駄弁者の駄弁


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6日目〜イスタンブール〜
オベリスク
テオドシウスのオベリスク
 1日イスタンブール観光。ホテルのある新市街から再びガラタ橋を渡り、イスタンブール歴史地区へ。まずはスルタン・アフメット広場の西を占める、ローマ時代は戦車競技場だったというヒッポドロームから。2本のオベリスクが立っており、ひとつはローマ帝国東西分割前の最後の皇帝テオドシウスがエジプトから移築したもの(持ってきたのは上3分の1だけだそうだが、それでもこの高さか)、もう1本は10世紀に東ローマ皇帝が建てたもの。テオドシウスのオベリスクは、3500年前のものだそうだが、ひとつの岩から削られているせいもあってか、それよりはるかに新しい石積みのもう1本より保存状態が良く見える。
 そこから広場の中央にある噴水へ。ここは右を見ればブルー・モスク、左を見ればアヤ・ソフィアというぜいたく極まりないスポットである。ひとしきり写真をとった後、アヤ・ソフィアの拝観に向かった。
 アヤ・ソフィアは東ローマの大帝ユスティニアヌスが6世紀に創建した大聖堂。外から見ても大きいが、中に入るといっそう広さ、とくに天井の高さに圧倒される。かなりの数の観光客がいてなおそう思えるのだから、教会あるいはジャーミー(モスク:イスラム寺院)として少人数で入ったら、どこまで荘厳に感じられることか。オスマン朝の大建築家ミマール・スィナンがアヤ・ソフィアに魅せられ、これを越えるジャーミーを造ることを目標としたというのも頷ける(興味のある方は夢枕獏の小説『シナン』をどうぞ)。
アヤ・ソフィア
アヤ・ソフィア
 
アヤ・ソフィア内部
2階より正面を見る
ミフラーブの位置がずれているのが分かる
ブルー・モスク
ブルー・モスク
ブルー・モスク内部
ブルーモスク内部
 そのスィナンはアヤ・ソフィアの構造計算を繰り返すうちわずかなずれに気付き、倒壊を防ぐための補修を実施したという。内部にしても、偶像崇拝のタブーにより天井画の天使の顔面が削られていたり、エルサレムの方を向いた真正面から少しずれた角度でメッカを示すミフラーブが付け加えられたりするものの、手を加えられたところは比較的少ない。ジャーミーとしてだとは言え、東方キリスト教建築の代表格を征服者のイスラーム教徒が保存してきたとは素晴らしいことじゃないか、とイスラーム贔屓の私としては思うのである。
 ついでブルー・モスクことスルタン・アフメット・ジャーミーへ。17世紀初に建てられたこちらは今も現役のイスラーム寺院で、日に5回の礼拝前後は観光客の出入りが禁止される。時間が限られるとあって観光客の行列も長く、ギュンさんの時間調整をもってしても待ち時間を避けられなかった。
 ジャーミーには礼拝時間を知らせるためのミナレット(尖塔)がつきもの。たいていは1本か2本が常で、アヤ・ソフィアでも4本(ジャーミー改修後周囲に追加)だが、ブルー・モスクは別格で6本のミナレットがある。建築当時6本のミナレットがあったのは他には聖地メッカのモスクだけだったので、創建者のオスマン朝皇帝アフメット1世は不遜とならないようメッカに追加のミナレットを1本寄贈したとのこと。実は金(アルトゥン)のミナレットにせよと命じたつもりが間違えて6本(アルトゥ)のミナレットになってしまったという話もあるが、本当だろうか。
 靴を脱いで、さらに女性は入口で貸してくれる布で頭を覆ってから(ノースリーブもお断り)内部へ。アヤ・ソフィアより若干小さいとはいえ、それでもかなりの広さである。天井や柱に施された青基調の装飾やステンドグラスが美しい。
 出口では寄付金を募っている。信者ではないが末長い保存を願って私も小銭を寄進。証明となる紙片を金額分いただいた。死後預言者ムハンマドに会うことでもあれば、不信心を少し大目に見てくれるかもしれない。ブッダが倹約家でキリストがミーハーの兄ちゃんだとしたら、ムハンマドは…小言好きのおっさんだろうか(これでもう寄付分は使いはたしたな)。
 昼食前にもう1か所、「地下宮殿」と称される東ローマ時代の地下貯水池を観覧。柱廊がライトアップされていて「宮殿」らしく演出されている。呼び物は2本の柱の土台に使われているメデューサ像の首。どこの遺跡から取ってきたものかは不明だそうだ。首を逆さや横向きにして土台にすることで、魔物封じの意味でもあったのかなとも想像するが、単に大きさがちょうどよかっただけかも知れない。
メデューサ像
「地下宮殿」のメデューサ像
挨拶の門
トプカプ宮殿・挨拶の門
ハレムの母后
ハレムの一室
真ん中の人形は皇帝の母后
アフメット3世の図書館
アフメット3世の図書館
 
 近くのレストランでの昼食は、でっかいナンが食べ放題。…放題というほどたくさん欲しくなるものでもないが。メインはマトンをつくね状にして長い串で焼いたケバブ。羊肉特有の風味は好き嫌いが分かれるだろうが、私はなかなか気にいった。
 午後はトプカプ宮殿へ。みどころの多い敷地の中でツアーの予定に組まれていたのはハレムと宝物殿の2か所のみ。皇帝とその一家の私生活の場だったハレムは、外観はともかく内装がさすがに豪華。絢爛すぎて庶民にはくつろぎにくそうではあるが。もっと豪華絢爛なのは、宝物殿に展示されている重宝の数々だが…ここまで何から何までキンキラキンだと、かえってありがたみが感じられない。鶏卵大のダイヤモンド(「スプーン職人のダイヤモンド」というらしい)に驚きはするが、感動というのとは違う気がする。宝物殿よりは、できれば武具展示室や衣裳展示室、アフメット3世の図書館などを見てみたかったな…。まあでも、スレイマン大帝の頃のものと言われる宝剣や、イランの梟雄ナーディル・シャーから贈られた玉座などは見られてよかった(要は自分が聞きかじっている歴史上のいわくがあればいいわけか)。
 トプカプ宮殿を出たのは昼もだいぶ過ぎた頃。食事以外はほぼ歩き通しでそろそろ疲れも出てきたが、最後にもうひとつ、グラン・バザール散策。定価のない店での値引き交渉が醍醐味――なんだろうけど、正直そこまで根気が残っていない。それより入って出たら左右を間違えるという筋金入りの方向音痴にとっては、広いバザール内で道に迷わないかが気にかかる。売り物によって大まかな場所は見当がつくし、店の看板には番号が振ってあって、数の少ないほうを目指せば集合場所に戻れるのだが、あまり過信はしないようにしよう。
「オニイサン、オニイサン、ヤスイヨ」
「いらん、いらん」
「ビンボウ?」
「そう、貧乏」
「ホントカナー?」
そんなやりとりを繰り返しつつ、結局中ほどにあるオープンカフェでひと休みしただけで集合場所へ戻る。だいいち、高級そうな金銀製品か、さもなければいかにもみやげ物然としたものが多くて買う気がおきなかった。持ってきたトランクが小さくて、アンティークなどかさばる物は入らないし(ツアー後半は毎日パズルのように荷物を詰め替えてた)。
 暗くならないうちにホテル着。ツアーの都合上ままならないところはあったけど、観光としてまずは充実した一日だった。ああ、ついでながら夕食はベリーダンスショーのある店で。ダンサーさんの自在に動く腹筋には参りました、まる。

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