読後駄弁
2004年読後駄弁1月〜2月


・木村和男「カヌーとビーヴァーの帝国 〜カナダの毛皮交易〜」,山川出版,2002.9
 17〜19世紀に栄えたカナダの毛皮交易の歴史。経済史的な面より毛皮交易を介した先住民との関係や、その中で生まれた混血民メイティを扱った部分が大きい。
 毛皮交易の初期にはヨーロッパの交易者と先住民との間には比較的対等な関係が築かれていた、という点に興味をもった。比較の対象が合衆国や南米だから過大評価は禁物だし、時代が下るにつれ結局先住民は排斥されていくのだが…。

・光瀬龍「喪われた都市の記録」,ハヤカワ文庫,1976.2
 火星の東キャナル市、金星のヴィーナス・オリエンタル、木星の浮遊都市(プランクトン・シティ)、そして地球のシャングリラ…それぞの都市で、太古に滅んだ第5惑星「アイララ」の記憶が目を覚ます。それに翻弄される人々と都市の記録。
 最終的には「アイララ」の顕現から宇宙全体の輪廻にまで話が及ぶ大きな物語だが、火星や金星の過酷な環境で、絶望に陥りながらも踏みとどまり続ける人間たちの描写も強く印象に残る。

・ロイス・マクマスター・ビジョルド「遺伝子の使命」,創元SF文庫,2003.12
 宗教的理由から女人禁制の惑星アトス。男性ばかりのこの星の人口増加は移民と、人工子宮による生殖に限られている。ところが、劣化した遺伝子を交換すべく注文した卵子培養基はどれも不良品ばかりで、あまつさえ牛の卵巣さえ混ざっている始末。慌てたアトスは調査と卵子再取得のため若き医師イーサンを、けがらわしき女性のいる外世界へと派遣した。イーサンはそこで事件に巻き込まれ、傭兵士官のエリ・クインと出会うのだが…。
 というわけで、「ヴォルコシガン・サーガ」最新邦訳。とはいっても今回レギュラーで登場するのは、まだマイルズといい仲になっていない時代のエリ・クインのみ。世界観以外は他の作品と関係ないので、シリーズを離れて単品としても十分通じる。多少ご都合っぽいところもあるが話のテンポは上々、ほどよいどんでん返しもありで、素直に楽しめる仕上がりだ。
 主人公イーサンは、女性を汚らわしい存在と忌避しているという設定のわりには、女性アレルギーを印象づけるシーンが少なかったように思う(エリ・クインともわりと平気で掛け合いをやっているし)。とはいえ、知らず知らず子育てをする女性を擁護する発言などがあったりと皮肉を効かせた面白い仕掛けもあるので、設定が生かされていないというわけではない。
 一件落着したラスト近くで、イーサンはクインに卵巣の提供者になってほしいと頼むのだが、これは一風変わった告白シーンということに…なるんだろうか?

・E・T・ベル「数学をつくった人びと」(1〜3),ハヤカワ文庫,2003.9-11
 デカルトからカントールに至る近代数学の巨人たちを扱った数学者列伝。その主な業績から人となりを窺わせるエピソードまで硬軟取り混ぜて紹介する。
 数学者の業績を記す以上、必要最低限の数式が登場するのは避けて通れない。シグマやインテグラルは、私にとって高校以来の鬼門なのだが、幸い、ゆっくり読めば数学オンチにもついていける程度にかみ砕いた説明がされている(…少なくとも読んでいる当座は分かった気になれたんです、はい)。こういう取っ付きの良さがこの本の最大の魅力だろう。
 数学者の数学的業績だけを称揚するあまり、彼らの他の行動や業績を無駄な回り道と決めつけてしまいがちなのは、欠点と言えば欠点か。批判するよりは苦笑するべき欠点なのだろう。数学者は一般に想像されるような変人ばかりじゃないんだよ、という序論の一節を、この著者の態度がいちばん裏切っているように思えるのだから。

・ドゥーガル・ディクソン&ジョン・アダムズ「フューチャー・イズ・ワイルド 〜驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界〜」,ダイヤモンド社,2004.1
 「アフターマン」のドゥーガル・ディクソンが再び描きあげた未来の進化予想図。
 「アフターマン」が人類絶滅から5千万年たった世界の哺乳類と鳥類を中心に描いたのに対し、今回は500万年後、1億年後、2億年後の3部構成になっているのがポイント。氷河期の再来と終息、それにともなう哺乳類の衰退、そして次に地上を支配したのは──と、より巨視的で大胆な進化像が展開されている。
 そういう段階的なイメージを説明するためなのか、「アフターマン」に比べると文章主体で画像が少なくなっているのは、好みの分かれるところだろう。しかし数が少々減ったとはいえ、CGを駆使した未来の動物たちの姿は一見の価値あり。
 もともとはTVで放送されたものなのだが、残念なことに見る環境がなかった。DVD(できれば翻訳つき)は出ないだろうか?

