読後駄弁
2002年読後駄弁11月〜12月


・J・K・ローリング「ハリー・ポッターと賢者の石」「ハリー・ポッターと秘密の部屋」「ハリー・ポッターとアスガバンの囚人」,静山社,1999-2001
 メジャーな作品を敬遠する悪いクセのせいで手をつけてなかったのだが、「秘密の部屋」が封切られたらまたしばらく読みたくなくなるだろうから、今のうちにこなしておこう。
 家でやっかいもの扱いされている孤児のハリー・ポッターは、十二歳の誕生日にボグワーツ魔法学院からの入学案内を受け取った。実はハリーは、幼い頃彼の両親を殺した強力な魔法使いヴォルデモートをどうやってか撃退した、魔法界では知らぬ人とてない存在だったのだ。魔法のことを何一つ知らないままボグワーツの門をくぐったハリーは、親友のハーマイオニーやロン、彼を目の敵にするドラコ・マルフォイらと共に、奇想天外な学園生活をおくりはじめる。やがてそこには復活を狙うヴォルデモートとその一派の影も…。
 主人公のハリーは絶大な能力を秘めた少年というのが大前提としてある他には、それほど個性的でもないと思うのだが、それだけに読んでいて感情移入がしやすい。彼の視点から見た他の登場人物には、さすがに惹きつけられるものがある。とくにボグワーツ魔法学院の教授陣には各巻ごとに名キャラクターが登場する(「秘密の部屋」のロックハート先生などは傑作だ)。
 あと楽しいのは各巻の序盤、休暇明けのハリーが揃えるよう知らされる魔法の教科書のタイトル。「幻の動物とその生息地 」「クィディッチ今昔」など、ぜひとも本物を読んでみたくなる…って、本当に出ているのか(ええ商売してんなあ!)。わりと小ネタ的な楽しみがちりばめられているのも、人気の秘密か。
 「賢者の石」、「秘密の部屋」で「確かに面白いけども、まあこんなものか」と、パターンをつかんだつもりでいたが、3巻「アスガバンの囚人」ではパターンの枠内でありながら予想以上の展開を楽しめた。

・鈴木謙介「暴走するインターネット」,イーストプレス,2002.9


・飛浩隆「グラン・ヴァカンス 〜廃園の天使1〜」,早川書房,2002.9


・高野史緒「アイオーン」,早川書房,2002.10


・「まちの図書館で調べる」編集委員会編「まちの図書館で調べる」,柏書房,2002.1
 「まちの図書館」=市区町村立図書館でのレファレンスサービスを紹介したもの。
 第1章では図書館員の記憶に残るレファレンス事例をピックアップしている。それほど変わった参考書は使っていないのだが、レファレンスを受ける側として「そうか、これを調べればよかったのか」と今さらながら気づくことが多い。勤めている図書館がなまじ多数の資料を所蔵していると、意外と基礎的な資料の利用を忘れてしまうものなのかもしれない。ちょっと反省。
 第2章以降では、ふだんレファレンスサービスを利用していない人に対する、サービス全体の紹介となっている。
 図書館職員が読んで意識の向上につなげる、というのもアリだろうが、ここはやはり利用者の方々に読んでもらいたいものである。

