この世界はみな手で触れるものでできている。手で触ると、さらさらだったり、ふかふかだったり。
これからは手で触れるものだけを信じて生きていこう。手で触れられないものはまやかし。
だから、この悲しい気持ちも、きっとまやかし。ほんとは悲しくなんかない。
こんなつらい気持ちも、きっとすぐ忘れる。だってまやかしなんだもの。
本当に?
本物ってなに? 手で触れられるものが本物なの? 手で触れられないものは本物じゃないの?
今、ここにあるものは何?
間違いなく今、ここにあるものって、何?
胸の痛み。
今、本当にここにあるものは、この胸の痛み。
これはまやかしなんかじゃない。
手でふれられないけど、今信じられるのは、この痛みだけ。
この痛みを感じる方向に、本当の何かがある。
出典:
磯光雄原案・監督「電脳コイル 第24話『メガネを捨てる子供たち』」
紹介 :御宗銀砂 様
HP :http://sfr.air-nifty.com/
コメント:
電脳ペット、デンスケを失ったヤサコ。
ほかにもいろいろあって、ヤサコのお母さんは、これを機会にメガネをやめて「生きている世界」に戻ってくるように言います。いけすかない友達の天沢さんも「メガネで見えるものはまやかし」「手で触れられるものだけを信じる」ように言っていました。ヤサコも、一度はそうしようとします。
ヤサコの直面している問題は、ある意味、とても大切な、普遍的な問いかけだと思いますが、いい歳してアニメやSFにうつつを抜かしていると、別の意味に聞こえてくるんですよね(苦笑)。
紹介 :山本弘 様
HP :http://homepage3.nifty.com/hirorin/
コメント:
終了記念です。
絵柄から受ける印象に反して、実は仮想現実を扱った本格SFだった『電脳コイル』。緻密に練られた設定、電脳メガネが可能にする奇想天外なaugmented reality の世界は、まさにクラークの第三法則そのもの! 中でもグッときたのが24話のこの台詞。
ヌルに襲われたイサコは意識不明。小さい頃からいっしょに育った電脳ペットのデンスケは「死亡」。心に傷を負ったヤサコは、すべてを「まやかし」と思いこんで忘れようとする。デンスケは最初から存在などしていなかった。手でふれられないものなど「本物」ではないのだと。
でも、彼女は気づく。自分が今、抱いている感情を「まやかし」と切り捨てることこそ、現実逃避であるということに……。
手でふれられるもの、リアルなものがバーチャルなものより「本物」だというのは、実は大いなる錯覚なんじゃないのか。本当に大切なものは手でふれられないものじゃないのか……という認識の変革は、まさにSFならではでしょう。
2008年の星雲賞メディア部門最有力候補。未見の方は再放送でどうぞ。
駄弁者:
御宗銀砂さんからは「手で触れられないものは本物じゃないの?」までの前半部を、山本弘先生からは「本当に?」以降をご投稿頂いたのですが、連続しているので合わせて掲載することにしました。
まやかしか本物かということになると、神経を通じて脳がとらえたイメージという点では同じなので、メガネで見たものがまやかしなら、触れるものでもまやかしじゃないかという懐疑論に陥ってしまいそうです。
>未見の方は再放送でどうぞ。
あちこちから勧められるので、悔い改めて再放送は見てみようと思ってます。