・21世紀研究会編「人名の世界地図」,文春新書,2001.2
 欧米人の姓名の由来を手当たり次第に紹介した蘊蓄集。あまりに次々紹介してくれるので頭には残らないが、暇つぶしにはなる。
 東洋系の姓名については、中国と朝鮮でそれぞれ一章ずつをさくのみで、あまり深入りしていない。編者ら自身があまり得意分野ではない様子も窺える。秦始皇帝の氏が趙氏だというのは、調べてみたら合っていたが、一般に知られているエイ氏の方について一言もないのはなぜだろう。あと本論とは関係ないが『朝鮮半島には、「虎は死後に皮を残し、人は死後に名を残す」ということわざがあるほど、』とあるが、これって日本の「十訓抄」が出典じゃなかったか?…まあ、もともとは五代十国時代の王彦章が言った言葉らしいから、朝鮮にもあるのかも知れないが。
 しかし、西欧の名前にも日本のそれと同様にはやりすたりがあることが紹介されていたりするのは、ちょっと面白かったかな。

・森岡正博「無痛文明論」,トランスビュー,2003.10
 人間には他人を犠牲にしても快楽を求め苦痛を避け、それを保持しようとする「身体の欲望」がある。文明はそれを助長し「無痛文明」と化していく。だが、人間は「身体の欲望」を持つ一方で、自己を変革したときに訪れる「生命のよろこび」への希望も持っている。この「生命のよろこび」を得て悔いなき人生をおくるために、人間は「無痛文明」の奔流と不断の戦いを続けねばならない──。「文明論」という題から連想される大所高所からの客観的論述とはまったく逆の、熱く噴出するような生きかた論。
 私はこの本が嫌いである。だいいち「無痛文明と戦う戦士たちよ」などという大上段に振りかぶった物言い、大仰な語りかけがどうにも性に合わない。主張されている内容も、その真っ当さは重々認めるが、一方で批判や反論をあらかじめ封じ込めてしまう独善──どんな意見も「無痛文明の罠」「無痛奔流に負けてしまった人間の言い訳」として省みない──に陥りそうな危うさをぬぐい得なかった。
 だが、そういう独善に陥る危険性を誰よりも著者自身が意識し、回避しようとしていることもよく分かるのだ。言ってることは正しい、だが好きにはなれない、とはいえその誠実さは疑い得ない…なにか吹っ切れない思いを持ちながら最後まで読み終えた。やっぱり、私はこの本が嫌いである。読んだ価値は、あったと思うのだけれど。

・福井晴敏「終戦のローレライ」(上下),講談社,2002.12
 日本の敗戦が明らかになりつつある昭和20年。すでに降伏したドイツの潜水艦UF4は艦に備わる秘密兵器「ローレライ」と引き替えに日本への亡命を企図していた。だが執拗な米潜水艦の追撃で、途中「ローレライ」の分離・放棄を余儀なくされる。辛うじて日本にたどり着いたUF4=伊507の新乗組員として緊急招集された艦長絹見真一、少年兵折笠征人らは、海軍軍令部の気鋭・浅倉良橘大佐の特命を受け、「ローレライ」回収へと向かった…。
 執筆当初から映像化を意識していたというだけあって(2005年映画公開とのこと)、登場人物の性格設定が明確に彼らの行動に表れていて、場面をイメージしやすい。全体としての物語展開も同様に明快で、上下巻二段組みの長大さもさして苦にならない。この明快さに加えて、メインテーマを折笠少年の成長+ボーイ・ミーツ・ガールととれば、ジュヴナイルとしても結構読めるんじゃないかと思う。
 ラストの展開も(これまた映画的な展開ながら)感動的なのだが、その後に続く終章で話がもたついてしまい、ちょっと醒めてしまったのが画竜点睛を欠くところ。日本人たちが歩んだ戦後史が、伊507のとった行動に見合うものであったかを考えさせるという点で、意味のない蛇足とは言えないのだが…それは読者各自が考えればいいことであって、物語でわざわざ示すのはご丁寧にすぎるというものだろう。
 あと、折笠少年とか浅倉大佐の言動(ついでに「ローレライ」の正体も)にガンダムの影を感じてしまうのは、著者が「ターンA」のノヴェライズを書いた人だから、という私の先入観によるものだろうか?どうもそれだけではない気がするのだが…。

