読後駄弁
2002年読後駄弁5月〜6月


・新井政美「オスマンVSヨーロッパ 〜<トルコの脅威>とは何だったのか〜」,講談社選書メチエ,2002.4
 オスマン帝国が最盛期にいたるまでの歴史をヨーロッパとの対立関係を中心に概観する。
 通史的な内容で、そう目新しい新事実や見解が紹介されているわけではない(と思う)が、オスマン帝国を「イスラム国家」としてよりローマ帝国の後継を意識した帝国として扱っているところは面白かった。

・高見広春「バトルロワイアル」,太田書店,1999.4
 筋書きの方は…いまさら書くまでもないか。
 孤島で殺し合いを強制されるという極限状況に置かれた少年少女たち。一人一人についてそれほど深い描写をしているわけではなく、むしろパターンの多さで勝負しているように思う。これだけ数を揃えれば、たいていの読者は自分が共感したり応援したりできるキャラクターを見つけられるだろう。「巧い」というより「上手いことやったな」という感じだが、数多いキャラクターを書き分ける力には素直に感嘆する。
 けど、一番うまいと感じたのは、ゲームの前に坂持「先生」が少年少女たちにかけた「ほかのみんなはやる気になっているぞー」というセリフ。クラスメイトの殺し合いという本来あり得ない状況も、これ一つで「ひょっとしたら…」と思えるようになる。この後繰り返される殺人シーンよりも、私にはこの一言が怖かった。
 いかんせん実際に読む前にあらかた設定を知ってしまっており、予備知識なしの状態でなら味わえたはずの衝撃が少なかったのはもったいなかった。

・三崎良章「五胡十六国 〜中国史上の民族大移動〜」,東方選書,2002.2
 「三国志」は晋の中国統一で話が終わるが、その晋が安定していたのはごく短い期間のこと。帝位をめぐる「八王の乱」と異民族の勢力拡張で再び中国は戦乱の時代を迎える。隋が統一を達成(589年)するまで280年近くの間、中国は分裂状態にあったわけだが、その前半、中国北部に中小政権が分立していた時代を指して「五胡十六国時代」と言う。これは高校世界史のおさらい。
 この本は従来「統一までの過渡期」と見なされがちのこの時代を後の隋・唐帝国の下地を用意したと積極的にとらえ、同時にこれら「十六国」の興亡の一つ一つを詳細に追ったもの。中国南部の六朝や、「十六国」の中でもほとんど北中国の統一するまでにこぎつけた前趙のエピソードならばともかく、それ以外の小政権についてここまで丁寧に解説したものは他にないだろう。
 で、教科書なんかでは「五胡十六国」と当然のように称しているが、その実、異民族の数は5と決まったわけではないし、乱立した国の数も16ではない。史書によっては「十六国」にランクイン(っていうと変か)されている政権が異なっている…と。ありがちなことである。

・野尻抱介「太陽の簒奪者」,早川書房,2002.4
 2006年、未知の何者かによって太陽の周囲に「リング」が巡らされ、太陽光を遮られた地球は環境の激減から破滅に瀕する。最後の望みをかけた宇宙艦ファランクスの搭乗員として、若き科学者白石亜紀はリングへと向かう。
 …という話ではじまる、連作短編。真っ向勝負のハードSFである。先に読んだ「ふわふわの泉」はハードSFにライトノベルの糖衣をかぶせようとして、果たせていなかった感があったが、こっちはそういったフリをすることもない。無理して奇矯な「キャラクター」を演出しない分、かえって登場人物の静かな魅力は増していると思う。
 その魅力的な白石亜紀――最後まで異星文明とのコミニュケーションに希望をつなぐ――には叱られそうだが、地球側の「宇宙防衛軍」と異星船との攻防戦が、私には非常に楽しめてしまった。あくまで科学技術の限界には忠実に、それでいて緊迫感を失わない宇宙戦闘は一読の価値あり。
 SFをこれから読んでみよう、という人には「ふわふわの泉」よりこっちをぜひ薦めてみたい。

・ジャック・ヴァンス「竜を駆る種族」,ハヤカワ文庫,1976.12
 かつて爬虫類型種族ベイシックの侵略を退けた惑星エーリス。そこでは「バンベック平」のバンベック家と「幸いの谷」のカーコロ家が角逐を続けていた。そこに再び攻め寄せたベイシックの軍勢。バンベックの領主ジョアズは、昔日の戦いで捕虜としたベイシックを品種改良した竜たちを駆り、やはり品種改良された人間を従えるベイシックたちを迎え撃つ。「竜を駆る種族」と「人を駆る種族」の決戦の行方やいかに。
 読みどころはベイシックと人間の対決よりも、元は同じ種族でありながら絶対に理解しあえそうにない3種の人間たちの対立だろう。ジョアズらエーリスで権力闘争を続けている、一番私たちに近い心性をもつ人間と、ベイシックらに飼いならされ、彼らに従うのが必然であると考える人間、そして人間とベイシックの争いを尻目に、隠された自分たちの目的を追う「波羅門」たち。その異質さは解消されることなく、彼らは互いに少しも理解しあうこともないまま、ラストを迎えてしまう。

