読後駄弁
2001年読後駄弁9月〜10月


・ロジャー・ゼラズニイ「キャメロット最後の守護者」,ハヤカワ文庫,1984.4
 傑作揃いと評価の高いゼラズニィの短編集。確かにそう言われるだけのことはあった。貸してくれたSUGさんに感謝。
 やはり一番良かったのは、前に一度以上読んでいるにもかかわらず「フロストとベータ」。人間の本質を求め続けて彷徨をつづけ、ついに目的を達しようとしたフロストが「恐怖」にあえぐシーンが圧巻。
 未読だった作品の中では、「恐ろしい美」と表題作「キャメロット最後の守護者」が良かった。「恐ろしい美」では世界の終末を前に、ひとりの男と彼の中に住まう意識体(?)が悲劇の二側面──「恐怖」と「同情」について語りあう。短い作品だが、静かさが印象に残った。
 「キャメロット〜」は現代まで生きながらえた騎士ランスロットと、復活を果たしてこの世に正義を布こうとする魔術師マーリンと対決する話。世界は変わってしまったのだ、とマーリンを説得するランスロットの姿に、滑稽さと悲しさの両方を感じさせられる。

・デイヴ・バリー「ビッグ・トラブル」,新潮文庫,2001.8
 水鉄砲でクラスメートを狙う「殺し屋」ゲームの、マットの標的は片思いの相手ジェニー。勇躍彼女の家に乱入し、水鉄砲の引き金を──引いたら後ろのテレビが大爆発。実は悪徳企業の重役であるジェニーの父は本物の殺し屋に狙われていたのである。事件はマットの一家とジェニーの一家、殺し屋コンビとロシアの武器密輸業者、たまたま居合わせた浮浪者と事件を追う警官、さらにはジェニーの飼い犬とそのライバルの蟇蛙まで巻き込んだ大騒動に…。
 「デイヴ・バリーの日本を笑う」「デイヴ・バリーの笑えるコンピュータ」などでハマってしまった、アメリカが誇る(嘘)ナンセンス・コラムニストの小説初挑戦作品。カバー返しにある登場人物紹介を見て、こんなにたくさん出して最後まで話を破綻させずに書けるのか、この人は…などと思ってしまったが、ちゃんと最後まで乗りきっている。起こるドタバタの全てにきっちり結末を与えているところなどをみると、作品とは正反対に著者自身は実はきまじめな性格なのかも知れない。
 登場人物の性格と行動の方は破綻しているが、それこそがこの作品のウリである。読後の余韻などはカケラもないが、愉快に時間をつぶせるという点では間違いなし。
 訳者あとがきによると、映画化されるらしい。劇場よりも、バックに笑声の入るB級TVドラマの方が似合っていると思うのだが…。見たいような、見ない方がいいような。

・宮城谷昌光「奇貨居くべし」(全5巻),中央公論社−中央公論新社,1997.6-2001.6
 呂不韋は長い遍歴を終え、ついに賈人として立つことを決意した。旅先で出会った多くの人々の支援を得て、事業は成功を収める。だが趙で目に留まった秦の公子・異人との出会いが呂不韋の運命にさらなる転機を呼んだ。持てる全てを賭けて異人を秦王の地位につけ、その宰相となった呂不韋は己の信じる理想の政治を目指すのだが…。
 「史記」に伝を立てられている呂不韋だが、そこには彼の前半生はまったく記されていない。この作品ではその空白に中国各地を巡る旅と多くの邂逅を創作することで、記録の残っている後半生の意味をも書き換えてしまうことに成功した。
 たぶん、現実にいた呂不韋はこの作品で描かれているような聖人ではなかっただろう。司馬遷が評したような外面だけの野心家という方が、実像に近いのかも知れない。しかしだからといって、こちらの呂不韋像を否定してしまってはつまらないと思う。始皇帝による覇権とはまた違った形で、秦の中国統一が達成されていたかもしれないと想像するのは楽しいことだ。
 とはいえ確かに、呂不韋を理想化しすぎているところは少々鼻につかないでもない。善人・智者がすべて彼の味方で、反対の立場にいるのは小人か愚者、というのは一方的に過ぎる。その点で、主要登場人物の中で唯一呂不韋を否定した高スイ(目卒)との対決には興味があったのだが、はっきりとした決着のないまま、物語が完結してしまった。最も不満の残るところである。

