生き延びる冬峨が、ある意味いちばん賢いのかもしれない。
 ところで話は変わるが、松太夫の側に、ふだんはやんちゃ坊主だがときどき預言めいた言葉を口にする三太という少年が登場するのだが、この名前はあるいは「Saint」のもじりだろうか。ラストで重要な働きをするのかと思いきや、結局思わせぶりなセリフだけで終わってしまっているのが残念である。物語でのこの少年の役割は、一体どんなところにあったのだろうか?

・宮城谷昌光「沙中の回廊」(上下),朝日新聞社,2001.2
 私が最初に読んだ宮城谷昌光の作品は「晏子」で、その次の次ぐらいに読んだのが「孟夏の太陽」だった。この2作品で晋の名将として、渋い脇役を演じていたのが士会という人物だった。いつかは彼を主人公にした作品が書かれるんじゃないかと心待ちにしていたので、朝日新聞で連載が始まったときは嬉しかった。
 「史記」に列伝がたてられていないせいだろう、士会の知名度はかなり低い。だが、政変で一度は母国・晋から隣国・秦に亡命したにもかかわらず、敵国で才能を発揮されることを恐れた晋が強引に連れ戻したというほどの人物である(「史記」でも世家の方では記述がある)。この小説でも実戦での活躍あり、帷幄での戦略の冴えありと、どちらかというとおとなしめの話が多いこの人の作品にしては、珍しく活気のある場面が展開される。
 もっともキャラクターとしての士会はというと、ちょっと面白みに欠けるかなとも思う。宮城谷長編の主人公は多かれ少なかれそうなのだが、哲人風の非常に立派な人物で、現実にいてくれたら素晴らしいが、小説で読むには愛想がない。
 その意味ではむしろ、士会の目から見た晋の群像を描いたものとして読んだ方が面白い。とくに興味を引かれるのが晋の正卿・趙盾。主君の死後、一時は国外から成人した公子を呼びよせようと士会らを遣わしながら、その後国内の幼い公子を位につけるようその母親に哀願され、悩みつつも幼主を立てる人物である。彼の変心のため、士会は亡命を余儀なくされる。後に自分が擁立した主君に疎んじられ、刺客さえ差し向けられるという、悲痛な結末を迎えるのだが…。
 悪人ではないが他人の心情を推し量れない独善的な人間と、士会は終始趙盾に批判的だが、そこまで言うのはちょっと厳しすぎるんじゃないだろうか。誠実だが政治家としては不器用という方が当たっているように私には思える。最初に挙げた「孟夏の太陽」は趙盾が主人公で、そういう描き方をされていたのだが、この評価の違いは士会からの見方ということでそうなったのか、それとも作者自身の考えが変わったのか、さて、どちらだろう。

・ボブ・ショウ「去りにし日々、今ひとたびの幻」,サンリオSF文庫,1981.10
 SFマガジンの500号記念号(98年1月号)に載っていた短編「去りにし日々の光」が気に入ったので、同じシリーズの長編だというこの本は一度読んでみたかったのである。貸してくれたNALさんに、まずは感謝。
 自分が新開発したガラスを装備した航空機のエキシビジョンに、ギャロッドは妻を伴って参加していた。だがテスト飛行で航空機は墜落。原因はどうやら彼のガラスにあるらしい。調査の結果、ギャロッドは自分の開発したものが、透過した光…映像を何日でも(あるいは何ヶ月でも何年でも)遅らせて映すことのできる「スローガラス」だったことを発見する。スローガラスはさまざまな用途に応用され、ギャロッドは巨万の富を築いたのだが…。
 スローガラスの開発者アルバン・ギャロッドを主人公とする長めの話と、その間に断章的に挟みこまれた3つの短編「サイドライト1〜3」で構成。SFマガジンで私が最初に読んだのは、この「サイドライト」のうちの一つである。そこではスローガラスは美しい風景を記録した装飾品だったが、他の物語ではそれぞれ別の用途で登場する。照明器具、記録装置、義眼、監視カメラ…ひとつのアイディアを、よくぞここまで拡げることができたものだ。
 最後には国家が粒子状のスローガラスを散布して、人々の行動をいつ何時でもスパイできるようにするという計画まで現れる。詩情の濃いタイトルとはうらはらに、ラストはディストピアの到来を暗示して終わり…?と思ったが、最後の最後でフォローして、いちおうプラス方向の結末に。けどこれが実際に起こったら、ディストピアの方がありそうなことだ。

