読後駄弁
2001年読後駄弁3月〜4月


・草上仁「無重力でも快適」,ハヤカワ文庫,1989.2
 長期間の宇宙飛行で最大の難題――トイレに溜まった大小便をどう処理するか――に、画期的な解決を提供する最新式無重力トイレ。そのセールスマンがある宇宙船からのクレームに応じて駆けつけてみると…。表題作「無重力でも快適」をはじめ、軽快な作風が楽しめる短編集。長編「東京開化えれきのからくり」も面白かったが、やっぱりこの人は短編が本領だと改めて感じる。
 とぼけたユーモア系の作品ばかりかと思いきや、中には「ウォークスを探して」のようにちょっとハードボイルドっぽいシリアスな作品も混じっている。笑える方が私は好きだが、こっちも悪くはない。

・アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」,ちくま学芸文庫,2001.2
 11世紀末から13世紀にかけて行われた「聖地奪回の聖戦」、十字軍とイスラム勢力の角逐を、イスラム側の年代記を元に再現する史談。私が大学でイスラム史をとるきっかけになった、懐かしの一冊である。
 初めて読んだときは、「聖戦」の美名とは裏腹に十字軍が野蛮な侵略者だったということにのみ注意がいっていたのだが、読み直してみると、イスラム諸勢力が敵に比較して格別立派でもなかったことに気付く。人数でも地の利でも侵略者を十分に追い払える力を擁していながら内部抗争に明け暮れていた結果、エルサレムをはじめとする要地を占領され、いわゆる「十字軍国家」の成立を許してしまう。それどころか内輪もめの助っ人として十字軍と同盟関係を結ぶことさえ、珍しいことではなかった。その無原則ぶりにあきれる一方で、なんとなくホッとするような気分もある。この時代でさえ、人々は宗教に対して結構したたかな態度をとることができたのだということに。
 そういう融通無碍な状態が常だったからこそ、ヌールッディーンやサラーフッディーンのように政戦両略に辣腕を示し、しかも信仰面でも一貫した態度をとり続けた人物が英雄として記憶されるのだろうが。
 英雄というのとはちょっと違うが、私がこの本で一番興味を引かれたのは第5回の十字軍を行った神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世。その立場にも関わらずイスラム文化の大ファンで、アラビア語を完全に解し、メッカに向かって跪きさえしたという人物。隠れイスラム教徒…というよりはむしろ無神論者で、最初の「玉座の近代人」とも評価される。この人の伝記はぜひ読んでみたいものだが邦訳は…ないよな、やっぱり。巻末の参考文献で、部分的に触れられている資料が2,3挙げられているので、それをあたるしかないか。

・田中啓文「銀河帝国の弘法も筆の誤り」,ハヤカワ文庫,2001.2
 帯に付いてる「非推薦」の文句を読んで、いったいどんな内容なのかとおっかなびっくりページを開く。
 最初に出ている「脳光速」は、想像していたほどではなかった。たしかにドタバタな展開だし、題名はダジャレだし、スプラッタな「キャベツ狩り」をやってるけど、まあふつうに楽しかった。
 しかし、ここで油断したのが運の尽き。つづく表題作「銀河帝国の興亡も筆の誤り」と「火星のナンシー・ゴードン」は…なんというか、凄まじかった。ファースト・コンタクトの相手が仕掛けてきた禅問答に答えるため、高野山に封印された空海を蘇らせるとか、巨漢の女傑ナンシー・ゴードンが、妙な方言でしゃべるロボット軍団に出会うとか、ストーリーを紹介してもあんまり意味はないだろう。ホントに全編、ダジャレの嵐。これはもう、開き直って笑うしかない。
 もっとも、私が一番楽しんだのは、この2作品より最後に載っていた「銀河を駆ける呪詛」なのだが。超高速通信に呪いのパワーを使うというアイディアがすごいが…、もっとすごいのは、この話が最後にダジャレを出したいがために書かれたとしか思えないというところである。
 しかしながら、この短編集は、そういう表面的なくだらなさにのみ目を奪われてはならない。しかるべき注意を払って熟読した人には、作品の背景をなす壮大な構想と一見無茶苦茶な登場人物の言動に秘められた深遠な含意を読みとることができるだろう。
「ほ、本当なのか……?」
「嘘じゃ、あほ」(表題作より)