・イーガン,シモンズ他「20世紀SF6・遺伝子戦争」,河出文庫,2001.9
 90年代ならば私もリアルタイムでSFを読んでいたはずなのだが、今回収録されている作品はみな未読。まあ短編を好んで読み出したのはつい最近だし、SFマガジンをあまり買っていないので当然か。
 スティーヴン・バクスター、ロバート・J・ソウヤー、グレッグ・イーガンと今でもよく目にする名前の多い巻。一番よかったのはグレッグ・イーガン「しあわせの理由」。障害とその治療で自分が幸せを感じるものを選択できる(せざるをえなくなる)ようになった人間が主人公である。人間の感情は化学物質の影響にすぎないという無味乾燥な前提から、ここまでドラマを展開させられるとは。
 この作品をはじめとしてナンシー・クレス「進化」、イアン・マクドナルド「キリマンジャロへ」、ポール・J・マコーリィ「遺伝子戦争」など、バイオテクノロジーを扱ったものが目立つが、昔ながらの宇宙を舞台とする作品もまだまだ光を失っていない。ジェフリー・A・ランディス「日の下を歩いて」は、事故で月に不時着した主人公が月面で1ヶ月を生き延びるためとったある行動を描く。アイディアと主人公の内面描写、両方で読ませてくれる。

・ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」,創元推理文庫,1971.4
 ロンドンの地所購入手続きのためトランシルヴァニアを訪れたジョナサン・ハーカーは、彼を招いたドラキュラ伯爵が数百年の歳を経た吸血鬼であることを知る。彼を城に軟禁した伯爵は購入したロンドンの邸宅に入り、結婚を間近に控えた乙女ルーシーを毒牙にかけ、自らの眷属と化した。ルーシーに求婚していた3人の若者、辛くも生き延びたジョナサンとその妻ミナ、そしてオランダの碩学ヴァン・ヘルシング教授が恐怖のドラキュラに立ち向かう。
 だいたいの話を知っていたこともあり、19世紀イギリスという馴染みのない舞台だったこともあって、ホラーとして楽しめたとは言えない。しかし書かれた当時の読者が予備知識のない状態で読めば、さぞ迫力があっただろうとも感じられる。登場人物の手記を連ねる形式が物語の臨場感を強めてくれている。
 私にとっての山場はセワード医師らルーシーの求婚者が、吸血鬼と化した彼女と対決するシーン。やはり最初から「怪物である存在」より「怪物になった」存在の方が恐ろしいものである。正直言ってドラキュラ伯爵そのものは、セリフや行動がいかにも悪役然としていてイマイチ面白みを感じられなかったのだが。
 そのドラキュラだが、私が何となく抱いていたイメージは「外見は典雅な貴族だが、実は…」というふうなものだったのだが、実際に登場するドラキュラは容貌魁偉な長身の男。吸血鬼ものの映画は一つも見たことのない私だが、それでも映画イメージの影響は大きいようだ。

