SF名文句・迷文句第84集

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「98式AV、通称”イングラム”だ。 なかなかにハンサムだろが。」

 出典: ゆうきまさみ「機動警察パトレイバー 1巻Prologue 」

紹介 :nayuta 様
HP :

コメント:
 実用品としてのロボット、最後はレイバーです。
 ”ハイパーテクノロジーの急速な発達とともに、あらゆる分野に進出した多足歩行式大型マニピュレーター「レイバー」”。つまり、工場なんかで使われているロボット、台座に乗った機械式マジックハンドが、台座の変わりに脚で動く車体に載ってレイバー、巨大ロボットになったわけです。
 主に建築、土木の分野で使われ、キャタピラ車体に載ったシャベルなどより汎用性、運用柔軟性に富み、従来の建設土木機器に取って代わりました。作品世界ではバブル時の狂乱土地不足が継続しており、東京湾の半分を埋め立てるという壮大(無謀?)なバビロンプロジェクトが進行中です。このバビロンプロジェクト成立の要因となったのが、レイバー投入による作業効率のアップと経費削減であり、同時にレイバーの大幅な需要拡大と発達に繋がっています。
 ”98式”とは1998年式のこと。作品世界では20世紀後半にはこのようなロボットが建設、土木の主役となると考えられていました。
 あり得ない話、ではないです。私たちは今、それと似たような現象を現実に目前にしています。数十年前には、SFの世界でもかなり未来的な機械だった「電子頭脳」が、パソコンとして家庭にあるなんて誰が信じたでしょうか?
 作品世界では「レイバーの産みの親」といわれる一人の学者が存在します。
 彼は私設の研究所の孤独なマッドサイエンティストなどではなく、国立大学の教授でした。あり得る話です。むしろツィオルコフスキイやビル・ゲイツの存在の方があり得にくい話です。
 しかし、現実に彼らはいて「彼」はいなかった。もし日本に「彼」がいれば、世界はどう変わったでしょうか。
 投稿のせりふは主人公の野明に、榊整備班長が紹介したせりふ。トラックのキャビンに手足を付けたようなレイバーは、イングラムあたりから明確な人型を取るようになります。

駄弁者:
 マニピュレーターのついた作業用巨大ロボットというのであれば本当に登場してますからね(ハンサムと言うにはツラいが)。
 土木作業用としてのレイバーが先にあって、それを使った犯罪を取り締まるために警察もレイバーを導入する、という理由付けはいかにもありそうな流れで好きです。
 あと、運転するとき後方確認がいるのも(笑)。



「……ロボット…だと?」

 出典: 三雲岳斗「ランブル・フィッシュ 1新学期乱入編」

紹介 :nayuta 様
HP :

コメント:
 実用品としての巨大ロボット、3つ目はレイド・フレーム。強襲有骨格兵器。最初は専門家の失笑をさそい、後に彼らを驚嘆させました。重戦車を圧倒する攻撃力と対戦車ヘリを凌ぐ機動性と汎用性。運用における柔軟性は歩兵以上。ここでも人型兵器は陸戦最強兵器として設定されています。
 考えてみれば当たり前の話です。その道具が使えるか、使えないかの分かれ目は道具の使い方、ノウハウがどれだけ蓄積されているか、です。そして兵器としてのノウハウがもっとも蓄積されているのは「人体」です。
 サブユニットなしで戦う各種格闘技、刀剣や銃などサブユニットを用いた戦闘方法、人類は長い歴史の中で「人体」の使用方法についてノウハウを蓄積してきました。戦闘機や戦車などのノウハウの蓄積などはせいぜいここ100年足らずしかありません。しかも性能自体が次々に変化する「乗り物」系に対し、「人体」は有史以来大きな変化がありません。過去のノウハウが現代でも使用可能なのです。人間にとってもっとも使いやすい道具である巨大ロボットが陸戦最強の兵器なのは、ある面当然でしょう。
 ランブル・フィッシュの世界では開発費と有用性の関係から、レイド・フレームは公開格闘競技(ギャンブル)のマシンとして民間主導で開発されています。そしてレイド・フレーム開発・運用の人材を養成するべく専門学校が設立され、物語は学園ものだったりします。
 冒頭のせりふは実はプロローグで、ある少年が第1次湾岸戦争で初めて使われたレイド・フレームの戦争シーンを目撃した時のものです。彼は「ありえない」と否定するのですが、やがてレイド・フレームの歴史の中に巻き込まれ、主人公たちを翻弄する影の存在となっていきます。
 このシリーズでおもしろいのは1巻ごとに後半にロボット同士の対決シーンが入っていることです。かつてのロボットアニメのように。
 以前は大人たちと一緒に悪と戦っていた「少年少女」たちは、現実を模したSF世界ではこのようにして巨大ロボットと関わっていくのかもしれません。