・トマス・ハリス「羊たちの沈黙」,新潮文庫,1989.9
 若い女性を殺しその皮をはぐという猟奇殺人犯「バッファロゥ・ビル」の人物像を掴むため、FBIは収監している異常犯罪者のプロフィール収集に乗り出した。元天才的精神科医の「人喰い」ハニバル・レクター博士の元に送り込まれたのは、女性訓練生スターリング。求められたアンケートは拒否したレクター博士だったが、たまたま居合わせた他の収監者がスターリングに対して行った無礼の代償として、事件についての謎めいた、だが重要な示唆を彼女に与えたのだった…。
 なんとなく今さらという気はするが、猟奇サスペンスの傑作ということだし、続編も話題になっていることだし。
 主人公スターリングのひたむきさも、彼女を指導するクローフォドのシブさも、「ザ・カニバル・ハニバル」レクター博士の前ではめっきり影が薄い。凶悪殺人犯であり精神異常者でありながら、同時にまた紳士でもあり得るという特異なキャラクターは確かにある意味魅力的だ。
 レクター博士の異常さというのはただひとつ、自分以外の存在に対し感情移入することが一切ないという点にあると思う。動物にしろ人間にしろ、殺されることに同情を感じたり、死骸を口に入れることを忌避したりするのは、それを自分になぞらえて考えるからではないだろうか。レクター博士は他の存在に対し、自分との同質さを全く認めていない。だからこそ人を殺すことも、その肉を口にすることもまったく平常心で行えるのだ。感情移入のあるなしで人か否かが判定できる「アンドロ羊」のアンドロイドは、きっとレクター博士みたいな感じなんじゃないかな…。
 そんな恐ろしい人物が最後にはなんと……である。なるほど続編が出るわけだ。

・サンディー・スコフィールド「スタートレック・ディープスペース9・5 究極のゲーム」,角川スニーカー文庫,2001.2
 DS9では、フェレンギ人クワークの主催で星域最大のポーカー大会が開かれようとしていた。凄腕のギャンブラー、ならず者たちが集結するこの危険な時期に、よりによってトラブルが発生。巨大な謎の衝撃波がDS9を襲う。その混乱に紛れて、ゲーム会場で殺人事件が発生。保安主任オドーは事件解決のため初めてギャンブルに参加。一方、シスコ司令官たちは故障が続発するDS9を維持しつつ、衝撃波の謎に挑む。
 オドー、クワークがメインとなるポーカー大会と、シスコ、キラ、オブライエンが活躍する衝撃波解明、一つの話に二つのエピソードを併走させるのは、レギュラーそれぞれに固定ファンの多いSTではよく見られる形である。二つの話がラストで繋がれば、一番面白いパターンなのだが…その点はいまいちだった。衝撃波の謎のカギを握るのが、ポーカー大会の殺人犯だという筋なのだが、わりとあっさり犯人が分かってしまうし、その犯人がまたあっさり口を割ってしまう。それぞれのエピソードでは各キャラクターの個性がうまく描かれていていただけに、少し残念。
 今回のベストキャラクターは、技術主任オブライエン。最後はナントカ放射線を探知してカントカビームを発射して解決という、STではありがちな、いささか安直な結末なのだが、そこに至るまでの奮闘ぶりは涙ぐましい。他STシリーズで活躍するエンジニアが<エンタープライズ>や<ヴォイジャー>といった連邦の最新鋭艦を扱うのに対し、オブライエンが担当するのは異星人が遺棄した中古ステーションのツギハギ仕事…。不幸な人だよなあ。

・栗本薫「グイン・サーガ78・ルノリアの奇跡」,ハヤカワ文庫,2001.3
 内容については「まあ、やっぱりね」というところ。
 ここのところ沈鬱なムードの話が続いてはいるが、なぜかグラチウスが出ると場が和んでしまうようなのは気のせいだろうか。ヴァレリウスとの掛け合いなど、妙に愉快である。2,30巻あたりの頃は彼が悪役としては最強だったのだが、7,80巻では半ば漫才担当…。「闇の司祭」としてはいささか不本意なことだろう。
 今回でパロ内乱エピソードもとりあえず一区切り?次はそろそろ新展開を期待したいところだ。正直ちょっとパロ百鬼夜行にも飽きてきたところだし。