・栗本薫「グイン・サーガ93・熱砂の放浪者」,ハヤカワ文庫,2004.2
 またぞろ国と軍勢を置きすてて単独行に入っている豹頭王編。…まあ今回は本編までは置きすててないからいいのだろうが(前は外伝だったし)。話そのものはグインと賢者ロカンドラスの初顔合わせなど、読みどころはある。
 何巻か前のときにも書いたが、最近グラチウスがすっかりギャグキャラと化しているなあ…。数十巻ほど前は「闇の司祭」として大ボス扱いだったことを思い出すと、少々哀れな気も。

・立川武蔵著・大村次郷写真「シヴァと女神たち」,山川出版,2002.9
 インド各地のシヴァ神信仰を豊富な写真と共に紹介する。シヴァ信仰の形態というのは、あまりに多種多様すぎて、一つのシヴァものを皆が信仰しているというよりも、皆がそれぞれ信じているものに後付けでシヴァをのっけているとしか思えないのだが…。実際それで何の不都合もないのだろう。唯一の形に拘泥して血を見るよりも宗教の形としてはよっぽど好感がもてる。

・宮崎正勝「イスラム・ネットワーク 〜アッバース朝がつなげた世界〜」,講談社選書メチエ,1994.5
 ウォーラーステインらの提唱した「世界帝国」モデルをさらに広域的に組み合わせてシステム化した「ネットワーク帝国」を設定し、その最初の例としてアッバース朝イスラム帝国を挙げたもの。
 元祖ウォーラーステインの「近代世界システム」は15世紀以降のものだし、前に読んだアブー・ルゴド「ヨーロッパ覇権以前」は12世紀の世界システムを論じていた。モンゴル帝国を「最初の世界帝国」とする本もある。そしてこれは7、8世紀のイスラム「ネットワーク」帝国。素人考えだが、シルクロード以降どの時代でも「システム」と言ってしまえば早いもの勝ちになってしまわないか…?どの程度の交流があれば「システム」として成立したと見なせるのだろうか。

・テリー・ビッスン「ふたりジャネット」,河出書房新社,2004.2
 ついに出たテリー・ビッスン短編集。SFふうホラ話、あるいはホラ話ふうSFといったノリの作品が並ぶ。
密かに期待していた「熊が火を発見する」は、雰囲気はよかったものの今ひとつピンとこなかった。もっとけれん味のあるのを期待していたのだが。けどおかしなATMがネタの小品「アンを押してください」はコントみたいで、ツボにはまると楽しい。
 まとめて読んでみたかった「万能中国人ウィルスン・ウー」3部作がやっぱり一番のヒット。手書きふうのはったり数式が出るたびにニヤニヤしてしまったり。名文句集に挙げてみたいのだけれど難しいかなあ。手で再現したのをスキャナでとってみればいいのだが。

・塚本青史「裂果 〜趙襄子伝〜」,NHK出版,2004.2
 タイトルネームになるほどには趙襄子(毋ジュツ)が目立ってなかったり、カルト教団めいた「冥家」を歴史の裏面に関わらせたりと、この人らしい筋立ての作品。
 あえて主人公にこだわらず晋が分裂するまでを描いた歴史小説として読むのが面白い。舞台が重なる宮城谷昌光「孟夏の太陽」あたりと読み比べてみるのも一興。

・井野瀬久美恵「黒人王、白人王に謁見す 〜ある絵画の中の大英帝国〜」,山川出版,2002.11
 ヴィクトリア女王がアフリカの王に聖書を下賜している像を描いた一枚の絵と、実際にイギリスを訪れた西アフリカの小国アベオクタの王(アラケ)との関係を追う。絵がどのような史実を背景に描かれたのか、それを当時のイギリス人はどのように見たのかなどについて、著者の研究や推測を追体験できる。


・大塚英志「おたくの精神史 〜一九八〇年代論〜」,講談社現代新書,2004.2
 80年代の「おたく」文化について、著者が直接携わったマンガ業界を中心に検証する。「物語消費論」や「サブカルチャー文学論」など他の著書の導入になっている部分も。
 「おたく」文化を享受した側でなく仕掛けた側として、今現在の「オタク」論者とは一線を画したいという気分がそこかしこに表れているように思えるのだが、どうなのだろう?

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