・ラリイ・ニーヴン「時間外世界」,ハヤカワ文庫,1986.2
 不治の病にかかっていたコーベルは冷凍睡眠に入り、未来世界で人生の続きを得ようとする。だが、200年後に目覚めた彼は犯罪者の肉体に意識を移植され、恒星船の片道パイロットとなることを強制されたのだった。それでも不屈の意志をもったコーベルはそのまま運命を甘受したりはしなかった…。
 てっきり宇宙冒険SFと思っていたのだが、後半分はハズレ。ラムジェット宇宙船と銀河中心のブラックホールという大がかりなネタを物語の主舞台に到達する手段としてしか使わないとは、思えばかなり贅沢なSFである。…でもそれ以後の話のメインよりは、宇宙船に乗っている部分の方が気に入った。もっと宇宙であれこれやって、遠未来の地球に還るのは最後の最後でよかったのだが…。
 主人公コーベルの勝手気ままぶりは、私はどうも好きになれないのだが、彼と正反対の性格をしたピアッサとのやりとりなどは面白かった。

・デイヴィッド・ブリン「スタータイド・ライジング」(上下),ハヤカワ文庫,1985.10
 「知性化の嵐」三部作に備えて再読。
 やはりこのシリーズの値打ちは「知性化」と「主族−類族」が織りなす世界観だなあ、と再認識。いや、物語が面白くないわけではない。人間、イルカのキャラクターやシンプルかつ豪快なプロットも十分楽しめるものだが、上下巻に渡る長い話をダレもせず読めるのは、途中に挟まる「列強種族」の章があってのものだろう。残忍な(少なくとも人類標準としては)列強主族・ソロや、現実を否定する精神エネルギーで空間に穴をあけ、艦隊をワープさせるという類族・エピシアークなど、突拍子なさと綿密さを兼ね備える異星人の描写が、この作品第一の魅力だと思う。
 それに較べると人類の「類族」たるイルカのそれは、私にはイマイチと感じられる。100%オリジナルで好き勝手がやれるベムより、なまじ実在するイルカの方が表現が難しいのだろうか。トゥルシオープス種とステノス種の人種問題ならぬ鯨種問題があったりするのは面白いが、やたらとハイク好きなのは、どうも違和感が…。

・ロイス・マクマスター・ビジョルド「天空の遺産」,創元SF文庫,2001.9
 ヴォルコシガン・サーガ最新巻、今回は「ヴォル・ゲーム」久しぶりにマイルズの話。私は親父さんのアラールの方がキャラクターとしては好きなのだが、賑やかな展開の話は、やはりマイルズが主人公でないと。もっとも今回は一惑星のそれも宮廷周りだけで話がすすむせいか、やや小振りな印象をもった。デンダリィ傭兵艦隊が出てこないのが残念。
 読みどころは舞台となるセタガンダ貴族「ホート」社会の設定。貴族支配のよりどころとなる「血統」が、ここでは遺伝子情報という形で裏付けを与えられているのが面白い。マイルズの属するバラヤーのヴォル社会が、日本の武家社会をモデルにしているとはよく聞く説だが、こっちはそれ以上に平安時代の貴族社会を彷彿とさせる(巻末解説によるとビジョルドはこれを書く際に「源氏物語」を参考に読んでいたそうだ)。もともと私はヴォル社会の方は、ストイックさが要求される倫理観といい、家父長制の強さといい、日本ではなくて古代ローマ社会の方を取り入れている部分が大きいと思っているのだが。

