駄弁者の駄弁


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7日目(最終日)〜イスタンブール〜
 最終日は午前中が自由行動。うまい具合にアスケリ・ミューゼ(軍事博物館)がホテルの近くなので、徒歩でそちらに向かう。今回の旅行中最大のヘマをやらかしたのはホテルを出てすぐある。
 前を歩いていた兄ちゃんが仕事道具らしいブラシを落としたのに、ついおせっかいで声をかけたのが間違いの元だった。流しの靴磨きらしい兄ちゃんは、お返しだとかなんだとか英語まじり日本語まじりで靴を磨かせてくれと言い出したのである。放っていたら博物館の入口までついて来そうに思えて、足を差し出したのが間違いその2。子どもが何人かいて大変だ(…と言っていたと思うのだがよく分からない)云々の話を磨きながらしてから、最後に言い出したことにはお代は25リラだと。そこそこの食事ができるぐらいの金額である。…はい皆さんお分かりですね、ブラシを落としたところからの仕込みです。
 しばらくお互い通じているのか怪しい言い合いをしたが、結局引っ掛かった私が悪いと観念する。ここで紙幣を見せてしまったのが間違いその3。釣りはあるというので50リラを出したら、25リラというのは片足で両足だと50リラだと言い捨て、さっさと行ってしまった。私はと言えばなかばぼう然として見送るだけである。こんなベタな手に引っ掛かるか、普通…!?
 考えてみれば、金持ちそうには見えないが旅慣れてそうにも見えない日本人が、高級ホテル街(書いていなかったが、そうなのだ)から一人で出てきたら、カモりたくもなるだろう。しゃあない。子ども云々は出まかせかも知れないけど、美味いもんでも食ってくれ。
 出だしははなはだ悪かったが、博物館自体には迷うことなく到着。大通りに出ればあとはまっすぐなので、迷う余地がないとは言える。開館時間の9時直後ということで、入口にまだ客らしい人はいない。けどゲートの向こうには一団のお兄さん方が…って、なんか兵隊らしいんですが。博物館は軍の施設と同じ敷地にあるらしい。むちゃくちゃ入りにくい雰囲気である。入っていい?と聞いたらすんなり通してくれたけど。
巨砲と勇士セイード
巨砲と勇士セイード
刀剣
館内展示の刀剣
八連装銃
笑ってしまった八連装フリントロック
ちょっとそれは無茶だろう
エルトゥールル号
和歌山県沖で沈んだエルトゥールル号
海軍関係の展示はほとんどなかったのだが…
共和国記念碑
タクシム広場の共和国記念碑
ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿「皇帝の門」
 入ってすぐ目につくのは博物館前の庭園にある大砲。傍らには兵士らしい像もある。キャプションによるとダーダネルスの戦い(ガリポリの戦い)で276キロの砲弾を運んだ勇士セイードの像だそうだ。庭園には、他に第二次大戦期の戦車やF104戦闘機が展示されている。いささか統一性がないな…と思いつつ博物館内へ。中の職員も軍関係らしい制服である。探知機のゲートをくぐった後、荷物は係員に預けないとならない。料金は4リラ、写真をとりたい場合はプラス8リラ。ところが少し大きめの紙幣を出したら、朝一番のせいか釣り銭がないとのこと。こちらも小銭が残り少なく、12リラちょうどは出せない。困った顔をしてコインをあるだけ出してサイフを逆さに振ってみせたら、係の女性は内緒だよと言って学生料金で通してくれた。感謝。
 何やら歌いながら掃除をしているおじさんを追いかけるように、貸し切り状態で見学開始。トルコ人の起源からオスマン朝に到るまではほぼ年代順に展示が並んでいるが、オスマン朝以降については「刀剣」「盾」「鎧」「銃火器」「弓矢・騎兵」「砲」といった感じで主に展示物ごとに部屋が分かれている。アタトゥルクが学んだ士官学校やトルコ共和国に入ってからの戦役については部屋やコーナーが設けられていた。…朝鮮戦争に参加していたとは知らなかった。通路には武器・兵器の展示のほか、歴代オスマン朝皇帝の肖像画や主な戦役を描いた絵(いずれもおそらく近年描かれたもの)がかけられている。たっぷり2時間近くかけて見て回った。博物館の呼び物はメフテル(オスマン軍楽)の生演奏なのだが、これは午後からしかやらないようだ。残念。