駄弁者:
 私はこの人の作品、SFミステリものの「M・G・H」しか読んでないな…。代表作に数えられるのはこれとか「コールド・ゲヘナ」の方面なんでしょうが。
 コメントで言うような理由で人型が陸戦最強兵器になるのは、操縦者の人体の動きが100%ズレなく再現できる操縦機構が確立したうえで、しかも近距離戦闘の場合のみに限られてしまうと思うのですが。あ、格闘技の一種として用いられているなら、それでいいのか…。
 ところで、これって名文句なんですか?



「コンバット・マニューバー──オープン」

 出典: 賀東招二「戦うボーイ・ミーツ・ガール(フルメタル・パニック」

紹介 :nayuta 様
HP :

コメント:
 実用品としての巨大ロボット、2つ目はアーム・スレイブ。SDIと並んでロナルド・レーガンが開発を進めた陸戦兵器は3年で実用化となり、以降10数年で大きく発達しました。戦車や戦闘ヘリでさえ容易に打ち負かせない最強の陸戦兵器です。
 現代の技術力を大きく越えたそのテクノロジーはブラック・テクノロジーと呼ばれ、この謎がフルメタルパニックシリーズのメインテーマになるのですが、ともあれこの技術によって巨大ロボットは人間並みの動きを獲得することになりました。
 ガンダムではミノフスキー粒子というテクノロジーがモビルスーツを近接戦闘用兵器として成立させていましたが、アーム・スレイブは巨大な人型自体が有力な兵器であるとして成立しています。
 巨大であることは相対的に他のものを遅く、鈍重にしてしまうのです。例えばラジコンのカーモデル。あれは精々30〜40km/hのスピードですが、実物大にしてみると1/12サイズでも400km/hのスピードがあることになります。巨大ロボット(人間の5〜6倍)から見れば戦闘ヘリや戦車のスピードは、蠅や子犬の動きよりとろいものなのでしょう。
 アーム・スレイブは局地紛争などで戦車などが入れないところ、密林や山岳地帯でのゲリラ相手の戦闘に威力を発揮しました。主人公の相良宗介は在留邦人の孤児で、アフガン紛争のゲリラとして戦い、ソ連製のアーム・スレイブの操縦を覚えました。投稿のせりふは宗介がアーム・スレイブを起動させる時のもの。
 ただの戦争オタクの変な高校生が、歴戦の戦士に変わる瞬間です。

駄弁者:
>巨大であることは相対的に他のものを遅く、鈍重にしてしまう
 しかし、巨大であるぶんそれを動かす力も大きなものが必要になるのでプラスマイナスゼロなのでは?そのへんはだいたいオーバーテクノロジーが解決してくれるんでしょうが、人型自体が有力な兵器である理由には、ちょっとつながりにくいような。



「極秘資料?…こ、これは、連邦軍のモビルスーツ」

 出典: 矢立肇・富野喜幸原作「機動戦士ガンダム 第1話『ガンダム大地に立つ!!』」

紹介 :nayuta 様
HP :

