読後駄弁
2003年読後駄弁7月〜8月


・大塚英志「定本物語消費論」,角川文庫,2001.10

 「大きな物語」の終焉後、消費者が商品の背後の物語を収集し、消費する時代になった…という「物語消費論」。東浩紀「動物化するポストモダン」のオタク三世代論で言うと、第2世代の後半に位置するものである(実際「動物化する〜」はこの論を下敷きにしたところが大きい)。
 「ビックリマンチョコレート」や「シルバニアファミリー」などが出てくると、現代に繋がる問題提起よりも先にノスタルジーを感じてしまうのだが…。

・ジェイムズ・P・ホーガン「断絶への航海」,ハヤカワ文庫,1984.11
 この人が科学技術をはなれて社会とか制度の方に話をもっていくと、どうにも面白くないからなあ…と警戒していたのだが、その点は意外と気にならず最後まで面白くよめた。個人に完全なフリーハンドを与えれば、物事は理想的に進む…とは、思いきり楽観的な幻想だとは思うが、確かに惹かれる幻想ではある。
 とはいえそういうケイロン人の社会に賛同するかというと、ちょっと…。弱者には徹底的に残酷な社会である。

・佐藤賢一「オクシタニア」,集英社,2003.7
 中世ヨーロッパ最大の異端、カタリ派とカトリックとの宗教戦争に翻弄される男女の姿を描く。新婚の身でありながらカタリ派修道女となったジラルダと、妻に去られ異端審問官への道を歩むエドモン、無神論者のトゥールーズ(トロサ)伯レイモン、それぞれが追った「神」とは、「信仰」とは。
 中世の南フランスが舞台なのに、登場人物が何か日本人っぽい。南フランスのオック語を関西弁であてているせいも多少あるかも知れないが、それよりも宗教に対するスタンスのせいだろう。エドモンもジラルダもレイモンも、それぞれ立場は異なるが神や信仰を自分の意志で選びとっているあたりが、一神教が所与のものとなっていない現代日本人に近いものを感じさせている。

・東浩紀「郵便的不安たち」,朝日文庫2002.6


・アミタヴ・コーシュ「カルカッタ染色体」,DHC,2003.6
 マラリアの疾病史を軸に繰り広げられる幻想的な物語。語り手を切り替えながらしだいに「カルカッタ染色体」の真相に近づいていくあたりのもりあげ方はお見事。
 けど、電離層にコンピュータから発した電磁波が残っていてそこから過去の電子メールを復元するとかいうあたり、SF(アーサー・C・クラーク賞受賞)と言うにはどうかなあ…と。それを言ったら話のメインであるアレを「染色体」比喩とはいえ「染色体」としてしまうのも問題ありか。
 いや、SFうんぬんを気にしなければ、賞をとるのも納得の面白さなんだけど。

・高山博「歴史学 未来のまなざし」,山川出版,2002.7
 著者の研究テーマである中世シチリア王国を土台にして、歴史研究や現代世界がかかえる問題点を俯瞰する。テーマは興味深いが、著者の他の著作のさわりをかいつまんでいるようなところがあって、これ一つ読むだけではやや物足りないものを感じた。

・グレッグ・イーガン「しあわせの理由」,ハヤカワ文庫,2003.7
 前の短編集「祈りの海」とはやや雰囲気が変わったように思える。アイディアが突き出た作品から、それをくるんでいる物語にやや重点が移っているような。冒頭の「適切な愛」や「「チェルノブイリの聖母」などはとくにそう感じられた。
 気に入った作品を挙げるなら表題作「しあわせの理由」と「闇の中へ」、あと「ボーダーガード」。
 「しあわせの理由」は河出の「20世紀SF」に出ていたので読むのは二度目だが、それでもこれが一番。「闇の中へ」は、外方向への運動が光も物質もまったく不可能になる謎のワームホールで救出活動にあたる男の話。自分が何を好きになるかを意識的に選択できるようになる「しあわせの理由」にしても、比喩でなしに自分の進む方向しか物が見えなくなる「ボーダーガード」にしても、人間が普段から意識することなくやっていることを特異な状況下で具現化してみせるという、ある種哲学的な(というと偉そうだが)面白さがあるように思う。
 「ボーダーガード」は死というものがなくなって久しい遠未来の主人公が、死を知る最後の女性と出会うというもの。死や苦痛は人間にとって大切なものだ、という考えを「悲劇主義者」と切ってすてる登場人物の言葉にはまいった(カードなんか「悲劇主義者」の最たるものだよな)。…それはいいのだがこの作品に出ている「量子サッカー」、どういうスポーツなのか全然イメージがわかないのだが…誰か分かりやすく解説してくれないものだろうか。

