第115集を見る 感想を書く(文句toめい文句) 第117集を見る
「燃料はガソリン?」
出典:
アレックス・プロヤス監督 「I,ROBOT 」
紹介 :TEAM NORTH-MOAI(R) 様
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「こちらは、わたしのいるところは、まだ……七月なんです」
出典:
北村薫「ターン」
紹介 :汗(はん) 様
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ニッポンは、元気ですか?
出典:
小松左京「保護鳥」 同名短編集、「さらば幽霊」、「石」などに収録
紹介 :可児歳蔵 様
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医務室でヤガミが倒れました。
出典:
KenRan Project製作「絢爛舞踏祭」
紹介 :DS−T 様
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MAKI「撃墜しますか?」
出典:
KenRan Project製作「絢爛舞踏祭」
紹介 :DS−T 様
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ああそうだヴァルター、クリスマスおめでとう。返事をする必要はないぞ。
出典:
佐藤大輔「レッドサンブラッククロス パナマ侵攻1」
紹介 :可児歳蔵 様
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「それにしても深海で神様にお供えをすることになろうとはな」
出典:
藤崎信吾「ハイドゥナン」
紹介 :屋良一 様
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クレブは、いびつで不恰好なやつれた体をおおっているマントを身をくねらせて脱いで、いつも隠している切り株のような片腕をむき出しにした。
出典:
ジーン・アウル「エイラ 地上の旅人 第一部 ケーブ・ベアの一族」(大久保寛訳)
紹介 :屋良一 様
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WE LIVE
出典:
ヤノット・シュワルツ監督「燃える昆虫軍団」
紹介 :ながぴい 様
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超度1:静止している人や、特に超能力に敏感な人が感じる程度。
出典:
椎名高志「絶対可憐チルドレン 1st sence 天使で悪魔」
紹介 :出羽 様
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「まるで推理小説のような書き方だな」
出典:
アイザック・アシモフ「アシモフ自伝 1」(山高昭訳)
紹介 :TEAM NORTH-MOAI(R) 様
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ドリル それは漢の美学!!
出典:
G.B小野寺「外道校長 東堂源三郎」
紹介 :春休船 様
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「ハハハハハ…!!
出典:
大友克洋原作・監督「AKIRA」(映画版)
紹介 :in-ex 様
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「いや、長い足のはえた戦闘兵器が隕石からあらわれるかもしれない」
出典:
佐藤大輔「侵攻作戦パシフィック・ストーム[3] 可能行動」
紹介 :好古真之 様
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ウエルズは、“人間は向上心を持つ存在であり、いつの日か地球を出て、自分たちが到達する惑星すべてに、落ち着いた平和な社会を築く力がある”と――かすかな疑念を抱(いだ)きながらも――信じていた。現代こそ、この信念が有史以来もっとも必要とされる時代である。
出典:
アーサー・C・クラーク「はじめに(ウェルズ『宇宙戦争』の序文)」(斉藤伯好訳)
紹介 :好古真之 様
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表示の意味が
出典:
弐瓶勉「BLAME! 3巻」
紹介 :”帰ってきた”メックデウス 様
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「でも、あなたが優しいのはあなただからでしょう。」
出典:
サンライズ制作「機動戦士ガンダムSEED」
紹介 :ひーすけ 様
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総統!歩けます
出典:
スタンリー・キューブリック監督「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか」(森本務訳)
紹介 :ながぴい 様
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ミスターグレン
出典:
史村翔原作・沖一画「ASTRONAUTS―アストロノーツ―」
紹介 :TEAM NORTH-MOAI(R) 様
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駄弁者:
「高温の溶岩怪獣が出現したからには、逆の特性を持った冷凍怪獣も現れる、これは自然の摂理なのよ」
出典:
円谷プロ制作「ウルトラマンマックス」
紹介 :かんきち 様
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駄弁者:
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HP :
2035年のシカゴでは、結構希少らしいですガソリンエンジン。
近未来を舞台にした映画にはよくこういう「年代」をずらす場面が見られますが、結構好きです。(BTTFでの「レーガン大統領」や「メイド・イン・ジャパン」など)
ていうか、あのアウディは何で動いているんだろう?
教訓 十分に発達した技術は、摩訶不思議?