コメント:
 宙を埋めるザクの群れ。1stガンダムのこのシーンからロボットアニメはSFになった、と思います。
 こんにちは、今回のテーマは「実用品としての巨大ロボット」です。
 それまでのロボットアニメでは、設定上の理由付けはありますが、概ね少数の敵ロボットがやってきて主人公ロボットと戦い、負ける、というのがお約束でした。
 彼らはそれを「侵略」と称していましたが、正しい侵略行為とは大軍で弱点を攻める軍事行動です。少数で強敵と戦うことではありません。
 では、かれら(敵ロボット)は何しに来ていたのか。要は「勝負」しに来ていたのです。
 武蔵と小次郎のように、貴乃花と曙のように、力道山とルー・テーズ、ウルトラマンとバルタン星人、星飛雄馬と花形満、矢吹丈と力石徹のように。好敵手同士正々堂々力比べをしてきたわけです。
 つまり、巨大ロボットとは悪役メカも含めて、それ自体スターであり、カリスマであり、唯一の存在でした。ですから、戦闘シーンが巨大ロボットアニメのメインになるわけです。
 ジオン公国が多数のザクを揃え、巨大ロボットを戦力として正しく運用し、中年の一般兵がザクを運転してサイド7に踏み込んできた時、巨大ロボットはスターの座を滑り落ちて戦争の道具という実用品になりました。
 冒頭のせりふはアムロのもの。このシーンから巨大ロボットは実用品として、政治、軍事、経済、産業、物流などの未来社会の1要素として存在することになります。

駄弁者:
 「勝負」しにきていた敵と「侵略」してきた敵の違いというのには、まったく同感。うまい表現ですね。アムロが最初の方で極秘資料こと操作説明書を見ながらガンダムを動かしていたのも記憶に残るところです。



みんなの願いは同時には叶わない

 出典: 宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」(映画「CASSHERN」主題歌)

紹介 :taq 様
HP :

コメント:
 基本的にラブソングの体裁を取っている曲なんですけど、2時間半のフィルムで語ろうとしたテーマを(であると同時に、現在の世界の状況も)、たった1フレーズで表現しちゃってます。

駄弁者:
 わたしは結局見に行かなかったんですが(ブレンダー変身しないという話でしたし)。
 見に行った人の話を聞いてると、監督の願いと観客の願いも同時には叶わなかったんじゃないかという気がします、この映画の場合。



オレは死刑囚…一度は死んだどうでもいい命だ。だけどあの時の死と大きな違いが一つだけある。今、オレは自分がどこで死ぬか選べるってことだ。

 出典: 高橋ツトム「ALIVE」

紹介 :八代冬威 様
HP :

コメント:
 恋人を暴行した犯人を殺し、恋人までも手にかけてしまった死刑囚「八代天周」は刑執行の直前、ある組織の条件により処刑を回避し、もう一人の死刑囚と共に隔離される。ある日隔離された天周の隣部屋に“異次物”の憑いた美しい女性が現れる。恋人みさ子に対し、自らが取った行動への苦悩と幻覚に悩まされつづける天周。そして、もう一人の死刑囚「権藤」が女性に接触したことにより、恐るべき計画が発動し始めた。
 どうも。石川賢以外の投稿では「八代冬威」という名前を使わせてもらうことにした、飯田天周です。
 一度死を免れた天周でしたが、結局どうしても死ぬしかないという事になってしまいました。そういう状況に陥ってしまえば、人は青空の下で死にたいと思うようになるのでしょうか?う〜ん…いいコメントが思いつきません。
 ちなみにこの作品、北村龍平監督で映画化されました。まぁ、そこそこでした。

駄弁者:
 考えてみれば、どこで死ぬかを選ぶ自由というのは、現代では結構希少なものかも知れません。
 もっともこの「天周」さんは、どこで死ぬかは選べても、まともな死に方は選ばせてもらえなさそうではありますが。



「いいか、空の星はどんな遠くにあっても、そっちに目をむければ、すぐに実物を見ることができる」
「それはちがうよ。光の速さは一秒に三十万キロだ。だから、いま見ている星も、距離によっては十年前の姿、百年前の姿である場合もあるんだ」
「なるほど、見る場合はそうかもしれないな。しかし、考える場合はどうだ。いま地球のことを考えている。つぎに遠い星のことを考える。これにはなんらの時間を要しない。人間の思考は光より速いということになるぞ」