・梶尾真治「宇宙船<仰天>号の冒険」,ハヤカワ文庫,1986.8


・ヴォンダ・N・マッキンタイア「脱出を待つ者」,サンリオSF文庫,1986.10


・清水義範「開国ニッポン」,集英社文庫,2002.11


・ジョーゼフ・ヘラー「キャッチ=22」,ハヤカワ文庫,1977.3


・ルーディ・ラッカー「ソフトウェア」,ハヤカワ文庫,1989.10


・リチャード・フォーティ「三葉虫の謎」,早川書房,2002.9
 化石になっている姿は有名だが、それ以上のこととなるとほとんど知られていない、そんな三葉虫について多種多様な外形から内部構造、成長のようすまで最新の研究成果を紹介した一冊。
 かなり詳細な部分まで話が及んでいるが、とりあえず図版に出ている様々な形の三葉虫を眺めていくだけでも結構たのしめる。私の場合、「へえ、三葉虫って、ダンゴムシのように丸まることができたのか」とか、「三葉虫の化石についてる両脇のギザギザ、あれ足じゃなかったのか〜」とか、ごくプリミティブなレベルで感心してしまっているのだが…。
 そういえば「ドラえもん」で、タイムフロシキを使って三葉虫の化石を生きた姿に戻してしまうというのがあったが、あのとき出ていた三葉虫は、私が勘違いしていたのと同じく肋(ろく。「両脇のギザギザの」正式名称)で這っているように描かれていたように覚えている。たぶん私と同じ思い違いをしている人は多いのだろう、ということで安心しておくことにする。そういう誤った知識を正せただけでも読んだ意味がある…と言っては、ちょっと著者に申し訳ない。そういう私程度の読者でも、もっと詳しく(そして注意深い)人でもそれぞれ面白く読めるということで。
 三葉虫の周辺だけにとどまらず、故スティーヴン・J・グールドが提唱していた「断続平衡説」が三葉虫研究からはじまったことから、彼の説や代表作「ワンダフル・ライフ」に対しての穏やかな反論なども盛り込まれている。「ワンダフル・ライフ」で現在の動物とは全く異なる「奇妙奇天烈動物」とされていた動物群は、その多くが既存の目(もく)の枠内におさまってしまうとのこと。説得力のある反論なのだが、グールド節にワクワクさせられた一人としては、ちょっと残念な気もする。

・塩野七生「ローマ人の物語11・終わりの始まり」,新潮社,2002.12


・サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」,集英社,1998.6
「…西欧のなすべきことは三つある。(一)核兵器、生物兵器、化学兵器とそれを着弾させる手段について、不拡散、反拡散製作を通じて、自分たちの軍事上の優位を保つこと。(二)西欧が考えるような人権尊重と、西欧的な民主主義を他の社会に強制して、西欧流の政治的価値観と制度を売り込むこと。(三)非西欧人の移民や難民の数を制限して、西欧社会の文化的、社会的、民族的な優越性を守ること、である」
 …いやあ、そういう趣旨の本だとは知っていたけど、まさかここまではっきりと書いてくれているとは思わなかった。なんか妙に感心してしまいましたよ、私は。
 言うまでもなく冷戦終結後の国際関係について「文明間の衝突」が基調となることを論じた問題作。これまで読んできたなかで批判的に取り上げられることがあまりにも多かったので、実際どんなものかと手に取ったのだが…。
 冷戦後に起こった国際紛争の要因が、イデオロギーの相違から文明の相違にシフトした、という基本的な認識は正しいと思うし(冷戦のころのイデオロギーというのも、単なる表面的な理由だったのかも知れない)、各文明を論じた前半部も、他の学説の切り貼りだったり捉え方がおおざっぱすぎたりしているが、まあ思ったほどひどいことは言っていない。しかし本論の「第四部・文明の衝突」から話は一気に血塗られる。何せ、のっけから上のような文章だ。
 書かれたのが、アジア諸国の経済発展が盛んだった90年代前半で、アメリカや西欧諸国の危機感が最も高かった頃である、という事情もあるだろう。強力なアジアに対抗するにはこれぐらい極端でないとバランスを保てない、と。しかし、現在のようにアジアが不況の時代に陥った後でも、西欧がこの考え方に基づいて行動したら…?それはバランスを保つ手段どころかただの大国エゴ、レイシズムの新しい理由付けにしかならない。

・栗本薫「グイン・サーガ87・ヤーンの時の時」,ハヤカワ文庫,2002.12


・高橋克彦「火怨 北の耀星アテルイ」,講談社文庫,2002.12


・ダイアン・ケアリー「スタートレック エンタープライズ・エンタープライズ発進せよ!」,ハヤカワ文庫,2002.12


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