 外に出て博物館の裏手のほうも覗きに行く。駐車場と思われるスペースには、青銅砲と思われる大砲が露天でズラリ。「観光客はここからはだめ」と止められるまでフラフラとそこらを散策した。
 博物館を出たのは11時半ぐらい。ツアーの集合時間は13時半だから、このまま戻るのはもったいない。引き返してホテルのあるあたりを通り過ぎ、とりあえずタクシム広場に来た。共和国記念碑を写真にとった後、札を崩すのを兼ねてマクドナルドで昼食。せっかくだからご当地メニューをと、MacTurkeyなるものを注文した。薄いパンにチキン(ビーフも選べる)を挟んであって、お味は……うん、安定のマクドだ。
 残り時間は、ギリギリになるがデニズ・ミューゼ(海事博物館)に行くことにしよう。アスケリ・ミューゼがほとんど陸軍専門だったのに対し、こちらは海軍関係の文物が収められていたはず。
 というわけでタクシム広場からボスフォラス海峡ぞいのドルマバフチェ宮殿に向かう急な坂を下り、宮殿を通り過ぎた先にある博物館へ向かった。歩くこと約30分。急いで見て回っても帰りはタクシー使わないとな、と思いつつたどり着いたら…休館でした。ドルマバフチェ宮殿も休館日だったから嫌な予感はしていたのだが、いちおう別の敷地にあるからこっちは開いているかも、との期待ははかないものだった。
 ムダにタクシーを使うのもしゃくだったので、来た道をまた歩いて引き返すことにした。炎天下の中、上り坂が堪える。後でツアーの男性と話したことだが、ちょうどこの辺りはコンスタンティノープル攻略時にオスマン艦隊が「山越え」したところじゃないだろうか。身一つでもしんどいところを、軍艦を引いて越えたんだなよなあ…。
 13時過ぎにホテルに帰着。ロビーのソファに座りこんで、やっと一息つけた。ツアーの同行者もぼちぼちと集合。聞くと、ガラタ塔まで散策に行った夫婦や繁華街のイスティラクル通りで買い物三昧だった三人組、趣味で研究している地学の本を探してイスタンブール大学近くの古本屋まで行った人(これはちょっと面白そう)など、それぞれ有意義な時間を過ごしたようである。私もまあ、最初と最後が締まらないが、第一目的は果たせたので良しとしよう。
 ツアーのプログラムも残り少なくなってきた。午後からはボスフォラス海峡クルージング。もっとも黒海の入口まで行く周遊だと時間がかかるということで、3分の1ぐらいに短縮されたコースとなっている。バスで先ほど私が歩いて上ってきた道を再び下った。くそう、車だと楽だなあ。
 船はドルマバフチェ宮殿の少し南にある埠頭から出港した。甲板は風が強く、座ってないと椅子が倒れてしまうほど。すぐに見えてきたのは、末期のオスマン朝皇宮で、共和国初代大統領ケマル・アタトゥルクの居所ともなっていたドルマバフチェ宮殿。バロック様式が取り入れられたスタイルは、トルコのイメージとはちょっと違うが、ヨーロッパ諸国に伝わりやすい豪華さで、帝国いまだ健在をアピールしたかったのだろう。これを建てるのに帝国は借金をしまくったそうだ。この宮殿以外にも海峡両サイドに離宮がいくつも残っているが、それも借金でか…。
 沿岸には高級ホテルや領事館、博物館、大学などが並んでいるが、少し市街中心から離れるとヨルと呼ばれる高級別荘が増えてくる。これらは国内外の富豪や著名人が所有しているのだが、実際に訪れて滞在するのは年間何日もないそうだ。言われてみると確かに閉め切られている窓が多い。投資や投機の対象ということか…経済にはまったく疎いのだけど、不動産バブルの兆候だったりしないのだろうか。
ドルマバフチェ宮殿
ドルマバフチェ宮殿
ルメリ・ヒサール
ルメリ・ヒサール
第2ボスフォラス大橋
第2ボスフォラス大橋
船から見たイスタンブール歴史地区
船から見たイスタンブール歴史地区
エジプシャン・バザール
エジプシャン・バザール
ヒュンケル・ベーエンディ
ヒュンケル・ベーエンディ