 出典: 星新一「超光速」  エッセイ集「きまぐれ星のメモ」に収録

紹介 :ゼネコンの社員 様
HP :

コメント:
 少年のころの星新一と父親、星一との会話です。(本文中の会話以外の部分は省略してます)この父親にしてこの子あり、といったところでしょうか。
 また、このエッセイでは次のような外国小話のセリフも紹介されています。
「君が宇宙のはてで活躍中、地球上で妻が出産したとする。瞬時にパパとなる。光速以上の出来事ではないか」

駄弁者:
 星新一の父・星一と言えば、他の作品でもよく取りあげられていますね。「人民は弱し官吏は強し」や「明治・父・アメリカ」など。非常にすがすがしい人物だったようです。実業家としては悲運もひと言に尽きますが…。



「呉れ明けくその肉の花。今はひとつのここは便所の虫世界。他のないかそのくそ女の弾丸のあと。こんにちは。いやらしいうすのろの影の形のここで一発ぶちかます。お前らくそ溜めよく来たな。出て行け。せんずり流れてほういほい。」

 出典: 筒井康隆「関節話法」  「宇宙衛星博覧會」に収録

紹介 :ゼネコンの社員 様
HP :

コメント:
 はじめまして。初投稿で御座います。
 以前から「えらい筒井康隆少ないなぁ」と思ってました。私なんかにしたら「言語実験」といえばこの方が真っ先に思い浮かぶんですが。
 というわけで「関節話法」です。関節をペキパキ鳴らす音で会話する星へ赴任した主人公(地球人です)が、余りに鳴らしすぎて骨折脱臼しまくり「言語障害」になってしまった最後のせりふです。これこそ「声に出して読みたい日本語」ではないでしょうか。

駄弁者:
 収録作の中で、これが一番笑った作品でした。そりゃもう息が止まるほど。
 「声に出して」といえばこの作品、朗読テープも出てました(新潮社刊)。なんかこぼ部分を聴いてみたくなったので図書館にあるので借りてみようかな。しかし聴きたくなっても自分で声に出したいとはあまり思えない…とくに人前では。



「全能にして偉大なる爆弾よ」

 出典: テッド・ポスト監督「続・猿の惑星」

紹介 :可児歳蔵 様
HP :

コメント:
 「続・猿の惑星」の迷文句。ミュータント人類が崇めている「神」への言葉です。
 それ以外は殆ど普通の祈りの言葉なのがまた面白い所ですが、どうやら猿が日本人だとしたらこちらはセオリー通りアメリカ人のようですね。現在のアメリカを考えると背筋が寒いですが。
 ちなみに、猿の方は天皇とも考えられる「偉大な猿」の石像を拝んでいます。

駄弁者:
 途中の話は全然覚えていないけど、ショッキングというよりミもフタもないラストは忘れようがないです、この作品。



「飢餓より恐ろしいものがあるか?」
「ある。未知のものだ」

 出典: テッド・ポスト監督「続・猿の惑星」

紹介 :可児歳蔵 様
HP :

コメント:
 たまたまテレビをつけたらやっていた映画のうろ覚えのセリフなので正確さには欠きますが、妙に印象に残っていたので投稿します。
 前者は猿の将軍、後者は同じく猿の科学長官の言葉。猿のモデルが日本人なだけあって猿の将軍は外地侵攻推進派ですが、「軍人だから単純な考え方しかできない」と認めているのは評価すべきところだったと思います。
 こちらは名文句ですが、迷文句の方もきっちりある「続・猿の惑星」。なんと言うか、古さを感じさせない映画でした。

駄弁者:
 日本人がモデルだったんですか?…あ、原著者のピエール・ブールの略歴を見てみたら、日本軍の捕虜になった経験があるそうで。
 関係ないですが、最初にタコとかナマコとか食べた人間は、未知より飢餓が恐ろしかったのかもなあ…。



ジオン兵「奥さん、このあたりが一年前にセント・アンジェのあったところですよ」
(場面は変わって、コアファイターで帰還しながら)
アムロ「あの親子は、無事にセント・アンジェに着けたんだろうか」

