駄弁者の駄弁


タイトルページに戻る

3日目以前へ
4日目〜コンヤ−カッパドキア〜
スルタンハンのキャラバンサライ
スルタンハンのキャラバンサライ
 
ウチ・ヒサール
ウチ・ヒサール
 コンヤから東北東、カッパドキアに向かう。市街地を出ると、バスはただひたすら畑か休耕地が地平線まで続く地帯を走り抜けていく。しばらく走ってくすんだ緑や茶色の山を遠目に通り過ぎると、スルタンハンのキャラバンサライと呼ばれる隊商宿跡に着く。13世紀に設けられたもので、トルコに数多く残るキャラバンサライの中でも保存状態が良いものとのことだ。
 「隊商宿」というと小さな施設をイメージしそうだが、この「宿」は高い城壁に囲まれ、ちょっとした砦ぐらいの規模がある。考えてみれば、それぐらいの防御施設がないと隊商も安心して荷を下ろせないだろう。このキャラバンサライを作ったのは、当時の(ルーム・)セルジューク朝のスルタンで、隊商は一定期間であれば無償で利用できたそうだ。この規模の施設を通商路に沿っていくつも維持管理していくのにはさぞ出費が要ったことだろうが、通商路の保護はその出費にまさる利益があったということか。

 さらに東北東に進んでカッパドキア地方に入ったのは昼頃のこと。ウチ・ヒサールの要塞がよく見えるレストランで昼食をとる。名高いカッパドキアの奇岩群と初の対面である。村の建物と巨大な岩が融合したような風景が面白い。
 昼食後は少し南に下ってカイマクルへ。ここには火山岩の地層を掘り抜いた地下都市がある。都市自体は紀元前からすでにあったそうだが、紀元後からはローマ帝国の迫害から逃れたキリスト教徒が移り住み、拡張されつつ10世紀頃まで使われていたらしい。深さは地下8〜9階におよぶとか。途中に侵入者を防ぐための岩の扉などがあって、いかにも隠れ家らしい。食料庫やワイン倉、水源なども備えていて長期の居住にも耐えられただろう。火事とか粉塵爆発が恐そうだけど。
 ところで、この地下都市の出口には道に沿って小さな土産物店がいくつも立ち並んでいる。日本人ツアーと見るや店の兄ちゃんたちが盛んに呼び込みを始めた。
「サンジュッコ、センエン! サンジュッコ、センエン!」
売っているのはナザール・ボンジュウという魔除けのお守り。トルコ土産で定番の、円盤状の青いガラスに目玉の模様をつけたやつである。さすがにカッパドキアぐらい有名な観光地になると、日本円が通じるようだ。それは結構なのだが、出口から少し歩くと、口上が少し変わってくる。
「ヨンジュッコ、センエン! ヨンジュッコ、センエン!」
さらに観光バスの駐車場近くでは、
「ゴジッコ、センエン! ゴジッコ、センエン!」
おい、原価いくらだ!?(笑)
三美人の岩
三美人の岩
どのへんが美人なのかは聞かぬが花
トルコ絨毯
お絨毯さま
もちろん見て楽しむだけ
図書館に来る生徒たちに配るには適当だろうと、「ヨンジュッコ、センエン」の店で、別に大ぶりのナザール・ボンジュウを1つ2つおまけにつけてもらって買うことにした。1個1個見てみると、形がいびつだったり目玉がいい加減だったりするものが少なからずある。こりゃあ、1個20円でもボロい商売だろうなあ…。
 引き続き奇岩めぐり。「三美人の岩」と称するスポットで撮影タイムが入る。「どのへんが美人なのか分からへんよねえ」との感想がツアーのおばさんあたりから出るが、まあそれを言ったら日本の夫婦岩だっておあいこだろう。頭らしき岩が乗っかっているぶん、「三美人」の方がまだしも名に近いとも言える。
 カッパドキアの名物は奇岩観光だけではない。ワインと、それに土地の娘が織る絨毯(キリム)が重要な伝統産業に数えられている。この日の最後のスケジュールは、オプショナルでトルコ絨毯の店へ。「買わなくてもいい、作っているところを見て知ってもらえれば」とのギュンさんの言葉を額面通りに受けとった人はいないだろうが、私も含めてみな興味はあったらしく、全員参加。訪れた店の案内役は、日本に住んだ経験もあるとのこと。日本の高級デパートで、大きいが毛足が長く目の粗い絨毯が高値で売られているのを見てショックを受けたそうだ。トルコ絨毯は(トルコに限らないのかもしれないが)毛足が短くても長保ちするものこそが上等で、大きさではなく結び目の細かさで価値が決まる。
「あれを絨毯と呼ぶなら、ここの品はお絨毯さまです」
言い切りましたよこの人。
 そんなやんごとなき方々を、私の借家ごときに迎えるわけにもいかない。説明を聞くだけ聞いて買い物タイムからは早々に離脱することにする。よくしたもので買う気がないと見るや店員たちもしつこく迫ってはこなかった。買う気十分な客が他にいたからかも知れないが(2人ほど買ってたようだ)。
 お絨毯さまの御前から退出して、今夜の宿へ。「洞窟ホテル」との謳い文句はもちろん文字通りのものではなく、もともと洞窟があったにしても相当手を加えたのだろうが、外面、内装とも確かに雰囲気はある。その分設備に不備がある…ということも基本的にはなかったのだが、ツアーのとくに男性陣ががっかりしたことが一つ。部屋で無線LANが通じない。フロントでID、パスワードはもらえるのだが、どうやら外に出ないと電波が届かないようだ。私は一晩や二晩メールが読めない程度でべつに構わなかったのだが、落胆したのはノートPCでオリンピック観戦をしていた人である。とくにサッカーは男女とも決勝戦に入っていて、相当気になっていたようだったが…残念でした。
 こっちのテレビでもオリンピック放送はやっているだろうとテレビをつけてみたが、ニュースの報道はあるものの特別番組という感じではない(あったにしても日本の試合は放映しないだろうし)。その他のニュースでは、詳しくは分からないがシリア情勢と、クルド人との紛争が大きな話題となっているようだった。あと、CMで韓流ドラマの予告が…こっちでもやっているのか。そういえば昨日コンヤでショッピングセンターに入った人が、家電フロアにサムスン専門の広いコーナーがあったと言っていたなあ…。韓流攻勢おそるべし。
 翌日は気球ツアーに参加するため4時起きなので、早めに就寝…したのだが、外が声や太鼓やらでかなりうるさい。ラマダンの夜だから、お祭り騒ぎでもやっていたのだろうか。