・水見稜「マインド・イーター」,ハヤカワ文庫,1984.10
 宇宙の始源から存在し、生あるものへの憎悪をもつ結晶体――マインド・イーター。この意識ある石と戦いつつ宇宙へと進出する人々の姿を描く連作短編集。
 収録の各話はそれぞれ人間や意識について、その起源や境界線をさぐる物語になっている。冒頭の「野生の夢」では一握りの結晶と化しながら、それでも確かに生きている主人公の父に生物とそうでないものの境界を見ようとし、つづく「おまえのしるし」では宇宙空間で発見された謎の「言語」から人間意識(と、マインドイーター)の起源に迫る。第4話の「憎悪の谷」では人間の起源を探り、そこにマインドイーターが介在したことがほのめかされている。
 そんな大きな物語を背景にした登場人物の小さなドラマも、うまく絡められている。どの話もほろ苦い終わり方で、前に読んだ同著者の作品「食卓に愛を」とはだいぶ印象が違ったが、こっちの方が上手いように思えた。

・角山栄「時計の社会史」,中公新書,1984.1
 昔、駅で分秒単位の正確さで発着する電車を見送りながら、ふと「結局時間ってなに?」と考えたことがある。時間ものSFだと川か何かのように上ったり下ったりしているが、べつに実際何かが流れていて、そこに事物が浮かんでいるというわけでもないだろう。哲学的なことはよく分からないが(頭痛くなるし)、少なくとも私たちの日々の生活においては、時間とは単に時計の動きでしかないんじゃないかな…とひどくつまらない方向に行ってしまったところで考えるのを止めた。時間そのものとは別に、人間の時間に対する意識は時計(それが太陽の動きであれ、針の動きであれ、数字の変化であれ)によって左右されている。その変遷をおおまかにたどっているのが、この本。
 話が「シンデレラ」から始まるのが面白い。十二時になると魔法が解けるアレである。どうやってシンデレラは十二時という時間を知ることができたのか。時計の鐘の音というが、その時計は城の置時計だったのか、街の公共時計だったのか。彼女がいたとされる時代に正確な時間に鐘を鳴らす機械時計はもう存在したのだろうか。 そしてそもそも彼女の時代に、約束の時間に1分でも遅れると魔法が解けるという、厳格な時間感覚を人々はもっていたのだろうか?
 シンデレラをきっかけに西欧の機械時計の変遷を追った次は、「奥の細道」をとりあげ、そこから和時計と日本人の時間感覚について。その次はガリヴァー旅行記から、航海時計の話題へ。導入部がひとつひとつ技ありで、読んでいて興味のそれることがない。「社会史」と名のついた本をこれほど肩肘張らずに読めたのは久々だった。

・クリストファー・プリースト「ドリーム・マシン」,創元推理文庫,1979.7
 イギリスの古城メイドン・カースルで行われている「ウェセックス計画」。それは神経催眠投射装置「リドパス」によって、数十人の科学者が自分たちの設定した「未来」に精神を投射し、それを体験するというものだった。彼らの無意識が反映されたその未来世界は、歴史的には風変わりな、しかし穏やかな世界。参加者のひとりハークマンは、現実からの回収に従わず、投射世界にとどまり続ける。女性地質学者ジューリア・ストレットンはハークマンと接触をとるべく、投射世界に派遣されるが…。
 一風変わった歴史改変もの…というのが出発地点。登場人物が投射される150年後のイギリスは、共産主義が支配している(このあたり、時代だなあ…)。地盤沈下でウェセックスはイギリス本土から分離しており、舞台となるメイドン・カースルはアメリカを支配したイスラム国家の避暑客が訪れる行楽地となっている。
 ただし、これがただの未来世界ではなく、科学者たちが合意の上で創作した架空の未来だというのがミソ。あくまで投射装置のある世界が現実で、投射先の「未来」は虚構、だったはずなのだが…その虚構の未来世界で過去の世界に対する投射が行われるあたりから、二つの世界の関係が混乱し始める。未来の自分が過去からの投射なのか、過去の自分が未来からの投射なのか…あれ、ちょっと荘子の「胡蝶の夢」っぽい。
 ドラマとしては投射先で出会うジューリアとハークマンのラブストーリーなのだが、この方面では二人が恋に落ちるところがあまりに唐突すぎる点に、やや違和感も。投射世界は参加者の無意識がダイレクトに反映されるので、そういうのもアリ、というところだろうか。