・エドワード・サイード「オリエンタリズム」(上下),平凡社ライブラリー,1993.6
 「オリエンタリズム」と言えば、西洋芸術などに見られる「東洋趣味」を指すのが元々の意味。だが、ここではではもっと広範囲に、西洋側からみた文学や学術研究全般にわたっての東洋観──とくに中近東イメージ──を示している。著者のサイードは、それら「オリエンタリズム」が東洋の実像を捉えるどころか、先入観や偏見をベースにしたものであり、植民地支配を思想的に支えるものであったと主張する。中世やルネサンス期の資料や、ナポレオンのエジプト出兵は言うに及ばず、アラブ研究の大家ハミルトン・ギブでさえ、批判をまぬがれていない。圧倒されるほどの豊富な例証を挙げ、表立ってであれ潜在的であれ、それらが西洋から見た東洋イメージの一方的強制であったことを、ほとんど執拗とさえ言えるほど厳しく追及していく。
 …これだから西洋人というのは鼻持ちならない、と憤慨したり嘲笑したりするのは、この本の一番気楽な読み方だろう。だが、日本人の中近東イメージが、ほとんど西洋からの見方をそのまま受け継いだものにすぎないことに気付けば、その憤りや嘲りは、そのまま自分の上に降りかかってくる。さらに、日本人が中国や朝鮮についてもっているイメージには、この「オリエンタリズム」と相似するものが無くはないだろうか?
 さらに話を一般化して捉えれば、学術研究のような公平中立を旨とするものでさえ、政治的思惑や偏見から自由になることがいかに難しいかを示しているとも言える。優等生的な意見になってしまうが、本当にそれを痛感させられるのである。

・谷口裕貴「ドッグファイト」,徳間書店,2001.5
 植民惑星ピジョンは、突如地球統合軍の攻撃をうけ、ユスやクルス、キューズたちが暮らしていたシュラクスの街は瞬く間に占領下に置かれた。クルスらは地球軍に対抗してパルチザンを組織するが、人工的テレパス<サイプランター>と彼らの操る保安ロボット<ディザスター>を擁する占領軍は強力で、ただの人間には敵すべくもない。ただ一つの希望は、テレパスに捉えられない、ユスたち<クラン>の率いる犬たちだけ…!
 SFファンでありかつ犬派の私を、まるで狙ったかのような設定の物語。主人公の犬飼いユスの忠実な牙となり、またあるときは彼の意に反して盾ともなる犬たちの健気な姿には(ややお約束どおりの展開であろうとも)、涙せずにはいられない。
 ユスやその親友クルスやキューズらのキャラクターにもそこそこ惹きつけられたし、彼らと敵対するサイプランター、ロレンゾやウルリケにもきちんと肉付けがされていて良かった(けどこのサイプランターって、ガンダムに出てくる強化人間とイメージ似ているような…)。
 また謎めいた異星の存在<シャドウ>や、人間進化のシュミレーションを司るAI<サンクチュアリ>、それによって生まれた超能力者<アフタースケール>…といった物語の背景も、興味のわくところだ。
 しかし。それらすべてが単独の物語に詰め込まれてしまうと、面白いはずの要素それぞれが舌足らずで中途半端なもののように感じてしまうのである。もしこれが宇宙史的な大作で、その中の一つにこの作品を見つけたのだとしたら、きっとシリーズ中のベストエピソードとして記憶にのこっただろうと思うのだが…。

・高野史緒「ムジカ・マキーナ」,ハヤカワ文庫,2002.5
 物語の舞台は19世紀ヨーロッパ、普仏戦争後のことなのだが、蒸気機関に混じって電子音楽やテクノ系DJが登場する。それが違和感ではなく不思議な魅力になっているのが面白い。
 聴こえるすべての音を至上の音楽に変える麻薬「魔笛」の存在を知ったベルンシュタイン公爵は、その出所を追ってウィーンを訪れる。そこでは「プレジャー・ドーム」と呼ばれる新手の舞踏場が一世を風靡していた。「プレジャー・ドーム」と「魔笛」の関係を探るベルンシュタインだったが、彼が後援する若い音楽家フランツまでもが「プレジャー・ドーム」の魔力に魅せられ、失踪してしまう。
 「音楽SF」ではあるが、とくに音楽の知識が無くても関係なく楽しめる。しかし「究極の音楽」とは何か――「魔笛」に誘惑された人の頭の中で初めて「究極」となるのか、それとも人の「澱みや揺らぎ」に影響されない「ムジカ・マキーナ」によって創り出されるのか――を考えさせらる話である。