5日目〜カッパドキア−カイセリ−イスタンブール〜
 人気が高いカッパドキアの気球ツアーだが、もともと私は参加を申し込んでいなかった。というか、ウェブからツアーを申し込んだときにはオプションに入っていなかった(少なくとも私は気付かなかった)。気球周遊がオプションでなく組み込まれているツアーも当然あったのだが、最初に書いたように自分にとってはイスタンブール観光がメインで、カッパドキアの気球はわりとどうでもよかったのである。しかしあるとは思っていなかったオプションが実はあり、直前参加もOKということなら話は別だ。
 ツアーは日の出の時間に合わせて始まるため、起床は4時すぎ。まずバスで向かった先は、簡素なレストランである。朝食を気遣ってくれるなら30分でも余計に寝かせてほしいところだが、これも含めてのパッケージなのだろう。たいして美味しくもないパンやらソーセージをもそもそと食べてから、そろそろ膨らみかけている気球の発着場へ。相当広いスペースが複数箇所あるようだ。20人乗りの大型気球に乗り込み、いざ離陸──。
気球から見た夜明け
気球から見た夜明け
眼下のカッパドキア
眼下のカッパドキア
オルタ・ヒサール
オルタ・ヒサール
 気球はまずほぼ垂直に、高度200mぐらいまで上がる。高い所は苦手ではないはずなのだが、慣れるまでは手すりから手を離せない。しかし幸い今日は風も少なく、コンディションはよいとのことだ。ほどなくあちこちにカメラを向ける余裕ができた(真下を見るのはちょっとムリだったが)。
 高度をとってから、一帯を周回するコースに入る。ときには気球の影がはっきり写るほど山の斜面に近づいたりもする。山を越えると「ゼルベの谷」や「ローズバレー」、「オルタ・ヒサール」といった名所が眼下に…。朝日を受けた火山岩の谷は白から薄紅へと時間や方向によって色合いを変えていく。地上からでは絶対味わえない光景だ。どうでもいいなんて思っていてごめんなさい。
 周遊ツアーは1時間強。着陸はかなり荒っぽく、衝撃が強い。それでも惰性と風に流される気球や傾く籠を必死で引き留める現地スタッフの様子を見れば、文句などとても言えたものではない。ご苦労さま。堪能させていただきました。
 眠気はとっくに覚めていたが、ホテルに戻ってひと休み。ここでもう一つのショッピングオプション、トルコ石店行きがあったのだが、絨毯以上に興味がない私はパスさせていただいた。後から参加した人に聞いたところでは、絨毯店より商売っ気が多く、店員がしつこかったとのこと。行かなくて正解でした。
 この日もカッパドキア観光の続き。気球からも見えた「鳩の谷」や「ゼルベの谷」、キリスト教徒の洞窟教会やフレスコ画が残るギョレメ野外博物館を見て回る。一番最後に訪れた「ゼルベの谷」はスターウォーズのロケ地にもなったとのこと。確かにタトゥイーンのモデルと言われればそうも見えるけど…。ロケ地はチュニジアとしているウェブサイトが多いのだが、そのへんどうなのだろう。チュニジアがメインだが、カッパドキアを使ったカットもあったということだろうか。
 日本だったら一つあるだけで地域観光のメインを張れそうな光景がそこらに転がっているような所なのだが、正直なところ気球ツアーが終わった時点でカッパドキアには十分満足していたので、奇岩巨石はもうええわ…という気分だったのは否めない。
 昼過ぎようやくカッパドキアを後にし、もう少し東の町カイセリへ。ここからはかつてカッパドキアの景観を形づくる火山岩を噴出させた、トルコで4番目の高山・エルジェス山が見えるとのことだったが、薄曇りでよく見えず。カイセリ空港から反転して西へ向かい、飛行機を降りたところは、ついにイスタンブールである。