こちらですね、アウディRSQ。動力は……面白みはないけど、燃料電池あたりでしょうか。
燃料はおいとくとして、あの映画に出ていたクルマは(記憶違いでなければ)車輪が球体で、あれを全方向に動かせるんだとしたら車庫入れが楽だろうなあ…というのが、ペーパードライバーの感想。
HP :
交通事故に遭った瞬間“神隠し”にあい、同じ一日が繰り返される無人の世界で暮らす版画家、森真希。151日目に変化が起きる。家の中で電話が鳴り始めたのだ。
引用は、現実の世界での電話が偶然彼女につながった、イラストレーターの泉と名乗る男に、真希がついに言った告白。当然泉は次のように思う(地文で)。
「真希さんなる人は、やはり大変なゲイジュツカらしい」
牧瀬里穂主演の映画も、けっこう良かったです。
>大変なゲイジュツカ
常識的な世界にいる人間から見たら、そのあたりが一番好意的な感想なんでしょうけどねえ。
同じような境遇に陥ったら、しぶとく自分を保てるのは「大変なゲイジュツカ」より繰り返しの多い日常に慣れている一般人かも…と、ふと思いました。
HP :
外国のある村にやって来た日本人写真家。日本人と言うだけで熱烈歓迎を受け、次に出てきたこの言葉。さあ何の事だろうと写真家は迷いますが、実はニッポニア・ニッポン──日本トキの事でした。
この村でもトキと同じく絶滅が危惧される鳥を保護しているとの事で、喜んだ写真家はぜひ1枚と請願しますが、これだけは受け付けて貰えません。それならと写真家はこっそり保護鳥の撮影に成功しますが……。
「牛の首」、「くだんのはは」と並び賞される傑作小松ホラーと言う事ですが、どうも私はその怖さが今一分からない気がします。
「さらば幽霊」(講談社文庫)に収録されていたのを前に読んだはずなんですが、記憶があいまいなので電子書店パピレスで買った「石」に収録されているものを再読。
村で保護されている「アルプ鳥」の正体…はともかく、愛想笑いを浮かべつつ「ニッポン」に固執し、裏切られると豹変する村人たちの様子は、確かに怖かったです。
HP :
二回連続になりますが、PS2用ゲーム「絢爛舞踏祭」からの引用です。
全主要キャラと主要勢力それぞれに成長するAIが搭載され、それらの記憶と交流によって進行していくこのゲームでは、疲労度が限界に達するとNPC達がバタバタと倒れていきます。大抵はそうなる前に仕事を止めるものなんですけど、AIが仕事熱心に成長したていたり、平時から忙しい部署だったりするとかなりの頻度で倒れます。
で、その場で昏倒したキャラ達が搬送されて眠らされる場所が、件の医務室というわけです。
要するに。
この艦内アナウンスは、過労による昏倒から回復した早々にまた倒れるという、人知を超えた荒業が成し遂げられた証明なんです。システム上、いくら疲れていても限界数値さえ超えなければ倒れないようになっている上、昏倒している間の時間経過はある程度の回復には十分な量なので、お前は一体何をしたんだと問い詰めたくなること請け合いです。
このゲームをやっている人なら一度は目にするであろうこの状況。数十あるいは数百万、時には数千万単位で人が死んでいくこのゲームにおいて、プレイヤーにかなりの脱力感を与えてくれる一言だったりします。
ゲームのパラメータ調節がうまくいっていないのか、意図的なものなのかは知りませんが、どちらにしてもそれっぽいストーリーを自分で補完してしまうのも、プレイヤーの性。
責任感の強いキャラが病室で目覚めて、早く任務に戻らねば!とベッドから起きあがったところで倒れる…というのは結構ありがちなパターンなのでは。
ヤガミ「いや、やめておこう。祟られそうだ」
MAKI「それは何らかの宗教的意図があると?」
ヤガミ「俺の故郷の言い回しさ」
HP :
比較的近い未来。地球を越える水の星となった火星での、たった一隻の最新鋭潜水艦による火星独立闘争を舞台としたPS2用ゲームソフトからの引用です。
このやり取りは、潜水艦「夜明けの船」を制御する人工知能MAKIと、独立戦線の影の指導者ヤガミとの会話です。
地球からの圧力で権力を失い、夜明けの船に逃れようとする火星傀儡政権主席の小型艇をめぐる会話なんですが、よく考えたら、人間とAIの違いと言うよりは火星と日本の文化的差異を表している会話なような気も……。
「たたりがある」「バチがあたる」と言うのは、別にそういう信仰があるから口にするのとは違いますしね…。西洋人が「Oh my God!!」というのも、宗教的意図というのとは違うだろうし、「火星と日本の」どころかいっそ「火星と地球」とまで言ってしまえる?