 さらに北に進むとコンスタンティノープル攻略時にオスマン軍が築いた城塞ルメリ・ヒサールが見えてくる。そこを過ぎれば折り返し点のファティフ(征服者)・スルタン・メフメト橋、通称第2ボスフォラス大橋に到る。ちなみにこの橋、石川島播磨重工が建設したそうだ。
 船は橋の手前でUターンし、帰路はアジアサイド寄りを進む。ルメリ・ヒサールと対になるアジア側の城塞アナドル・ヒサールを横目に南下。こちら側にも離宮やヨルがあるが、その他の建物や市街は対岸より生活感が感じられる。いくつかの場所では子どもが岸から飛び込んでいる姿も見えて微笑ましい。
 ヨーロッパサイドの遠景にブルー・モスク、アヤ・ソフィア、ガラタ塔が見えてきたら、そろそろ終わり。1時間強のクルージングだった。
 クルージング後は、土産物を買うラストチャンスとてエジプシャン・バザールへ。帰りの飛行機が出るのが夜遅くなので、長めの自由行動時間が設定されている。こちらのバザールは食料品・衣料品の店が多い。集合場所になったのも、日本語ペラペラなご主人が経営する衣料品店。ショールを主に扱っていて、店は『るるぶ』でも紹介されているとのこと(現物がしっかり置いてあった)。カシミヤ山羊のあごひげだけを使ったパシュミナのショールが一番の売り物らしい。ご主人と大阪のオバチャンの間で1万うん千円を境に値段交渉が繰り広げられていた。まあ、私は家族の土産に何千円かのショールを買うだけにしたのだが。あとはバクラヴァやロクムといった定番のお菓子類をいくつか。グラン・バザールよりかなり小さいので、道に迷わない安心感がある(人ごみに巻き込まれたら脱出に苦労しそうだが)。ひととおり土産を買いそろえた後はバザールの外に出て、ペットボトルの水(500mlが50クルシュ(1/2リラ)也)を片手にすぐ近くにあるイェニ・ジャーミーを眺めながら時間つぶし。ツアー最後の観光地をまったりと過ごしたのだった。あ、そういえばグラン・バザールにもエジプシャン・バザールにも書店が見当たらなかったので『わたしの名は紅』を買えてないな。もう空港でいいか。
 トルコでの最後の夕食は、ショッピングセンター内のレストランでなのだが、行く途中ひどい渋滞に巻き込まれた。距離的にはそう遠くないはずなに、バザールからSCまで1時間近くかかっただろうか。なかなか動かない上に、タクシーやマイカーの割り込み方がひどく荒っぽい。私がまかりまちがってイスタンブールに住むことがあったとしても、ここで車の運転は絶対できないと思う。
 夕食は、たぶん旅行中もっとも高級なものだったろう。メインはナスのピューレを敷いた上にトマトで煮込んだマトンをのせたヒュンケル・ベーエンディという宮廷料理。つけ合わせには焼いたトマト。これまでの食事でも高頻度でナスとトマトが使われていたが、その集大成みたいな料理だな…。「帝王のお気に入り」というたいそうな意味の名前だが、まあ名前負けはしていなかったと思う。美味しかった。
 ショッピングセンターを出るときに気が付いたのだが、入ったレストランの下の階には「WAGAMAMA noodle Bar」の看板が。ヌードルバー……ラーメン屋? 尋ねてみるとヨーロッパや中東で世界的にチェーン展開している日本食レストランだとか。トルコでの最後の晩餐に日本食はないだろうが、ちょっとどんなのが出るのか興味があったなあ。
 空港に向かうにはまた渋滞だろう。トルコが私たちとの別れを惜しんでいるとでも思うことにしようと覚悟を決めていたら、今度は意外なことに快調そのもの。ギュンさんが言うことには日没で飲食が解禁になったので、みんな一斉に食事タイムになったんだろう、と。冗談なのか本気なのか分からないが、どちらにしろ笑ってしまうぐらい車の数が違う。15分少々でアタトゥルク国際空港に到着。…ええと、別れ惜しんでませんね?
 こうして1週間のトルコ旅行は、ラマダンのおかげで最後はあっさりと終わったのだった。
 さ、後はまた半日エコノミーのシートに耐えるだけか。
 ………。
 あ、自分用みやげの本まだ買ってない!

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