 出典: 「機動戦士ガンダム 第8話『戦場は荒野』」

紹介 :がちょんぱ 様
HP :

コメント:
 はじめまして、このHPをみて、投稿してみたくなったがちょんぱです。
 説明は…する必要はないでしょう。見てない人でも「戦場は荒野」という題名から状況が想像出来るんじゃないでしょうか。
 僕はこれを見た時まだ小学三年生でしたが、敵は同じ人間であり、一番弱い人間が一番の被害者であるという戦争の真実がはっきりと理解できました。

駄弁者:
 どこでだったか忘れましたが「ガンダムが唯一の戦争体験だった」と書いているのを見た覚えがあります。
 本物の戦争を体験している人には噴飯ものもいいとこなんでしょうが、私たちの世代には、感覚的に理解できてしまう人も多いんじゃないでしょうか。



オデロさん…死んじゃった…

 出典: 富野由悠季「機動戦士Vガンダム」

紹介 :おおた 様
HP :
http://www.interq.or.jp/sagitarius/ootarag/

コメント:
 機動戦士Vガンダムより。
 主人公ウッソの兄貴分であり、ウッソには及ばないもののパイロットして着実に腕を上げていたオデロ・ヘンリーク。
 最終回だったかな、いきなり死にました。
 オデロの彼女、エリシャはその死を感じ取りこの台詞とともに泣き崩れて…妙に印象に残ってるんですよね。
 前に友人達とVガンの話をしてたとき、オデロの死って何でこう印象に残ってるのか?
 という話になりまして(いきなりあっさり犬死しましたから)この台詞のせいだろ、と自分が言うと満場一致で可決となったしだいで。
 しかし、コミックのほうだと掲載誌がボンボンだけあって、やたらと熱い死に方をしてました。ウッソを助けて死に、その後窮地に陥ったウッソは偶然流れ着いたオデロのビームサーベルによって窮地を脱する…熱いな…
 TVじゃ犬死にだったのに。

駄弁者:
 しかし犬死であるほうが、物語のメッセージとしては意味がありそうに思います。ボンボンでやるには、いささか辛いメッセージなんでしょうが。



おれのあたし…

 出典: 小松左京「男を探せ」  同名短編集に収録

紹介 :藤間真 様
HP :

コメント:
 タイトルにぴったりのきわめてステロタイプな、ハードボイルド調で始まるのですが…
 読んでいて乱丁かなと思ってしまって前後を読んで、更に読み続けてたどりついたラストのせりふです。とんでもないラストですから、この台詞だけではネタばれにはならんでしょう。(これ以上内容に触れるとネタばれになってしまうので避けます)
 主人公を手術したもぐりの医者がB.J.、その他の医師が手塚、松本、永井だとか小松御大のびのびと書いていますが、この発想のとんでもなさはSF史上屈指の怪作だと思います。十八禁かも知れませんが読み終わってもう一度タイトルを見てニヤリとすること請け合いなので、番外企画にも応募します。
 ハルキ文庫の同名短編集に所収(初出は「別冊問題小説」1975年7月号)

駄弁者:
 これが収録されている同名短編集は、小松左京のSFミステリが集められているものですが…「ヴォミーサ」しか知らないなあ…。



「愛しあうことだけは どうしてもやめられない」

 出典: 幸村誠「プラネテス」

紹介 :スカイファイア 様
HP :

コメント:
 これまた超有名なSF漫画から。
 長い木星への道のりを経て、ハチマキが得た答え…宇宙船を手に入れるという夢のために、それ以外の事は切り捨てようとする彼がどうしても捨てられなかったもの…
 ヒトが、どうしても争いあうことがやめられないのなら、愛しあうことだってやめられない…そんな幸村さんの思いが感じられるセリフです。