…火星だとどういう言い回しになるのかは、ゲームをやっていないので知りませんが。
君が口にした場合、反国家社会主義的意思の表明ということになる。
HP :
お久しぶりです、可児歳蔵であります。
ナチス親衛隊国家保安本部の総元締ラインハルト・ハイドリヒと、その部下のヴァルター・シェレンベルグの会話のひとコマ。
やはり、民主主義でない国においては権力が言論の自由を左右するのでしょうか。
民主主義の国においては、権力者ほど言論の自由が制限されます(とくに公の場では)。多分逆よりも望ましいことなんじゃないでしょうか。
HP :
多分、人間は月や火星でも聖地や御拝所を見出してしまう生き物です。あるいは何も無い宇宙の一点でも「この座標から見える星の配置がなんとも神々しい。」とか言ったりするかも。
深海や月や火星でも…というか、そういう場所でこそ神を求めてしまうということがあるんじゃないでしょうか。何もないからこそ、そこに意味を見出そうとして。
「ハイドゥナン」、やっぱり読むことにしよう…。
「ブルン、これこそエイラが一人前の男として見ていた男なのだ。これこそエイラの基準となった男なのだ。これこそ、エイラが愛し、息子と比較する男なのだ。わしを見ろ、弟よ!わしは生きるに値したか?エイラの息子は生きるに値するか?」
HP :
今より約3万5千年前。黒海の沿岸に暮らすネアンデルタールの一部族にクロマニオン人の少女エイラが拾われた。エイラは長じて一族の薬師となったが、エイラを嫌う男に犯され、異種間混血の子を生んでしまう。他の子と違うエイラの息子を、養うことの出来ない奇形児として殺すべきかどうかを一族の男たちは話し合うが、意見は半々となり決断は族長ブルンにゆだねられようとしていた。そこにブルンの兄であり呪術師であり、何よりもエイラの後見人として面倒を見てきたクレブが、子供の時の事故で、片腕・破足の身にもかかわらず、杖に頼らず立ち上がり、呪術師としての権威を押し付けるのではなく、一人の一族の男として、兄としてブルンの情に訴えた言葉。
クレブは一族を導き、族長に知恵を授ける者として、常に超然と振舞おうと心がけていますが、本当は常に思い惑う心優しい人なのです。その彼が生涯で唯一度他人の前で感情を顕わにしたシーンなのです。
ネアンデルタールといえば、今年はソウヤーの大作シリーズが出てますが、その先行作品ということで。一応児童書に分類されているんですが、結構ハードな展開です。
ネアンデルタール人の滅亡は、ホモ・サピエンスと争って駆逐された説や、混血し吸収されたという説があるそうなんですが…。後者だとすれば、エイラやその子供のような存在もいたのかも。
HP :
直訳すると「われわれは生きる」とゆうことになりますが、「我々にも生きる権利はある!」という熱い思いが込められていると思います。
日本の諺では「一寸の虫にも五分の魂」かな?