・スーザン・ライト「スタートレック・ヴォイジャー・4 複合違反」,角川スニーカー文庫,2000.12
 故郷へ戻るためのワームホールの情報を求めて、<ヴォイジャー>はテュートピア星系を訪れた。そこでは<複合体(カルテル)>と呼ばれる巨大組織が科学技術や情報を管理・支配していた。<ヴォイジャー>は取引のため異星人の一派を艦内に招くが、彼らにメイン・コンピュータの中枢ユニットを強奪される。それは反<複合体>組織のクーデター計画の一環だった。コンピュータを失った<ヴォイジャー>は制御不能、さらにジェインウェイ艦長がクーデタ側の、操舵士パリスが<複合体>の捕虜となってしまう。
 ジェインウェイ艦長からケス、ニーリックスまで、主要登場人物のそれぞれに最低ひとつは見せ場が用意されている。良く言えば多くのファンを満足させるサービス精神旺盛な、悪く言えば焦点が定まらない 話になっている。
 あえて読みどころを挙げるとすれば、勇気というより無邪気さから<複合体>の本拠に突入して金星をあげるケスと、功を焦って命令違反を犯し、あげく虜囚の憂き目をみるパリスあたりだろうか。
 どうでもいいけどパリス君、<複合体>で出会った異星人が女性だと分かると、急に態度が変わるんですね…。前巻「最終戦争領域」のときに<ヴォイジャー>機関士のベラナ・トレスが他「スタートレック」シリーズのスコット、ジョーディに連なると書いたが、どうやらパリスが連なっているのはカーク、ライカーの系列であるらしい。

・スタニスワフ・レム「宇宙創世記ロボットの旅」,ハヤカワ文庫,1976.8
 今はむかし、宇宙がまだ上下左右整然と並んでいたころ。大きな能力をもつロボット宙道士トルルとクラパウチュスは行く先々の星で、そこを支配する王や皇帝からさまざまな難題をふっかけられる。それを切り抜け、あるいは逆手に取っていくふたりの、機知と奇想の物語。
 レムで私が読んできたものといえば、まず定番の「ソラリスの陽のもとに」、あとは「砂漠の惑星」と「星からの帰還」。重たい雰囲気の作品を書く人とのイメージが濃かったのだが、今回あたった本書は違って、かなり軽い読み口である。ちょうど「はだかの王さま」に出てくる仕立屋コンビを主人公にして、舞台や小道具をSFじたてにしたような感じだ。「宇宙」とか「ロボット」などにはあまりこだわらず、寓話として楽しむ類の話である。
 つごう9つの短編が収録されているが、一番面白かったのは「盗賊『馬面』氏の高望み〜第六の旅〜」。トルルとクラパウチュスから彼らが知っている全部の「情報」を脅し取ろうとした強盗に、ふたりは宇宙のあらゆる情報を出力する「二流悪魔」を作ってやる。その結果、真実ではあるが役に立たない「情報」の奔流に強盗は押しつぶされて身動きできなくなってしまう、という話。
 二流悪魔の名前は、ひょっとして「WWW」とかいうんじゃないだろうか…。

・ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」(上下),草思社,2000.10
 地球上の、極地地方をのぞいたほとんどの地で人類は社会を築いている。だがその社会が歩んだ方向は、決して一様ではない。高度な科学技術を発展させた西欧文明もあれば、伝統的な農耕・牧畜を営む社会もあり、農耕を始めるにいたらず(あるいは一時は農耕を行っていたにもかかわらず)、狩猟・採集生活を行っている社会もある。この違いはいったい何が原因なのか?基本的だが、回答困難なこの問いに正面から取り組む。
 当然ながら「文明を発展させた西欧人が人種的に優秀で、他はそうでもなかったから」という安直な答えは真っ先に排除される。では、たとえば南アメリカの先住民が西欧のような文明を同じぐらいのスピードで築くチャンスはあったのか。インカ帝国が大西洋を越えて、スペインを植民地支配するようなことは起こり得たのか。これについても、やはり答えはノーということになるだろう。
 この本で文明の差異を生んだ原因として挙げられているものは、ひとことで言うと「環境」である。西欧が世界を席巻する要因となった三要素「銃・病原菌・鉄」を持っていたのは、それを生み出すことのできる自然環境の下で文明が発展したからだ、と。
 これについては、目を瞠るほどに革命的な答えというわけではない。「生まれでなければ育ち」とは、わりと簡単に思いつきそうなものである。だがこの本のすごいところは、その「育ち」とは何なのかを具体的に説明し、裏付けを与えていく論理の明快さと、学際的な視野の広さである。文明の違いを生んだ元々の原因を「それが起こった大陸が南北に長いか東西に長いか」に求める点はまさに瞠目もの。また、そこから始めて、著者のホームグラウンドである進化論や生物地理学はもちろん、考古学や人類学、歴史文献まで取り入れて論を進める知識の豊富さにも驚かされた。
 圧倒されつつも読み進めていくうちに、疑問も生じる。まず、すべてがその文明のおかれていた自然環境に起因するのだとしたら、個々の人間の創意とか意志はとるに足らないものなのだろうか、ということ。もうひとつ、近代の主役となったのが南米でなく西欧だったのは、環境に恵まれていたか否かで説明できるとしても、中国でなく西欧だったことを同様に説明できるだろうか、ということである。
 まあ、電車で立ち読みしながらでも考えつくようなことぐらい、著者が考えつかないわけはないものであって、これらについては本書の「エピローグ」でフォローが試みられている。第一の疑問については、「個人が文明の流れを大筋で変えることは考えにくいが、現実にどこまで影響を与えられるかは未知数」というあたりでとりあえず納得できる。だが、中国については…。中国の社会が古くから統一国家の下にあったのに対し、西欧では多様な国家が乱立していたということが、要因として挙げられている。たしかにそれはあるだろうが、他で論じられている部分に比べると説得力が弱いような気がする(中国が分裂していた時代だって、そうとう長いんじゃないか?)。本書で立てられた論の上に立って、東洋史版の「銃・病原菌・鉄」を書いたものが出たら読んでみたい。

・ロバート・J・ソウヤー「フラッシュフォワード」,ハヤカワ文庫,2001.1
 2009年9月、素粒子実験の事故で全世界の人間の意識が数分間だけ21年後に跳んだ。多くの人々は自分の未来を垣間見たのだが、中には事故の間じゅう何も見えなかった者もいた――つまり21年後には死んでいるということだ。事情を知った世界は大混乱に陥る。果たして未来は彼らが見たとおりにしかならないものなのか、それとも――?
 前半部、事故を起こしたヨーロッパ素粒子研究所の科学者たちを中心に世界のパニックぶりを描くあたりが、文句なしに面白い。話の本筋もいいが、それ以上に2009年の混乱ぶりを伝えるニュースリリースや、2030年の情報を持ち寄るネット企画の部分で、私の大好きな「小ネタのソウヤー」が復活してくれているのが嬉しい(某MS社が倒産していたり、「スターウォーズ」9部作がまだ完結していなかったり…)。ついでに「不倫と家庭不和のソウヤー」も復活していたりするのには苦笑したが。
 後半以降がつまらないというわけではなく、引き続きテンポよく読める。ただ一点、ラスト近くで話を宇宙論的な方に持っていきかける部分だけは、全体の中で浮いた感じになってしまっているように思う。
 とはいえ、引っかかったのはその部分だけ。去年出た「フレームシフト」みたいな地に足の着いたのも悪くないが、こういう突拍子もない話の方が私にはツボである。今まで読んだソウヤーの作品全部で比較しても、まちがいなく面白かった部類に入る。

・日本SF作家クラブ編「2001」,ハヤカワ書房,2000.12
 神林長平、瀬名秀明、森岡浩之etc.etc.というラインナップの豪華さに負け、ハードカバーにもかかわらず買ってしまった短編集。まあ元が取れるぐらい面白かったからいいが…文庫が早く出てしまったら口惜しいな。
 とくに面白かったのをいくつか挙げるとすれば、まず瀬名秀明「ハル」。妻をモデルにとったロボットを前にした、主人公の動揺と葛藤を描く。「フランケンシュタイン・コンプレックス」ならぬ「フランケンシュタイン(の怪物)にしてやれなかったコンプレックス」とでも言おうか。瀬名秀明の長編は「パラサイト・イヴ」にしろ「ブレイン・ヴァレー」にしろ、非常にハードSF的な設定なのに、後半それを置いといて怒濤のホラー展開になってしまう。ところが今回収録のこの短編は設定が比較的厳密でない代わりに、一貫して抑えた調子で話が進む。こっちの方が、私の好みには合っているようだ。
 あと神林長平「なんと清浄な街」も良。人間の周囲を取り囲む「現実」の不確かさを扱っているという点で、いかにもこの人らしい作品だと思う。
 この人らしい、と言えば三雲岳斗「龍の遺跡と黄金の夏」も、「M.G.H」の作者ならではの理系ミステリ。ただ、トリックは面白いと思うのだが…「普段はとぼけているけど実は最強のドラゴンスレイヤー」という主人公のキャラは、ちょっと月並みすぎやしないか。
 他の作品もどれも楽しめたが、荒巻義雄「ゴシック」だけは…面白くなかったというより、私では評価不能。使っている用語や固有名詞のことが分かっていれば、ひょっとしたらすごく面白いのかも知れない。私に分かるように注釈を付けたら、たぶん本文より長くなりそうな気もするが。