・と学会「トンデモ本の世界R」,太田出版,2001.10
 「トンデモ本の世界」「〜の逆襲」の後、しばらく焼き直し的なものや類似品的なものが多かった「トンデモ本」ネタだが、今回は題名がなにやら正統な続編っぽいので買ってみた。正直言って前に読んだ「〜の世界」「〜の逆襲」に較べて笑えるところが少なかったのだが、これはどうもこちらがトンデモぶりに慣れてしまったせいだけではないようだ。
 「トンデモ本」もののコンセプトは、科学的にトンデモないことを書いているオカルト本、小説などを批判しからかいつつも、基本的にはそのトンデモぶりを楽しむことにあったように思う。だが、今回「R」に収録されているトンデモ本には、小林よしのり「戦争論」をはじめ、有名な週刊金曜日編「買ってはいけない」や、自宅出産で嬰児死亡の遠因をつくった(とされている)育児文化研究所の所長、谷口祐司「緊急!マリア様からのメッセージ」など、「笑うに笑えない」「笑ってすませられない」ものが多いのだ。そういうわけで、この本の第1章に「社会派トンデモ本」として「戦争論」や「買ってはいけない」を取り上げているのは失敗だと思う。…つかみは有名どころで、という狙いだったのかも知れないが。
 とはいえ、従来どおりの楽しめるトンデモ本も紹介されているので、全体的に面白くなかったわけでは決してない。「エロ劇画を読み『こいのぼり』を歌う宇宙人」が登場する原田政彦「小さな宇宙人」、私が図書館に届いた寄贈本の中でトンデモ度ぶっちぎりナンバー1と評価(…)する石橋輝勝「武器としての電波の悪用を糾弾する!」など、傑作もある。
 ところで「トンデモ小説」で槍玉に挙げられている「変容風の吹くとき」の訳者って、「エンダーのゲーム」の訳者でもあるんだよなあ…。「エンダー」の刊行が86年で「変容風〜」が90年。改めて見比べてみると、この人の「直訳主義」の傾向は「エンダー」の訳出時にすでに現れているようである。

・デイヴィッド・ブリン「変革への序章(知性化の嵐1)」(上下),ハヤカワ文庫,2001.9
 これを読むために「スタータイド・ライジング」を復習したのだが、そこまですることもなかったか。「知性化」の世界観は当然共通だが、舞台も登場人物もまったく(…まあ、少なくともこの第1部ではほとんど)違うものである。
 しかし知性化を媒介とした「主族−類族」秩序が前提にあって、舞台となる惑星ジージョはその秩序に背く不法入植者のコミュニティである…というちょっと入りくんだ構図は、前シリーズで「主族−類族」の元設定に親しんだ後でないと、なじみにくいかも知れない。先の話では前シリーズとの絡みも出てきそうな雰囲気だし、やはりここは「スタータイド・ライジング」を読んでおいた方が楽しく読めるだろう。
 もちろんのこと前シリーズに引き続き、アイディア満載の異星人描写は健在。ジージョに住まう人類以外の6種族の特徴を覚えるのに、楽しみながらもひと苦労。
 「不法入植者」というとふてぶてしいイメージだが、ジージョの人々はいつか到来する銀河主族の審判を恐れ、自分たちの発展を制限せねばならないという思想をもっている。極端な派閥に至っては「知性」を忘れ去って動物に還ろうとまでしている。この点、イルカやチンパンジーを知性化し「発展」させることを原則として肯定的に捉えていた前シリーズとは逆の視点が表れていて面白い。
 ちょっと残念なのは、物語がこの部だけではあんまり閉じておらず、一難去ってまたより大きな一難が…のところで終わっていること。登場人物の中で私が一番気に入っているのは、地球のエンターテイメント小説を愛読する異星人・アルヴィン(本名ではなく、好きなクラークの小説からとった通称だというのがまた笑える)なのだが、彼の登場するエピソードは、物語のメインストリームに合流すらしないままで終わっている。先の楽しみが増えたとも言えるが、話を覚えているうちに次が出てくれるかどうかが心配なところだ。
 「主族−類族」の連鎖で成り立つ銀河社会が中国やヨーロッパの連綿と続く王朝のイメージで、異種族のるつぼとなっているジージョが新天地アメリカ役、というところだろうか。そしてジージョが世界…銀河宇宙の変革の原動力になっていく…と。「ポストマン」のようなアメリカ意識の強い作品を書いているブリンだけに、どうしても勘ぐってしまう。