駄弁者:
>愛しあうことだけは どうしてもやめられない
 …というより、奥さんがやめさせてくれなかったという方が合ってるような気も。



スミス「なぜだアンダーソン君。なぜやめない。なぜ立ち上がり戦い続けようとする?命を捨ててまで守りたい物があるのか?それがなにか分かってるのか?自由か?真実か?平和か?それとも愛か?そんな物は幻想だよ、アンダーソン君。愚かな人間の知性が意味も目的もなく存在するのを正当化するための幻だ。このマトリックスと同じ虚構なのだ。もっとも、つまらん愛とやらを作れるのは人間だけだが。…そろそろ分かっているはずだ。君は負ける。戦う意味はない。なぜだ?なぜそこまで戦う?」
ネオ「選択したからだ。」

 出典: ウォシャウスキー兄弟監督「マトリックス・レボリューションズ」

紹介 :スカイファイア 様
HP :

コメント:
 説明不要の超有名サイバーパンク映画から。
 最後の対決より、果てしなく増殖し強大な力を手に入れたスミスと、それでも戦い続けようとするネオの理由とは…。
 ネオを突き動かす原動力が、それまで彼が選んできた選択だった…ってことは、つまり「一度決めたら、最後までやりとげなさい。」というメッセージなんですかね?ま、最近は中途半端な人間が多いからなぁ(私含)
 その点スミス君はとことん増殖しまくって、しまいにゃスミスワールドを作ったんだから偉いですね(笑)

駄弁者:
 第1作目のネオは選択というよりなりゆきっぽかったような気もしますが。それさえも自らの選択として受け入れねばならないというメッセージだとしたら、なかなか厳しいなあ…。



「結果的に、アリスは現実の世界に帰ってきたけど、本当はそれってどうでもいいことなのよ。
 どっちの世界が現実かなんて関係ないわ。だって彼女には記憶が残ってるんだから。
 鏡の国で経験した素敵な記憶が。少なくともそれは、彼女にとっては現実なんじゃないのかしら…それでいいんじゃない?」

 出典: 出渕裕総監督「ラーゼフォン 多元変奏曲」

紹介 :スカイファイア 様
HP :

コメント:
 今回は映画「ラーゼフォン多元変奏曲」から。
 最近見たSFアニメでは、これが一番よかったかなぁと思いまして。
 この作品、テレビシリーズは非常に判りにくかったそうですが(実は見てないッス)、劇場版であるこの多元変奏曲は未視聴でも非常に楽しめました。主題歌、音楽も良いので、未視聴の方はレンタルで是非!
 さてストーリーですが、主人公の綾人は「東京ジュピター」という時間も空間も、外の世界と隔てる絶対障壁に閉じ込められてしまいます。ヒロインの恋人の遥とも離れ離れになり、彼らが再会した時には、二人の間には12年の差があった…というのがおおまかな流れです。
 最終的に、彼らの時間は元には戻らないのですが、その代わり彼らは「2人が過ごせたはずの思い出」を手に入れるのです。
 このシーンで、年老いた遥は孫の玲香に、人にとって重要なのはその記憶が現実か否かではなく、その記憶の存在こそが重要なのだ、と言っています。大事な人の「思い出」だけを手にいれた彼女だからこそ言えたこのセリフ。よくSFでも記憶の真偽をテーマにしてますが、こういう考え方も非常に素敵だと思います。

駄弁者:
 しかし、「彼女にとって現実であればそれでいい」と思えるのは、その世界が彼女の心の裡にのみある場合にしか当てはまらないのではないかと少し思います。その「鏡の国」が現実で、彼女がいなくなった後もその世界が続いているのだとしたら、そこに自分がいないと想像するのは、やはり寂しいことなんじゃないでしょうか。



きみみたいに映像パックもみたよ、おれもずいぶん派手な死に方をしたもんだよ、なぁ、きみもそう思わないか?