 イスタンブール。近郊まで含めた人口は1200万人を超える、世界有数の大都市。アジアの西端とヨーロッパの東端の両方にまたがり、車で数時間も走ればギリシャとの国境に達する位置にある。トルコ共和国時代になってからはアンカラに首都の座を譲ったものの、それに先立つオスマン帝国、ビザンツ帝国の昔から千数百年の歴史をもつ都である。…無理やり日本に当てはめるとしたら、東京規模の京都が福岡にあるようなものか。
ヴァレンス水道橋
ヴァレンス水道橋
 都市の規模にふさわしく交通量は相当なもので、大型・小型車が連なっている。それらの車がローマ時代からある城壁や水道橋を縫いくぐっていく光景は、この都市ならではのものだろう。「ローマ人たちはたいしたもので、バスやトラックがくぐれるように水道橋を造ってくれました」とはギュンさんの談である。
 歴史的な都市であると同時にいまだ発展途上の都市でもあるらしく、あちこちにクレーンが目立つ。もっとも工事を進めようとすると遺跡が見つかってしまい、スケジュールがよく遅れるとのことだ。
 バスが金角湾にかかるガラタ橋に着いた頃にはすっかり日が暮れていた。夕食はガラタ橋下のレストラン街で。バスを降りると屋台から魚を焼く匂いが。最近すっかり有名になった名物鯖サンドがこれらしい。買い食いしたいのはやまやまだったが、時間にしばられるツアーの哀しさ、そのヒマはなかった。まあレストランで出たクロダイのグリルも悪くなかったのでよしとしよう。それに料理の味やメニューなど、今はささいなこと。
「おい、おれイスタンブールでメシ食ってるよ──」
お芝居くさいと言うなかれ。本当にそう呟いたものである。

6日目へ



「日々雑感2004年」へ
タイトルページに戻る