・陳舜臣「桃源郷」(上下),集英社,2001.10
 帯のキャッチには西遼の創建がテーマの歴史小説らしい書き方がしてあったが、中身はそれ以上にスケールが大きい。西遼の創建者となる邪律大石のから西方探索の命を受けた若者・陶羽が、長い旅路の中で自分や仲間に共通する秘密、大石が自分を送り出した真の意図を知っていくというもの。その行程は燕京(北京)に始まり、泉州(ザイトン)、インド、ペルシア、シリア、最終的にはイベリア半島のコルドバに至る。陳舜臣の歴史小説で舞台が広大なものは多いが、その中でもこの作品は極めつけの広さを誇る。
 物語で重要なファクターとなるのがアラムートの暗殺教団の長ハサン・サッバーフの存在。彼が邪律大石や「ルバイヤート」のウマル・ハイヤームと、イスラム教とは異なる共通の絆で結ばれていたとは、歴史小説というよりほとんどファンタジーに近いものがあると思う。しかしイスラム教だキリスト教だ、テロだジハードだと殺気だった昨今から見れば、民族も立場も異なる彼らが手を携えていたと想像だけでもできるのは楽しいことである。彼らに限らずこの作品には中国人の陶羽、ソグド人の血をひく安如泰、ペルシア人のハーシム、日本人の僧・弘海など、さまざまな民族的背景をもった人物が登場する。政治的な境界を越えて存在するネットワークが描かれるのも、陳舜臣の小説ではお馴染みのものだが、今回それがより魅力的に感じられた。

・栗本薫「グイン・サーガ81・魔界の刻印」,ハヤカワ文庫,2001.10
 前巻のときにグイン・サーガの楽しみがキャラクターの対面シーンに限定されてきたと書いたが、その意味ではかなり大イベントになるはずのグインとレムスの再会が今回のメイン。
 レムス君、久々の登場。いや肉体だけなら5巻ぐらい前に出てきているのだが、彼が彼として描かれるのは本当に久しぶりだ。まあ性格もいい具合に歪んでしまって…。

・キム・ニューマン「ドラキュラ紀元」,創元推理文庫,1995.6
 ヴァン・ヘルシング教授らがドラキュラ退治に失敗し、ついにドラキュラはヴィクトリア女王の夫となり、吸血鬼たちが英国を支配した…という衝撃的な設定。イギリス政界を裏で掌握する「ディオゲネス・クラブ」の諜報員ボウルガードは、吸血鬼の娼婦だけを狙う殺人鬼「切り裂きジャック」の追跡を命じられる。
 話も面白いが、この作品で最も圧倒的なのが、実在・架空を問わずヴィクトリア時代イギリスのオールスターキャストが勢揃いする登場人物群。一場面だけの登場人物でも巻末の「登場人物事典」を見ると、ほぼ間違いなく来歴が紹介されている。とくに(当然ながら)吸血鬼ものが出典の登場人物は相当マイナーなものまで網羅しているようだ。実は「事典」の方がメインで、物語はオマケなのかも…とまで思えるほど。この点、ストーカーの元祖「吸血鬼ドラキュラ」しか読んでいない私は、まだこの本を髄まで楽しめるには至っていないだろう。

・キム・ニューマン「ドラキュラ戦記」,創元推理文庫,1998.12
 前作の後、イギリスを追放されたドラキュラはドイツに亡命してまたしてもその実権を握り、第一次世界大戦を起こす。英ディオゲネス・クラブの密命を帯びたウィンスロップは、ドイツが誇る第一戦闘航空団「リヒトホーフェン・サーカス」の根拠地マランボワ城偵察のため、前線のコンドル飛行隊を訪れる。
 前作に引き続き、登場人物のオールスターキャストぶりは健在。マンフレート・フォン・リヒトホーフェンをはじめ、第一次世界大戦の撃墜王たちも総出演するので、吸血鬼もののファンだけでなく、戦記もののファンも楽しめることだろう。
 ただ今回主人公となるウィンスロップ&ケイト・リードは、前作のボウルガード&ジュヌヴィエーヴと比べるとやや役者不足の感もある。ウィンスロップには渋さが足りないし、ケイトには謎めいた色気に欠ける。…要するになんというか、二人とも青い。

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