・D・ケアリー「スタートレック・ヴォイジャー・5 フラッシュバック」,角川スニーカー文庫,2001.3
 ガス星雲を調査中<ヴォイジャー>保安主任のヴァルカン人、トゥボックが突如倒れる。原因を突きとめるためジェインウェイ艦長はトゥボックと精神融合を行い、彼の過去の記憶へと潜りこむ。そこはトゥボックが初めて宇宙艦隊で勤務した、80年前の航宙艦<エクセルシオール>の艦内だった。
 舞台は元祖スタートレックのレギュラー、ヒカル・スールー艦長が指揮する<エクセルシオール>で、ジェインウェイとトゥボックが活動するという、TVシナリオのノヴェライズ。元祖スタートレックの最終エピソード「スタートレック6・未知の世界」のサイドストーリーともなっている。コンセプトとしては小説版DS9の2巻目「トリブルでトラブル」と同様。ただし、こっちの方が話はかなり楽しめた。
 ヴァルカン人の論理と地球人の行動とのギャップに戸惑う若き日のトゥボックが描かれているのが面白いし、何よりスールー艦長の颯爽とした勇姿を拝めるのが、TOSのファンとしては嬉しい限り。小説版ならではの特典として、ラストで登場するスポックがヴァルカン人の先達としてトゥボックと語り合うシーンもポイントが高い。
 話の結末は唐突だし、ジェインウェイ艦長がアメリア・エアハートと記憶の中で再会するシーンは蛇足に思えた…ということで、「スタートレック・ヴォイジャー」の小説としてだけ見ればイマイチなのかもしれないが、複数シリーズのクロスオーバー作品としては、十分成功していると思う。

・ロバート・ワインバーグ「裏切り者の細胞 がんの正体」,草思社,1999.10
 がんが発生し増殖していくメカニズムを、詳細に解説。がんの原因が細胞の変異によるという基本的なところから、がん遺伝子、がん抑制遺伝子、DNA修復と、メカニズムが発見された順に説明されていくあたりは、がん細胞と研究者の追跡劇をみる思いがする。
 読んでいて感じるのは、がんそのものの不思議さよりも、たいていのがんを防止することのできる人体の不思議さである。がん細胞の発生を抑制する遺伝子があり、DNAのバグを修復する機能があり、さらに損傷した細胞を自死させる機能があり…と、幾重にもフェイル・セイフ機構が組み込まれている。つまりそれらを乗り越えて発病にまでこぎ着けたがんというのは、がん細胞エリート中のエリートということだよな…と妙な感心を抱いてしまったり。自分の体にはあまりできのいいがん細胞がいて欲しくないものだが…。

・宮城谷昌光他「異色中国短編傑作大全」,講談社文庫,2001.3
 宮城谷昌光、井上祐美子といったおなじみの作家から今回初めて見る名前まで、なかなかバラエティに富んだ中国小説短編集。
 「異色」といってもどう異色なのかは作品によってさまざま。宮城谷昌光「指」は、賢人や豪傑ではなく能力的には平々凡々とした大臣が主人公という点が「異色」になるだろう。この人物が女性に対する…まあ言ってしまえば指テクで、一見不遇だが本人としてはけっこう幸せな人生を送る話である。かなりエロティックな話だと思うのだが、この人が書くと全然いやらしく感じられないのがさすが。
 田中芳樹「茶王一代記」は、相変わらずの田中芳樹節なのだが、あつかう時代が五代十国というのが「異色」と言えば異色。あつかう時代の異色さと言えば、東郷隆「九原の涙」は他の収録作が古代から中世の中国なのに対し、20世紀に入ってからの中国が舞台で、この短編集の中では「異色」になるだろう。あまり歴史・時代小説という感じはしないが、胡弓を片手にした主人公の語り口は面白い。
 あと記憶に残るのが、中村隆資「西施と東施」にトリの森福都「蛙吹泉」。前者は春秋時代の「顰みに倣う」の故事で有名な美女の話だが、主人公は西施の「顰みに倣」った醜女のほう。短編集中のベストを選ぶとしたらこれだろう。ちょっと寓話めいた語り口も「異色」。後者は唐中期を舞台とした「異色」ミステリということになるか。