出典はB級SF映画の「燃える昆虫軍団」。いわゆる動物パニックものですね。
地底から、三葉虫のようなデッカイゴキブリのような虫がたくさん湧いてきます。
このゴキちゃん、お尻についてる触角みたいなのをこすり合わせて火花を散らし、ものに火をつけるとゆう危険な発火性の昆虫なんですね。
中学生ぐらいの時に東京12チャンネルで見たので、ストーリーはほとんど憶えてません…当時まだ純真な少年だったわしは、受話器に虫がついていることを知らずに電話を受けた女性が、耳を焼かれて悲鳴を上げるのが、怖くて仕方ありませんでした。
さて、このゴキブリ軍団、なぜか頭も非常によく、映画終盤になると人語を解するようになって、人間の目の前で壁に整列して「WE LIVE」と虫文字を書いてしまうのです…
「最低映画館」というページによると、ゴキブリと交配した結果、知性を得たらしい。
ただし、「どうしてゴキブリと交配したら知性を持ち得るのか、そこらへんの説明がない。だから観ていても「どうして?」という疑問を抱きながらラストを迎えてしまう。」とのことです。
この映画は多くの少年に大きな影響を残したらしく、「ゴキブリ秘宝館」というページの管理人さんも「この映画の後半に登場するマダガスカルゴキブリのオス(前半のはブラベルス・ギガンテウスの終齢幼虫?)は、その巨体と角で、普段見ているようなクロゴキとは一線を画すような格好の良さでした。」と述べられています。
参考ページ:
「最低映画館」内の「燃える昆虫軍団」(BUG)のページ
「ゴキブリ秘宝館」内序文
ゴキブリは本能だけでも充分強敵だと思うので、このうえ知性など持たれた日には、冗談抜きで人類と存亡を賭けた戦いに突入しそうです。
なお、リンクしている「燃える昆虫軍団」のページには「WE LIVE」のスチールも掲載されています。「ゴキブリ秘宝館」は前にも見に行ったことがありますが。静止画ならともかく、こいつらの動いているところを見たいかどうか…。
超度2:大勢の人が感じる。戸や障子が揺れる程度。
超度3:家屋が揺れ、電灯などのつり下げ物が大きく動く。
超度4:花びん等が倒れ、歩いている人にも感じられる。
多くの人が驚いて外へ飛び出す。
超度5:壁に割れ目が入り、墓石が倒れる。
超度6:家屋倒壊3%以下。地割れや山崩れが発生する。
超度7:あらゆるものが破壊され、ものが飛ぶ。
HP :
21世紀に入り、世界ではエスパーが増え続けていた。その能力が政治や軍事、外交を左右するまでに至った近未来世界がこの物語の舞台。エスパーの能力をその強さによって大別した、超度と呼ばれる7段階の基準がこれ。何かどっかで似たようなものを見たと思っても、あんまり気にしちゃいけません。
出典は最近始まったマンガですが、主人公は国内では彼女たちしかいない超度7のエスパーであり、日本の特務機関BABELに所属する10歳の少女3人とその主任。成長の仕方次第で世界をも滅ぼしも救いもする少女たちを主任がどう育成していくか、がテーマの物語(のよう)です。超能力ものはただでさえツボなんですが、超能力者を敢えて”エスパー”といい加減古めかしい呼び方にしている点も嬉しい。今後に非常に期待しているマンガです。
テレキネシス(というのも古い語ですが)限定の基準なんですね…。
エスパーが増えると、これだけでは分類できなくて「5強」とか「6弱」というのが設定されるのでしょうか。
HP :
いくらアシモフ先生とはいえ、博士論文にまでサスペンスを盛り込んじゃいけませんぜ。
私も仕事にドキュメント(いわゆるコメント)を付けますが、数カ月経つと「解読」が必要になってきます。数年経つと「推理」が加わります。
教訓 まず自分が読者。
「アシモフ自伝」、読んだのは高校生の頃だったなあ。1・2ともハードカバーで上下2分冊、何でこの御仁は自分を主人公に4冊も文章を書くことができるのか、とは当時は思いませんでしたが。
>まるで推理小説のような
科学の論文としては「まるでSFのような〜」と言われるよりは良かったとすべきなんでしょうか。もっともアシモフの推理小説は、「黒後家蜘蛛の会」なんかだと推理というより雑学知識の有る無しだけで決まってしまう話もあって、SFよりヒット作が少ないというのが、私の感想。
HP :
前回、ちょいと内容紹介範囲を広くしすぎましたので、今回はインパクト重視。(^−^;
今回の文句は。機械っ娘帝国を築く野望を持つ、マッドサイエンティスト・雉飼変奇郎が、宿敵・東堂校長(一応、主役)に対して必殺のドリルアームを繰り出した際の雄叫び。