・オースン・スコット・カード「ゼノサイド(上下)」,ハヤカワ文庫,1994.8
ネタバレするので、こっちでは略。読みたい方はこちらへ。

・塚本青史「白起」,河出文庫,2001.1
 中国戦国時代で最大の会戦、趙−秦の間で戦われた長平の戦い。勝者となった秦の総指揮をとった将軍、白起を中心に、戦国末期の群像を描く。
 読む前は、白起がなぜ長平の戦いの後、捕虜四十万をすべて坑埋めにするといった大量虐殺に至ったかの心理劇が中心になるのかと考えていた。だが実際に物語を動かしていくのは白起よりも、その時代の中心人物である孟嘗君や秦の実力者魏冉、縦横家の蘇三兄弟たち。一方、主人公の白起自身は歴史的事件に対し受身に回ることが多い。…その分、彼が頑ななまでの意志を見せ、死を選びとるラストが印象に残りもするのだが。
 人間には神が粘土から丁寧に作ったものと、泥から作った粗悪なものがある、という単純だが激しい人間観をもつ白起の心理をもっと中心に据えた話でも面白かったと思う。しかし、そうでなくてもこれはこれで、時代全体を描ききった骨太な物語ということで、十分に楽しめるものではあった。

・栗本薫「グイン・サーガ77・疑惑の月蝕」,ハヤカワ文庫,2001.2
 前巻ラストから今回にかけて「地上最大のヒキ」とのこと。もっとも件のキャラクターの生死について、本気でやきもきしている読者は少ないんじゃないかと思う。作者が自分の一番のお気に入りキャラを、そうあっさりと手放すはずはないだろうし。題名も「月蝕」だし。
 ついでに今回は他にグイン・イシュトら主要キャラも少しずつ顔を見せ「近況報告」といった感じの回でもある。

・クラーク,バラード他「20世紀SF3・砂の檻」,河出文庫,2001.2
 60年代。乱暴に括って言ってしまえば「ニュー・ウェーヴ」SFが現れた時代である。当然ながら「20世紀SF」3巻目のこの短編集も、英のバラード、オールディス、それから米のディレイニーと、そっち方面のラインナップが登場する。…しかし私はというと、実はニュー・ウェーヴ系と言われる作品は苦手な部類に入る。いや、別にこれがSFをダメにしたとか思っているわけではない。ニュー・ウェーヴ運動を経たからこそ、SFは幅広く懐の深いジャンルになったんだろう(偉そうだな、おい)。けどまあ好みは別にあるもので、今回収録されているバラード「砂の檻」にしても、こういうのもアリだとは思うが、非常に面白いとは感じられなかった。
 …というわけでこの巻収録のうち一番ヒットだったのも、あまりニュー・ウェーヴと関係なさそうなジャック・ヴァンス「月の蛾」。人前では仮面を被るのが絶対のマナーとなっている惑星シレーヌで殺人事件が発生。殺人犯は被害者のものだった仮面を被って隠れているはず。着任して間もない領事代理シッセルが、犯人を見つけるためにとった方法とは…といった話。人前で素顔をさらすのがタブー、複雑な楽器を演奏することで他人とのコミニュケーションをとる、というシレーヌの異質な文化を細密に描いているところがすごい。シッセルがこの文化を利用して犯人を暴く方法はなんとなく予想できたが…その後もう一回どんでん返しが用意されているのには、気付かなかった。ヴァンスはデビュー以来作風が変化せず「SF界のシーラカンス」とも呼ばれているそうだが、こんな話を書いてくれるならシーラカンスで上等!

・オースン・スコット・カード「エンダーの子どもたち」,ハヤカワ文庫,2001.2
 ネタバレするので、こっちでは略。読みたい方はこちらへ。

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