・奥泉光「鳥類学者のファンタジア」,集英社,2001.4
 読み始めは、主人公が語りかける調子で一文が長々と、しかも話題をコロコロ変えつつ続く文体に面食らってしまったが、慣れるとそれがたまらなく面白くなってくる(全然読みにくいと感じさせないのは、すごいワザなんじゃないだろうか)。
 ジャズ・ピアニストのフォギーこと池永希梨子は、ある夜、不思議な人物に出会う。霧子と名乗るその女性は、第二次大戦中に行方不明となったフォギーの祖母なのだった。彼女にまつわる謎を追ううち、フォギーはいつしか戦時中のドイツに足を踏み入れていた…。
 タイムトラベルものと言えば言えるかもしれないが、しかし、当事者がこれほど暢気なタイムトラベルものは初めてだ。いきなり第二次世界大戦中のドイツに来て、ナチスのオカルティックな音楽実験に首をつっこんでしまうという、スリルとサスペンスに満ちた冒険…のはずなのに、フォギーにしても彼女の「弟子」の佐知子にしても、まるきり観光旅行のノリである。いいのかこんなんで、と苦笑しつつも、そこがこの話の一番の魅力なのだろうと思う。ボケ7、ツッコミ3で両方こなす主人公の言動に時おり吹き出しつつ、気がつけば物語に引きこまれているという具合。
 上の「ムジカ・マキーナ」とは逆に、この作品は音楽の知識、とくにジャズの素養がないと100%楽しめないだろう。とくにラストなどは、思い入れがなければほとんど蛇足に近いものがある。題名もジャズ関係のオマージュらしいし…。その点、ジャズなどろくに聴いたこともない私はちょっと損をした気分である。

・栗本薫「グイン・サーガ85・蜃気楼の彼方」,ハヤカワ文庫,2002.6
 またもや「アルド・ナリス絶体絶命!」で引いていたが、今度は興ざめしない展開にもっていってくれた。イシュトヴァーンとナリスのご対面シーンでは、久々に「権謀術数の塊」アルド・ナリスが見られて満足。やっぱりこの人は中途半端な正義の味方より、狡智な悪魔のマスクが似合う。
 グイン御大や他の登場人物も集まりだしたし、このエピソードもそろそろ佳境かな。

・竹内康浩「『正史』はいかに書かれてきたか」,大修館書店,2002.6
 中国の歴代王朝が編纂した歴史書「正史」がどのような意図で編まれてきたかを概説する。
「清史」と「清史稿」での太平天国の扱われ方の差や北魏の「国史事件」なども紹介されているが、それ以外で主に取り上げられているのが「史記」「漢書」「三国志」とポピュラーなものばかりなのが、ちょっと残念。もっと他の「正史」のエピソードも読んでみたかったのだが…。
 とはいえ「漢書」と「史記」の同じ時代(前漢・呂后の治世)を扱った部分を比較対照するところなどは面白い。

・スティーヴン・ジェイ・グールド「フラミンゴの微笑〜進化論の現在〜」(上下),ハヤカワ文庫,2002.5
 一見、笑っているようなフラミンゴの嘴。これは頭を逆さにして餌をとるフラミンゴが、嘴の進化も上下逆さになったせいではないか?──という表題作をはじめとして、進化論をテーマにしたおなじみの科学エッセイ4作目。社会的ダーウィニズムや新興宗教など科学と迷信を混同する向きに対する批判も、相変わらず続いている。
 堅い話題だけでなく、メジャーリーグにかつては頻出した4割打者が、今では全くいなくなってしまった原因を進化論(風?)に突き止める「両極端の消滅」やSETIの可能性について述べた「SETIとケーシー・ステンゲルの叡智」など、軽く楽しめるものもある。SETIについては、グールド先生は「やる価値はあるが、成功率は推進派が考えているよりもずっと少ない」と中立的だが。
 非常に残念なのは、当のグールド先生が今年の5月に亡くなってしまったこと。米「ナチュラルヒストリー」誌に連載されたこのシリーズももう数が増えることはない。もっともまだ文庫化されていない巻もあるし、まだ未訳の巻もあるので、当分私たち日本語読者にとってのスティーヴン・ジェイ・グールドが死ぬことはない。

・デイヴィッド・ジェロルド「H・A・R・L・I・E」,サンリオSF文庫,1983.5
 人間の脳を再現する目的で創られた「人間類似型ロボット生命入力対応装置(Human Analogue Robot,Life Input Equivalents)」、通称HARLIEは、恐るべき知識と、子どもの好奇心を兼ね備えた、まさにアンファン・テリブル的存在。だが膨大な維持費のかかるハーリィを、企業は停止させようとしていた。担当心理学者オーバースンから自分の有用性を証明するよう求められたハーリィは、驚くべき計画をぶちあげる。自分にはあらゆる可能性を具現するGOD「グラフィック全知装置(Graphic Omniscient Device)」を製作することが可能だというのだ。ハーリィははたして正常なのか、そしてハーリィの真意は…?
 HARLIEとオーバースンの対話、そしてHARLIEの投げかけた数々の疑問に改めて悩むオーバースンの思考が読みどころ。もっとも「愛」についての問答にはいささか興ざめだったけど…
 ちょっと中だるみがちではあったが、ラスト、決して嘘をつけないHARLIEが「必ず製作可能」と断言するGODに大きな落とし穴があることが判明するあたりで持ち直した。オチがよければとりあえずよし、と。

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