…何故だか知らないけど。納得してしまう科白なんですよね、コレ。(笑)
男としてドリルの象徴はアレだからどうだって説は置いといて。古くはサンダーバードのジェットモグラから、ゲッターロボの2号も左腕はドリルだし。マイトガイン(第72集)でも出るし、轟天号の船首もそう。ヤマトじゃドリルミサイルは出るし、ゲームではサイバーボッツとか・・・例を挙げるとキリが有りません。(^^;
まぁとにかく。実務以外の局面で『ドリル』と言うと皆さんも十中八九、円錐に螺旋状の溝が入ったアレを連想すると思うのですが。一体、どこで刷り込まれたんだろう?!(笑)
私の記憶としては、原点はやっぱゲッターロボになりますかね…(美学じゃないですが)。ヤマトのは、最後は逆回転して発射した敵方にぶつかって大爆発!という、どうにもマヌケな結末でしたし。
あの幼稚園に入って楽しく暮らせってのかよ―――
毎日、薬もらって
あのガキどもみてぇに干からびてけってのかよ!!!」
HP :
力に目覚め、それに溺れ都市を破壊しつくした後、力によって崩壊する体を止めるにはラボに戻り処置を受けるしかない、との大佐の言葉に対する鉄雄の返答。
「幼稚園」とは超能力者を集めたラボのこと。能力者は低い年齢で目覚め、そのまま精神年齢もあまり変わらないらしく、ラボはまるで幼稚園のような場所であることから。
「あのガキども」とはラボで子供のまま年老いていく者たちのこと。
SFにありがちな哲学的な言葉遊びではなく、心底からの叫びな気がします。
漫画版の「アキラ」は一コマ一コマの絵は巧いのですが、漫画としてあまり面白いものではなかったような。それに比べ映画版は筋道だったストーリーが無いのは漫画と同じものの、映画として独特の音楽の使い方や演出・展開は見事なものでした。
大友克洋の監督作は他にはパッとしないものがほとんどです(幻魔大戦は見たことがありません)。映画版AKIRAが面白かったのは大友克洋以外の要因だとしか考えられない…
大塚英志の批評かエッセイだったと思うんですが、手塚治虫以来の「映画のように動いて見えるまんが」という夢とコンプレックスの究極の形が、大友克洋の作品だというのを読んだことがあります。
そうだとすると、本当に「動いて見えるまんが」である映画版「AKIRA」が漫画版より面白く思えたのは、良かれ悪しかれ大友克洋自体の要因もあるのでは。
理解できはしないだろうと確信して口にした冗談だった。
だが、クラークの期待は裏切られた。佐野は大きな笑い声をあげていた。
「そして、ロンドンを襲うとでも?」
「いちど、合衆国を襲ったことがあるという話もきいたことがある」
HP :
日英同盟による日英技術協定にもとづいて来日した、レーダー技術者のクラーク(まだセイロン(現スリランカ)には移住していない)と、逓信省・電波技術研究所の技官・佐野昌一(=海野十三)の会話。
(なお、佐野の言葉にある「私の部下の石原という若者」とは、若き日の石原藤夫博士のことだと思われます)
ふとしたことでクラークが口にした冗談によって、「スキピオとハンニバルのように対立していた二人の男は」「一〇年来の親友のような態度を示し」あうようになりました。
SF者の業の深さを感じますね。
BGM:「大人だから夢を見る」ヨーキング
「大阪で何匹かやっつけたとも聞いたことがある」では、まだ日英友好の基になるほどの業には至っていないでしょうねえ…。
HP :
「だったらもう少し、宇宙に希望が持てるような小説を書こうよウエルズ!」と、ちょっぴり思わないでもありませんが……まぁ、「獅子は我が子に保険金をかけてから、千尋の谷に突き落とす」と言いますからね。
映画化に合わせて刊行された、ハヤカワ文庫の新訳決定版に付された、クラークによる序文より。
BGM:「希望」スパルタローカルズ
恐れるべきは到達した惑星の文明ではなく自然環境だ!というところで。
>かすかな疑念を抱(いだ)きながらも…
「宇宙戦争」を書いたのが1898年で、彼が亡くなったのが1946年…かすかな疑念が年々はっきりしていったのかも。
わかるようになった……
HP :
だいぶ前にお邪魔しておりましたメックデウスと申します。相変わらずのご盛況、誠におめでとうございます。また時々伺いたく思いますのでよろしくお願いします。
投稿に際し、重複のなさそうなのをがんばってチェックしつつ、「2ヶ月かかった」を実感した次第であります。
さて、作品について。