・マイク・レズニック「パラダイス〜楽園と呼ばれた星〜」,ハヤカワ文庫,1993.9
 惑星ペポニ――その名はスワヒリ語で「楽園」を意味する。独立前のペポニに住んだ地球人たちは自分たちの体験を振り返り「自分が来る前の、まだ楽園だったペポニを見たかった」と口を揃えて言う。一方、独立後のペポニを担う現住異星人の初代大統領や、彼に心酔する青年は語る…「この星は将来楽園になる」と。激動の歴史を歩むペポニにまつわるさまざまな証言を追い続けて、学生からルポライターになったブリーンが目にしたペポニの現実とは…。
 まえがきで「これはケニアという実在する国家ではなく、ペポニという架空の世界についての物語である」と断っていることからも分かるとおり、アフリカ・ケニアの歴史をなぞったSFである。巻末の解説で巨獣ランドシップとアフリカゾウ、カラカラ危機とマウマウの反乱、ペポニ独立の父ブコ・ペポンとケニア初代大統領ジョモ・ケニヤッタが対応すると指摘されているが、他にも固有名詞を変えただけで実際のケニアに当てはまる地名・事件があちこちに登場する。SFに現実の像があからさまに出過ぎると面白みが殺がれるのが常だが、そこはレズニック一流ののストーリーテリングでカバー。地球人ハンターから原住民大統領まで、さまざまな視点で語られる物語が、最後まで読者の目を逸らさせない。
 政治問題、経済問題、人種問題が山積するペポニは、語り手を変え、時代を下るとともにその名前とは裏腹の状況を明らかにしはじめる。第三話から第四話でブリーンが知ることになるペポニの変貌は、レズニックの語りの巧さもあって、強いやるせなさを感じさせるものとなっている(とくに理想に燃える青年から、現実に押し潰されつつある大統領に変貌したトンカの境遇が…)。
 さてレズニックはペポニを描くのに、現実のケニアをどの程度まで忠実に反映させたのだろう。かなり誇張して描いたのだ…と思いたい。ペポニの状況が現実そのままの姿なのだとしたら、アフリカの未来は暗すぎる。

・伊東俊太郎編「比較文明学を学ぶ人のために」,世界思想社,1997.6
 多様な文明それぞれに独自な価値を見出し、それらを比較することで相互の関係を明らかにする、という「比較文明学」の入門書。具体的にはトインビー「歴史の研究」や、梅棹忠夫「文明の生態史観」を想像すればいい(前者は読んだことない…というか、とてもじゃないがあんな大著は読めない)。
 内容は3部構成で、第1部は「比較文明学」の総論的な内容、第2部が各論、第3部が現代的な課題、とオーソドックスなだけに初学者が把握しやすいようになっている。巻末の参考文献も親切。
 「文明」そのものを研究対象とするスケールの大きさにはすごく惹かれるものがあるが、論が大ざっぱになりすぎて、「文明」の中にある地域的な差とか時代ごとの変移を必要以上に単純化してしまうこともあるのではないかと思う。

・山田正紀「神狩り」,ハヤカワ文庫,1976.11
 「人間のものではありえない」古代言語の研究に携わっていた情報工学者島津圭助は、遺跡の落盤事故を起こした責任を問われ大学を追われる。失意の彼に接触してきたのは「古代言語」の解読を図る謎の組織。研究を進めるうち、島津は古代言語は人間をはるかに越えた存在――<神>のものだと知る。古代言語をちらつかせ人類をもてあそび、嘲る<神>、その存在を暴こうとする闘いに彼は巻き込まれていく。
 絶対的な力をもったものの存在やその善意をア・プリオリに受け入れてしまう類の話には、私はどうも違和感を覚えてしまう。この「神狩り」や前に読んだ「宝石泥棒」のラストのように、絶望的でも反抗しつづけるという方が、何というか、心情的に納得がいくのである(…物語としては、という保留をつけてしまうのが、我ながらちと情けないが)。このあたり、キリスト教文化の影響というのがやはり大きいのだろうか。