・グレッグ・イーガン「順列都市」(上下),ハヤカワ文庫,1999.10


・クラウス・エメッカ「マシンの園 〜人工生命叙説〜」,産業図書,1998.9
 「ライフ・ゲーム」を嚆矢とする人工生命とはどんなものか、生物学など既存の学問体系にどのような影響を与えるのか、そして、それは果たして「生命」と呼ぶに足るものなのか…。理論生物学からカオス理論、哲学論といった多方面から考察する。
 イーガン「順列都市」あたりに出てくる人工生命だと、生命と同様の動作と機能を満たしていれば、それが生命であることはこともなげに認められてしまうのだが、本書ではそこまで一足飛びにせず、「生命」の定義を求めるところから始まっている。
 正直なところ著者が該博すぎるせいか、話がどっちの方向を向いているのかいまいちよく分からなかった。最初は人工生命も生命の一種だという論に同意しているように見えたのだが、後のほうだとむしろそういう見方に批判的なように読めるところも…。

・秋山瑞人「イリヤの空、UFOの夏」,電撃文庫,2001.10-2003.8
 裂け目を覗き見る面白さ、と言えばいいのか。
 とりあえず一番の外面は、頭が痛くなるほどの「お約束」のオンパレードである。ここぞというとき以外は優柔不断な主人公、無口で無愛想で謎めいたヒロイン、紙一重な先輩、ヤキモチのクラスメート…。そして隠された真相も(一応伏せといた方がいいのだろうが)すごく意外な展開というものではない。…意図してやっているのは間違いないが、それにしてもわざとらしすぎないか、とやや苦笑。
 だが、お約束の「日常」の裂け目から時折垣間見える、「非日常」の見せ方──ちょうど一話目、プールサイドの伊里野のカバンから顔をのぞかせる銃のような──に、問答無用に惹きこまれてしまった。とくに2巻の「十八時四十七分三十二秒」が私にとってのベストエピソード。
 そうしていったんハマってしまえば、裂け目が拡がってついに表と裏が逆転してしまう3巻「水前寺応答せよ」からラストまでは一気読みである(…ちゃんと4巻目が出るまで3巻に手をつけるのを待ったのは正解だった)。下手に逃げずにきっちり「夏」は終わらせ、悲しくも爽やかさを残して締めてみせたあたりはさすが。やはり、意表を突かれるものではない、しかし、こうでなくてはならないと思わせてくれるものだった。…ただ、大人たちの行動説明が行き届きすぎているのが、ちょっと余計に感じられたかな。

・佐藤賢一「黒い悪魔」,文芸春秋,2003.8
 植民地生まれで黒人の血を引きながら、フランス革命の戦乱で頭角を現し、「黒い悪魔」と恐れられた将軍トマ・アレクサンドル・デュマ──文豪デュマの父──が主人公。
 …というと痛快な英雄伝説みたいだが、メインは彼の大活躍そのものより、その裏に潜んだ鬱屈とコンプレックスを描くことなので、胸がすくということはあまりない。むしろラストの世間的には敗北したがそれ以上に貴重な父としての勝利を得たシーン、その苦さとせつなさの混じった感動が読みどころ。