 出典: R・ゼラズニィ+J・A・カーバー「エーリアン・スピードウェイ1 爆走!クライプシス・サーキット」(野田昌宏訳)

紹介 :冬寂堂 様
HP :

コメント:
 太陽系一つをサーキットにした星系クライプシスを舞台にレーサーを目指す少年マイク・マレーを主人公にした物語から投稿します。
 伯母の事故死から孤児になってしまったマレーは、前からあこがれていたレーサーとなるためクライプシス星系に密航します。そこでのさまざまな危機を乗り越えてレーサーになるまでの物語です。結構ご都合主義なところはあるのですが、展開がスピーディなの点と設定の豪快さで楽しく読める作品です。何せこの星系サーキットを走る宇宙船のスピードは光速の4倍!当然事故が起これば大怪我を負うわけですが、進んだ医療技術のおかげで大抵の負傷は治りますし、万が一死亡したとしても、自分の記憶を磁気テープに記憶しておけば移動精神機体=PVと呼ばれるロボットを作れるようになっています。(ただしべらぼうな金がかかるそうです)投稿した台詞は、主人公マイクが、かつての名レーサーで、現在はPVになっている人物、"スピードボール"・レイボと会話したときにレイボが自分の事故を評していった台詞です。

駄弁者:
 角川文庫Fシリーズで出ていたものですね。ゼラズニイとカーバーの名が並んでいますが、ゼラズニイは世界観などの原案などを提供して執筆はカーバーが担当、というところではないでしょうか。同じレーベルのアシモフ・ロボットもの「ロボット・シティ」もそんな感じでしたね。



世界の国々は合衆国と同じ手法をもって、合衆国の手から覇権をもぎ取ろうとしている、そういうことだ。何たるフェアプレイの精神であることか!

 出典: 佐藤大輔「遙かなる星1 パックス・アメリカーナ」

紹介 :可児歳蔵 様
HP :

コメント:
 いや、フェアプレイて……。
 自由と平等と言うなんだか矛盾する2つを掲げるアメリカも、こう言われれば言い返せないのではないでしょうか。
 まぁ、この「合衆国」がメキシコだったら面白いけれど。

駄弁者:
 そのフェアプレイの精神が、この作品世界のように「キューバ危機−>全面核戦争」を招いてしまうのでは目もあてられませんが。



どんな攻撃にも耐えうる鉄の鎧に身を固め、
計り知れぬ力で居並ぶ敵を叩いて砕く。
決して倒れる事もなく死ぬ事もなく、
ただひたすら操縦者の意のままに闘い続ける不死身の兵士。
海であろうが空であろうが闘う場所を選ばない。
それがそれが勝利する事のみを目的とした完全なる兵器鉄人。
鉄人28号。

 出典: 横山光輝原作「鉄人28号」(アニメ・2004年版)

紹介 :kenji 様
HP :

コメント:
 今川泰宏監督による第4作めの第二話から、敷島博士のセリフです。
 鉄人について、こうまで言い切るとは感動します。この先が楽しみ。
 この第二話が放映された後、原作者の横山光輝氏がご逝去されました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

駄弁者:
 「道具・兵器としてのロボット」というスタンスを全面に押し出した、ある意味いさぎよい言葉。



地球に戦士がいない
しかしこの星には無尽蔵に人材がある―
我ながら名案だ……
戦士がいなければ……
いなければ……作ればいい!!

 出典: 氷堂涼二「天然!絶滅ヒーロー!!」

紹介 :たすく 様
HP :

コメント:
 お久しぶりです。私の得意分野は他の人が投稿しなさそうなジャンルなので、のんびりしていたら投稿忘れていました凹。
 地球のヒーローと戦うのを夢見、地球に攻めて来た主人公カシエル。
 しかし今の地球にはヒーローは存在しなかった。
 ――ヒーローがいなければ作ればいい!
 そんなはちゃめちゃな主人公とその仲間たちが繰り広げる、くすりと笑える小ネタ満載のコメディ漫画より。
 この場面の前には、コンビニに『未来の地球を救えるのは君しかいない!!求ム!正義のヒーロー』とポスターを貼り出した主人公…それでも『ヒーロー』が集まらないことに業を煮やし、とうとう自分でヒーローを育成しはじめたのでした。(※人材は拉致してきた、というあたりがようやく悪の組織らしいです)
 …昨今のSF界では、こういう設定すら目新しくはないので、気が引けるのですが投稿させていただきます…

駄弁者:
むかしは異常繁殖していたはずなんですが。今は保護育成に励まねばならないとは…。



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