・阿刀田高「獅子王アレクサンドロス」,講談社文庫,2000.10
 32年という短い生涯でギリシアからインドまでを駆け抜け、未曾有の大帝国を築いた大王アレクサンドロスの生涯。輝かしい活躍と、その奥に潜んでいた神秘的な「闇」を描く長編歴史小説。。
 「英雄=遠くにありて思うもの」とは「噴版・悪魔の事典」(平凡社)で日高敏隆が書いていたことだが、アレクサンドロス大王の物語を読んでいるとまったく言い得て妙だと思ってしまう。アレクサンダーが単なる名君であれば、あれほどの大征服を行うことは決してなかっただろう。後世の私たちはその壮大さにただ感動するばかりだが、大王の下に集った部下や兵たちの思いは複雑だったに違いない。
 この「獅子王〜」ではアレクサンドロスと共に青春時代をおくったプトレマイオスら腹心たちの、主君に対する心情の変化が主題の一つにすえられているのが面白い。敬愛と崇拝から戸惑い、そして不信と怒りへ…。ついにはそれがアレクサンドロスの果てしない東征を止まらせるに至る。
 しかし大王の死後、後継者争いに明け暮れる元の腹心たちは、その大征服が自分にとって最良の時代だったと振り返ることだろう。やはり「英雄は遠くにありて思うもの」である。

・トマス・バーネット・スワン「薔薇の荘園」,ハヤカワ文庫,1977.11
 去年秋の復刊フェアの本を今ごろまでほったらかし。
 ロムルス・レムスによるローマ建国や古代ペルシア、少年十字軍といった歴史上の物語にケンタウロス(?)やマンドレイクといったファンタジーを絡めた中短編3作を収録。いずれも非常に美しい物語である。
 私的には最初に載っていた「火の鳥はどこに」が一番。古代ローマの建設者となった双子のうちローマの祖となったロムルスではなく、弟レムスが主人公。レムスと「先がふたつに分かれた蹄と、毛の生えたとがった耳をもった」ファウニ族の少年シルウァンとの友情、木の精メロニアとのロマンスを描く。レムスの高潔なキャラクターが魅力的なのは確かだが、それより野心に駆られて弟を殺してしまうロムルスの最後のセリフが心に響く。

・横山信義[ほか]「宇宙への帰還」,KSSノベルス,1999.4
 横山信義、吉岡平、佐藤大輔…と、SFというとハヤカワがメインになっている私にとってはちょっと珍しいラインナップのアンソロジー。
 でも一番面白いと感じたのはなじみのある名前の方で、森岡浩之「A Boy Meets A Girl」。恒星間生物の「少年」が惑星上にいる「少女」と出会い、自分たちの種族のルーツを知る話。時間/空間両方にわたるスケールの大きさと「少年」の異質な生の描写は他の収録作と一線を画している。
 次点は早狩武志「輝ける閉じた未来」あたりだろうか。脳だけで生きる少女と、その幼なじみである主人公のせつないラブストーリー。泣ける話なのだが、ストレートすぎるのが惜しい。もうひとひねり予想を越える展開が欲しかった。
 また佐藤大輔は、以前から名前はよく聞いていたが実際に作品を読むのは今回が初めて。収録作「晴れた日はイーグルにのって」はF−15のパイロット3人がそれぞれ体験した平行世界の話。戦闘機の代わりに竜騎士が飛翔するファンタジー世界、日本とナチス・ドイツが世界大戦をやっている平行世界、そして宇宙戦争……これって著者の長編シリーズのお試し版じゃなかろうか。面白いことは面白いのだが、コマーシャルか予告編を読まされているようなのが、ちょっと引っかかった。