・フレッド・セイバーヘーゲン「バーサーカー 赤方偏移の仮面」,ハヤカワ文庫,1980.4
 生命すべてを破壊することをプログラムされた戦闘機械<バーサーカー>と人類の戦いを描いた連作短編。
 圧倒的に敵に対して絶望的な戦いを繰り広げる人類の物語…といった重い話を予想したのだが、中には機械を手玉にとって危機をすりぬける話や、すでにそれほど危険な存在でなくなったバーサーカーを道化にしたエピソードなどもあって、なかなかバラエティに富んでいる。
 人間嫌いの芸術家がバーサーカーに捕らわれ、絵画の意味を問われる「理解者」が一番気に入った作品。

・オースン・スコット・カード「消えた少年たち」,ハヤカワ文庫,2003.8


・栗本薫「グイン・サーガ91 魔宮の攻防」,ハヤカワ文庫,2003.8
 グラチウスにしてもアモンにしても、口数が多くなるほどにキャラクターが軽くなってしまうのは、そうなるのが普遍的ななりゆきだからなのか、それともこの作者ゆえのことなのか。グラチウスはもうしばらく前からギャグ担当キャラになってしまっているからそれもいいが、当面のボスキャラであるアモンについては、もう少しおどろおどろしい悪役ぶりを維持してもよさそうなものだが。

・エドモン・ロスタン「シラノ・ド・ベルジュラック」,岩波文庫,1951.7
 佐藤賢一「二人のガスコン」を読む前の予習。フランスの冒険浪漫では「三銃士」と人気を二分するこの作品だが、ちゃんと読むのは今回初めて。
 詩人にして無双の剣士、自由闊達な巨鼻の男シラノ・ド・ベルジュラックは密かに恋する従姉妹ロクサーヌから、同僚クリスチャンへの恋心を打ち明けられる。一方クリスチャンもロクサーヌに恋しているのだが、文才のない彼は思いを伝えられないでいた。シラノはクリスチャンのゴーストライター役を買って出て、めでたく両想いの二人は結ばれる。しかしその後、戦争に駆り出されたクリスチャンはあえなく戦死。シラノは自分の想いを押し隠し、修道院に入った失意のロクサーヌを15年もの間友人として慰め続けたのだった。
 浪花節的には「三銃士」よりこっちの方が受けそうだなあ、と思う(ダルタニャンはわりとこすからいところがあったし…)。しかしこの話で一番悪いのはギーシュ伯爵より、勝手な上に鈍感なロクサーヌだわな、間違いなく…。

・佐藤賢一「二人のガスコン」(上中下),講談社,2001.1-3
 銃士隊の廃止後、ダルタニャンはかつては対立していた宰相リシュリューの後継者・マザランの下で密偵を務めていた。その彼にかつてリシュリューの元銃士隊長・カヴォワの娘を監視する密命が下される。新しい相棒として付けられた男はシラノ・ド・ベルジュラック。組織人と自由人、正反対の人生を送る二人は当然のように初手から対立する。だが二人とも「熱血にして狡猾」という矛盾した風評をもって知られるガスコーニュの男−−ガスコンなのだった。「二人のガスコン」の活躍で明かされるカヴォワ事件の思わぬ真相とは──
 ダルタニャンとシラノが主人公、とはいえメインは断然ダルタニャン。シラノの見せ場も少なくはないが、割と早くにシラノがダルタニャンに傾倒してしまう形になるので、「シラノ」側ファンからは少々不満が出てきそうだ。まあ、自由気ままなシラノより、組織の中で矛盾した生き方を余儀なくされるダルタニャンの方が、私たち現代の読者にとっては共感が持てることは間違いない。
 「ダルタニャン物語」の第2部、第3部とは食い違いの生じる展開なのだが、元祖第3部「ブラジュロンヌ子爵」あたりよりはこっちの方が正直面白く読めてしまったので問題なしとしよう。この夏は「オクシタニア」、「黒い悪魔」、そしてこの「二人のガスコン」と続けて佐藤賢一作品を読んだが、主人公の痛快な活躍という点ではこれが一頭地を抜いている。

・大木昌「病と癒しの文化史 〜東南アジアの医療と世界観〜」,山川出版,2002.9
 伝統医療と西洋医学が混在する東南アジアの医療史を、ヒンドゥー化、イスラム化、そして西欧医学の受容に分けて見ていくことで、異文化に対する抵抗や受容のかたちをさぐる。

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