「永続する都市」「after of "the day after"」という西洋SF界に於けるキモ2つを併せ持つ本作、やはり幾人もの方がめい文句を紹介しておいでです。今回の投稿と似たニュアンスを含むものもあり、ちょっと悩みましたが、個人的にセンスオブワンダーだったもので、あえて俎上に載せました。
この台詞は、主人公霧亥が”敵”に負わされた手傷から回復した直後のものです。但しこの世界は崩壊した超文明の残滓。彼を含む住人たちは様々なオーバーテクノロジーを(おそらく我流適当に)使いこなしているのですが、1・また彼自身もサイボーグの類であり、2・視界に様々な情報が表示されていて、3・それを彼自身は理解できていなかった、4・すなわち彼自身が自分の機能を把握できていない!などの事実がここに来て初めて明かされたわけです。
初見の際は足場が数階分崩れた思いで、「スゴいSF的な名文句だ」と感動した記憶がありますが、今読み返すと「洗濯機ゴンと叩いたら動いた」みたいでもあり、なんだか間抜けで可愛らしくも思えます。
この前後のくだりも、弐瓶氏が得意とする全編通しての伏線であったようですが、しかしそれはまた別の物語…。
お久しぶりです。再来歓迎です。
「BLAME!」のご投稿がちょくちょくあったので、自分でも半分ぐらい読んでみたんですが…。なんというか、アクションものなのに流し読みがしにくいです。どうやら私にはちょっと饒舌すぎるぐらいに解説があった方がいいようで…。
ご投稿のセリフは既読部分。意味が分からなくても、見えているそれが実在の事物ではなく何かを指し示し意味している「表示」である、ということは分かるものなのかな、とちょっと疑問に感じました。
HP :
同じコーディネーターだから親切にしてる、と言うキラにラクスがかけた台詞です。聞いた瞬間ドキッとしました。自分を取り巻く肩書きやレッテルが、自分そのものだと勘違いしがちになるんですよね。
癒される言葉ですね。本当のところは、自分の肩書きやレッテルも好むと好まざるとに関わらず自分の一部であって、そこから全く独立したところに「本当の自分」がいるというのは、願望なんじゃないかと思ったりもするんですが。
ここで、「いや、君が君だから優しいんだよ」と言えるようなキャラは、今日びあまり主人公にならないなあ(笑)。
HP :
総統といってもデスラーではない…
車椅子に乗ったストレンジラブ博士が、「皆殺し装置」が作動したことに興奮して、耐え切れなくなって、立ち上がった時に叫んだ言葉。
いや、この物語のこのシーンでこんなセリフが飛び出すなんて、やっぱ、キューブリックとピーター・セラースは天才だと思った。(ちなみにストレンジラブ博士は右手も言うことを聞かないようだ)
そのとき、「立ち上がるのはクララだけとちゃうで!ストレンジラブ博士もおるやろ!」と思ってしまいますた…
ちなみに、この映画の見所は、コング少佐ひきいるB52爆撃機の乗組員が覚悟を決めて、水爆投下に向けてソ連領内に侵入していくとこが、かっくいい。
米ソ冷戦の当時は全面核戦争は現実の恐怖であり、ある意味、今よりも現実はSF的だったような気がします…
ちょっとSFからはずれる…? でもマッドサイエンティストものと言えないこともないのか。そういえばとり・みき「SF大将」の「鉄の夢」のオチはこの名文句で締めてたな…。
>今よりも現実はSF的
当時からしてみれば、全面核戦争を「SF的」と評することのできる現在の状況の方が、よっぽどSF的に感じられたんじゃないでしょうか。
いま自分がいちばんおそれているのは…シャトル計画の中止です!
HP :
スペースシャトル運行再開記念。
多少の問題など気にせず、「気合」で打ち上げていた時代の作品です。
開発には多少の犠牲は付き物…と言えたのはやはり競争相手が「ソユーズ」だったからなのでしょうか?(宇宙飛行士のガッツだけではシャトルは上がらないと思う。)
最初の計画では今頃とっくに宇宙ステーションが完成している筈なのに、いつの世も先立つものがなければ、、、ってヤツですかね。
教訓 予算を制するものは世界を制す
スペースシャトルの打ち上げ再開が急がれたのも、予算がらみという話がありますから…。止まるも進むも金次第という、ちょっと悲しい現実。
まあともかく、スペースシャトルは無事帰ってきたようで何よりです。
HP :
桜井浩子演じる怪しい科学者が言ったセリフです。どこが摂理やねん!
自然の摂理というよりは、どこぞの「定説」を連想させます(古いな)。
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