・ブラッドベリ[ほか]「スターシップ(宇宙SFコレクション2)」,新潮文庫,1985.12
 日本人の宇宙ものアンソロジーの次は、翻訳宇宙ものアンソロジー。ハインライン「地球の緑の歌」、アシモフ「夜来たる」の2大定番のほか、ティプトリー「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」、ヴァーリィ「ブルー・シャンペン」と、既読(それも3回目以上)の作品が多かった。再読でも良いものは良い…とはいえ「夜来たる」はさすがに飽きたので斜め読み。
 今回初めて読んだ作品ではマルツバーグ「ローマという名の島宇宙」が印象に残る。ブラックホールにとらわれた超光速船とその乗員である女性の話――を書こうとする話である。これがメタSFというものか。ところどころでSFに対するキツい皮肉が出てきて苦笑させられた。
 他の作品はいまひとつ印象が薄い。前の「スペースマン」の方がいい作品が揃っていたような…?たまたま自分の好みに合ったのが全部既読だっただけかも知れないが。

・クリストファー・プリースト「逆転世界」,創元SF文庫,1996.5
 「650マイルの歳」になったヘルワードは、生涯の職として未来予測ギルドへの参加を希望し、その見習となった。初めて都市の外に出た彼は、自分たちのすむ地球市が、「最適線」を追って絶えず「北」への旅を続けてきたことを知る。だが「最適線」とは何なのか、地球市はなぜ執拗に進み続けるのか。やがてヘルワードはその理由を身をもって体験するのだった。
 第1部、線路の上に都市をのっけて動かす(しかも、川は橋を架けて渡す!)というのが、すでにSFならではのすごいビジョンだが、そこはまだ序の口。第2部でヘルワードが過去=「南」に旅するシーンはそれに輪をかけた奇観奇想。これがなぜ「逆転」世界なのかは、多分数学好きの人の方がピンとくるのだろう。彼が見た光景を頭でイメージしようとすると、本当にめまいがしてくる。
 ラストでは地球市の人々の世界がそのように「逆転」している理由が明かされる。…いや「ラスト」というよりは「オチ」と言った方があっているか。
 読んでいるときはマジメな顔をして最後までいってしまったが、いざ思い返してみると、とにかく壮大な悲喜劇、という感じだ。真実を知った後もなお、従来の認識にとどまり続けようとするヘルワード。本人にしてみればアイデンティティの根底に関わる危機なのだが、傍目には滑稽さを禁じ得ない。

・ニール・スティーヴンスン「スノウ・クラッシュ」(上下),ハヤカワ文庫,2001.4
 凄腕のハッカーにして「世界最高の剣士」――ただし現職はピザ配達人――ヒロ・プロタゴニストは仮想空間メタヴァースでスノウ・クラッシュというドラッグを勧められる。メタヴァース内でそれを使用したヒロの知人は突如人事不省になり意味不明の異言を口走る。同じ名のドラッグは現実世界でも蔓延し始めていた。ヒロとパートナーの<特急便屋>Y・Tはスノウ・クラッシュをめぐる陰謀の渦中に巻き込まれる…。
 とにかく賑やかな話である。ドタバタ系サイバーパンクとでもいうか。話の軸になるのは一応スノウ・クラッシュの謎で、古代メソポタミア文明をコンピュータウィルスとハッカーの関係で解釈するというもの(そうか、シュメール語って人間用のマシン語だったのか…)。これだけでも面白いのだが、それ以上に楽しいのが、舞台背景やキャラクター、話の本筋とはあまり関係なさそうなアクションシーンといった部分部分。
 国としてのアメリカはすでに解体状態で、主要都市がマフィアや<ミスター・リーの大ホンコン>が経営するフランチャイズ国家になっていたり、空母エンタープライズが超弩級の難民船と化していたりする。…個人的には議会図書館がCIAと合併して一大情報企業となっているという設定も笑えた。主人公ヒロはハッカーなのに日本刀を肌身離さず仮想現実でチャンバラをやってのけるし、対するライバルキャラ・レイヴンは核弾頭のスイッチを頭に埋め込んだエスキモーのテロリストとくる。インパクトの強いキャラクターや設定のオンパレードで、スノウ・クラッシュの方がしばしばかすみがち。
 むしろ「スノウ・クラッシュの謎」の方が、これら大小の設定を登場させるための手段と見るべきなのかもしれない。そう思った方が素直にドタバタを楽しめる。


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